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東府中から多摩川に延びる未成道っぽい空間は何?[机上調査編]

現地調査編はこちら

東府中から多摩川に延びる未成道っぽい空間」が何なのかを調べています。
現地調査編の続きで書いていますので、初めに現地調査編をご覧になる方がわかりやすいと思います。

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都市計画図を見てみる
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『府中都市計画概要』(平成25年3月現在の都市計画決定状況)府中市作成より

都市計画の状況を知るには都市計画図を見るのが手っ取り早いわけです。個人的には多摩地域すべてと近隣の一部の都市計画図を持っていますが、最近ではほとんどの都市計画区域内の自治体がインターネットで公開しています。

これを見ると、ほとんど答えがわかったも同然でしょう。

そう「今回調べている空間」には多摩川左岸北多摩一号流域下水道幹線が埋まっているのです。

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西側を見てみると、清水が丘二丁目交差点をショートカットする形で流域下水道幹線が計画されています。

さらにその上には清水が丘緑地が重ねて計画されています。清水が丘緑地は都市計画緑地の1つで、面積0.25ha、1976年(昭和51年)に府中市によって都市計画決定されました。

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東側を見てみると、こちらも同様に流域下水道幹線が計画され、下流の多摩川に接する部分には北多摩一号水再生センターが存在します。


多摩川左岸北多摩一号流域下水道

まずは流域下水道について
下水道法によると以下のいずれかに該当する下水道を流域下水道と定義されています。(法第2条第4号イ、ロ)

イ:専ら地方公共団体が管理する下水道により排除される下水を受けて、これを排除し、及び処理するために地方公共団体が管理する下水道で、二以上の市町村の区域における下水を排除するものであり、かつ、終末処理場を有するもの
ロ:公共下水道(終末処理場を有するもの又は前号ロに該当するものに限る。)により排除される雨水のみを受けて、これを河川その他の公共の水域又は海域に放流するために地方公共団体が管理する下水道で、二以上の市町村の区域における雨水を排除するものであり、かつ、当該雨水の流量を調節するための施設を有するもの

要するに、市町村単位で下水を処理するのではなく、その枠を越えて広域的に処理しようというのが流域下水道です。流域下水道以外の下水道には公共下水道、都市下水路があります。

流域下水道は都市施設であり、都市計画決定されます。

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『多摩の下水道マップ』東京都下水道局流域下水道本部2016年発行

今回調べているところに埋設されている多摩川左岸北多摩一号流域下水道は東京都の流域下水道の1つで、東京都が管理しています。現地調査編で東京都のマンホールが存在したのはこのためです。

この流域下水道は北多摩一号水再生センターを終末処理場とし、北多摩一号東幹線、北多摩一号西幹線、そこから分岐(そこに合流)して北多摩一号北幹線、恋ヶ窪幹線の下水管渠が敷設されています。

府中市、小金井市、国分寺市、立川市、小平市、東村山市のそれぞれ一部を処理区域としています。

多摩川左岸北多摩一号流域下水道の初出

多摩川左岸北多摩一号流域下水道は1966年(昭和41年)に都市計画決定されました。(建設省告示第3713号)これは東京都で一番早い流域下水道の決定でした。

当時は多摩川左岸流域第一号下水道と言ったそうです。そしてその管渠の名前は北多摩排水路Ⅰ号線です。

当時の計画決定に関する公文書(計画説明書)の中で、総説として以下のようなことが書かれています。

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この昭和40年代というと、多摩川は「死の川」とも呼ばれ、洗剤の泡が舞うほど汚れていた時代です。

このほかに、同計画説明書の中では次のようなことが書かれていました。長いので畳んでおきます。

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これが当初決定時の図面です。現在の管渠と同じルートで決定しています。

しかし、現在と違うところが大きく2つあります。

1つ目は河岸段丘より南側が開渠であること。

2つ目は北多摩一号水再生センターに相当する終末処理場がないことです。

当初の計画は下流部が「開渠」
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河岸段丘より南側が開渠であることは断面図からもわかります。この図の左下がそれです。

コンクリート擁壁を両側に、底に均しコンクリートをもって3面張りの水路を予定していたことがわかります。

念のため補足しておきますが、「開渠」とは蓋がされていない水路のことで、反対を「暗渠」といいます。

「下水を開渠で流したら不衛生じゃないか」と思いますが、『平成22年度 東京都下水道事業年報』によると、

広域幹線排水路は、各市町村の汚水処理施設から放流される処理水と区域内の雨水を集水して多摩川に流すという河川としての性格が強いものであった。

とされ、開渠で計画されていることも理解できます。また排水路という名前からも想像がつきます。

その後、暗渠に計画変更されたのは1969年(昭和44年)のことです。

排水路が当初、開渠で計画されていたことは、中央自動車道のあの部分(実地調査編参照)が橋梁で建設された理由の1つかもしれません、中央自動車道の府中市付近が完成したのは1967年のことであり、開渠の下水道の計画に合わせて橋梁にする必要があったのかもしれないと考えます。

なお、新小金井街道のしみず下トンネル付近は、その道路を作る際の北多摩南部建設事務所の事業概要に「該当区間は、昭和48年1月流域下水道北多摩幹線第1号関連事業として事業認可を受け、すでに用地取得の澄んだ区間延長320mと一体として・・・(略)・・・街路事業に着手した」と記載があり、この地が流域下水道のために用地買収されたことが明らかです。

終末処理場の計画ができたのは3年後
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1969年変更時の公文書より

北多摩一号水再生センターに相当する終末処理場は1969年(昭和44年)の都市計画変更により追加されています。開渠が暗渠になったのと同時です。

このときになってようやく、現在の役割を持つような流域下水道の計画になったようです。その後建設がされ、処理場の運転開始は1973年(昭和48年)のことでした。

当時の名称は「北多摩1号処理場」で、現在の「北多摩一号水再生センター」に変更されるのは2004年(平成16年)のことです。これはイメージアップの目的もあるそうで、ごみ処分場もクリーンセンターと言ったりしますね。ちなみに神奈川県では昨年、処理場から水再生センターに名称を変えました。

道路計画の用地ではないのか

流域下水道により、「今回調べている空間」ができたことがわかったものの、過去にここに道路計画が存在したかも調べておく必要があります。

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府中市の都市計画道路は1943年(昭和18年)に最初の決定がされます。

その後、1962年(昭和37年)に全面的な改定があり、1943年の計画が全廃され、新しく決定します。このときの決定が現在まで続いていますが、現在までの間に路線によっては様々な変更や廃止、新規決定がなされています。

1943年の道路計画
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国立公文書館 デジタルアーカイブより『東京府府中都市計画街路決定ノ件』

これが1943年決定時の図面です。少し画質が悪くてわかりにくいですが、このとき「今回調べている空間」に沿った道路計画は存在しません。

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『東京都府中都市計画街路の決定及び廃止について』1962年廃止時の図面より(一部加筆)

これが1943年の計画廃止時の図面です。廃止時の図面は詳細なものがあったので載せます。北多摩一号幹線のルートを赤色で加筆しました。

このように、「今回調べている空間」に沿った道路計画は存在しないことがよくわかります。

1962年の計画決定時
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『東京都府中都市計画街路の決定及び廃止について』1962年決定時の図面より(一部加筆)

これが1962年決定時の図面で、北多摩一号幹線のルートを赤色で加筆しました。このとき、しみず下トンネル付近より北側には北多摩一号幹線に沿った道路計画がありますが、「今回調べている空間」に沿った道路計画は存在しないことがわかります。

ただし、現在の都市計画道路網とは少し異なっています。

府中2・1・4号(現:府中3・4・7号府中清瀬線)[新小金井街道]の変更履歴

上図中の「2・1・4号」、すなわち現在の府中3・4・7号府中清瀬線の都市計画変更の履歴は以下の通りです。

1962年(昭和37年)7月26日 当初決定
1969年(昭和44年)5月20日 ルート一部変更
1989年(平成元年)6月16日 名称変更(府中2・1・4号→府中3・4・7号)
1991年(平成3年)10月30日 是政橋関連の変更

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1969年変更時の図面より加筆

1969年の変更はこのようなルート変更を行いました。理由として、中央自動車道の開通が書かれています。

以上から、現在の府中3・4・7号府中清瀬線が「今回調べている空間」に計画されていたことはないことがわかりました。

府中2・2・9号(現:府中3・4・3号狛江国立線)の変更履歴

この都市計画道路は競艇場の北側、中央道の南側を走る道路で、都市計画の変更履歴は以下の通りです。

1962年(昭和37年)7月26日 当初決定
1964年(昭和39年)10月23日 計画延伸
1969年(昭和44年)5月20日 ルート一部変更・名称変更(府中2・2・9号→府中2・1・5号)
1989年(平成元年)6月16日 名称変更(府中2・1・5号→府中3・4・3号)

1964年の変更は、1962年当初決定時に鎌倉街道までだった計画を国立市境まで延伸しました。この理由は中央道建設のためと書かれています。

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1969年の変更はこのようなルート変更を行いました。理由として、こちらも中央自動車道の開通が書かれています。

以上から、これも「今回調べている空間」に計画されていたことはないことがわかりました。

府中2・2・8号(現:府中3・4・4号調布府中線)[しみず下通り]の変更履歴

この路線は現在の計画では西武多摩川線付近で北多摩一号幹線とルートが重複する都市計画道路です。しかし、1962年当初決定時にはルートが重なっていません。都市計画の変更履歴は以下通りです。

1962年(昭和37年)7月26日 当初決定
1972年(昭和47年)11月17日 ルートの変更
1989年(平成元年)6月16日 名称変更(府中2・2・8号→府中3・4・4号)
1990年(平成2年)12月6日 軽微な変更

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このうち、1972年の変更が大きな変更でした。上図はそのときの図面です。

1937年に決定されていたルートを南側に変更しています。変更した区間の東側は南白糸台小学校付近、西側は清水が丘二丁目交差点東側です。この変更の理由は

 本街路は、昭和37年に計画決定されたが、多摩川流域下水道北多摩1号幹線の用地を有効利用し、さらに一団地住宅施設〔ママ〕として決定した日本住宅公団車返住宅団地の住環境の保護を図るため本案のように計画を変更する。

・・・と、されていて、ルートの一部を北多摩1号幹線の一部に沿って計画し直したことがわかりました。

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そしてこの変更は、清水が丘二丁目交差点東側のいびつな道路線形や幅員の違いの理由でもありました。


このほか

図中、「2・3・1号」(現在の府中3・5・14号小田分横街道線)も何度か変更していますが、これは今回調べている空間には関係していませんでした。

今は存在しない道路計画?

現在は存在しない都市計画道路が北多摩一号幹線(しみず下トンネル付近より南側の部分)に沿って計画されていたこともありませんでした。(複数の都市計画図を参照済み)

稲城大橋の道路計画?

稲城大橋の都市計画決定がされたのは1990年(平成2年)のこと。「今回調べている空間」に稲城大橋関連の道路計画が存在したことはありませんし、「空間」ができたのはもっと前のことです。

まとめ
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まとめると、
今回調べている空間は北多摩一号流域下水道の幹線によってできた
・西武多摩川線付近は下水道用地の有効利用のため道路計画を変更
今回調べている空間には道路計画はない
・中央道の橋梁は下水道のため
といったところでしょう。

撮影日:2019年2月10日、6月11日、6月19日ほか 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-06-22 00:01 | 地域 | Comments(2)

東府中から多摩川に延びる未成道っぽい空間は何?[現地調査編]

場所は府中市東府中駅付近から多摩川にかけて妙な空き地があるのです。空き地・・・というか実際には緑道として開放されています。

この記事では青枠の航空写真は直下のボタンを押すと画像が切り替わります。航空写真以外は画像にカーソルを重ねると切り替わります。スマートフォン等では若干の位置ズレが生じていますが、利用しているブログサービスに依存する問題のためどうすることもできません…

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場所はなんとなくわかるでしょうか?
京王線の東府中駅から稲城大橋に至る区間です。

妙に綺麗なカーブで緑道が続いていて、一見すると道路計画を諦めたような土地にも見えます。

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こちらは西側、しみず下トンネルのあるあたり。
木が生い茂っていてわかりにくいかもしれませんが、十字路のカーブをショートカットするように空白の土地があります。

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こちらは東側、稲城大橋の近くです。
しみず下通りから綺麗なカーブで分岐して、多摩川に向かっています。

この画像は「国土地理院撮影の空中写真(2017年撮影)」を使用しています。

それでは現地の様子も見てみましょう
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今回、西側から東側に向けて歩いてみました。

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まずは西側

新小金井街道しみず下トンネルに潜り込みます。ここ2013年に開通した新しい道路で、多摩川の河岸段丘により崖地になっている部分をトンネルによって勾配を緩やかにしています。

今回気になっているのはこっち側。

左のブロック塀と道路との間の意味深な三角形の土地が何かを匂わせます。

それにしても綺麗なカーブだこと。

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現れたのは府中市清水が丘緑地。どうもこの土地は府中市の緑地として管理されているようです。


明らかに怪しい土地の切り取り方。これは都市計画上の用地買収によって取得された土地にそっくりです。

公園内を突き抜ける道路は、公園として最初から計画するならこんなことをしないでしょうし、何かで取得した土地の上を公園としたような雰囲気を漂わせます。

崖を降りた後も現れるカーブと謎の緑地。しかもほぼ同じ幅です。

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そして突如現れたでっかいマンホールと普通のマンホール。それも東京都のマーク

ここは府中市ですから、普通の下水道のマンホールには府中市のものが取り付けられているはずです。

実はこれがこの謎を解く大きなヒントなのですが、それは後程。

綺麗なカーブを描いたまましみず下通りに合流。

道路の不自然な蛇行が気になります。

といってもこの道路はよくある2車線の道路。交通量もそれほど多くなく、The市道といった雰囲気です。

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そして、西武多摩川線とオーバーパス


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わかりにくいですが、道路幅にくらべて橋脚が無駄に幅広で、道路の真下に何かある雰囲気です。


陸橋を渡ったら道路は左カーブ

でも右にも空き地がカーブ!

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空き地と思われたその場所は府中市の押立緑道として開放されているようです。


そしてこれは!?

これは!!??

中央自動車道の高架だ!

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このあたりの中央自動車道盛土によって建設されていますが、ここだけなぜか橋梁構造

道路を跨ぐために橋梁ならわかりますが、現状道路はなく、さらに押立緑道と平行に橋梁が建設されています。

その橋梁も現在は通り抜けできません。何故か車が止まってるけど。

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逆から見るとこんな感じ。うーん怪しい・・・


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中央自動車道の反対側にあるのは・・・

次回。机上調査編においてこの謎を探索!

机上調査編はこちら

コメント欄は机上調査編に設けてあります。


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by yunomi-chawan1 | 2019-06-22 00:00 | 地域

稲城長沼駅前に公園が完成

稲城長沼駅の南側に新しく公園が完成し、2019年3月24日に開放されました。

当日は式典も開かれましたが、すっかり忘れて18きっぷの旅に出ていたので帰りに見てきました。夜間の撮影なので若干ぶれています。

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▲全景

これは南武線の高架化に合わせて行われている市施行の稲城長沼駅周辺土地区画整理事業の一環で整備されたものです。

公園の面積は1200平米です。大部分が色つきのアスファルトで舗装されました。

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▲時計台

公園には稲城なしのすけ時計台が設置されました。時計台は市内の矢野口駅や南多摩駅にも設置されていて、市内の南武線の駅すべてに設置されたことになります。


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▲公園の名前は「ペアパーク」

24日の式典で公園名が発表され「いなぎペアパーク」と名付けられました。時計台の隣には公園名を示す看板が設置されています。


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▲イベントスペース

園内には半円形の芝生の舞台として使えるイベントスペースが設置されています。


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▲防災用トイレ

園内には災害時にトイレとして使えるベンチやマンホールが設置されています。


都市計画道路も少しだけ整備
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▲南武線高架下の部分

稲城長沼駅を南北に貫く稲城3・4・14号稲城長沼駅前通り線については、南武線高架下部分が整備されました。(これまではアスファルトのみの暫定整備)

ただし今のところ南北の通り抜けはできません。


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▲南側暫定バス広場

駅南側の暫定バス広場も一部縁石工事が行われましたが、大部分は暫定整備にとどまっています。正式な道路整備は相当先になるのかなと想像します。


改札前にはウェルシアがオープン予定
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▲ウェルシア

稲城長沼駅改札前と都市計画道路の間の高架下にはウェルシアが3月28日にオープン予定です。開店時間のうち物販は8時~23時のようです。

少しずつにぎやかになりつつある稲城長沼駅周辺ですが、土地区画整理事業に伴う移転などで個人商店が減っているのが少々残念です。それとあまり利用者がいない駅ですが大丈夫かな。。。

撮影日:2019年3月24日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-29 00:00 | 地域 | Comments(0)

246号旧道探索その6 有馬区間ほか

「戦時~高度成長期」頃の国道246号旧道を探索しています。今回は有馬付近です。

歴史のある道ですが、探索するのは江戸時代などの道ではなく、あくまでも昭和期の旧道です。

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今回は、前回の続きで新石川付近~有馬付近を取り上げます。

他の区間はこちら
246旧道探索
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▲新石川交差点の新石川立体

新石川交差点を本線が立体交差で通っています。

新石川立体は2006年(平成18年)3月に開通しました。

この道路は少なくとも明治時代には現在の国道246号線とほとんど同じルートだったようです。江戸時代には少し東側を通っていたようですけどね。

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▲川崎市に入る

新石川交差点から坂道を登ったところで川崎市に入ります。

ここには峠茶屋前という交差点があるのですが、これが少し気になるので、本来の目的(=旧道探索)から離れて取り上げてみようと思います。


「峠茶屋前」の「峠茶屋」って何なんだ
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▲峠茶屋前交差点

国道246号横浜市川崎市の境界に峠茶屋前交差点があります。

市境であり、峠のような地形になっています。

しかし、肝心の峠茶屋が見つからないのです。


〇交差点前にあるローソンがヒント?
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交差点の前にはローソン川崎有馬九丁目店があります。ただ、見ても分かるように、明らかに居抜きで出店した建物です。

かつてここには「峠食堂」というドライブインがあったという情報を頂いております。ただ、そのことを示す地図や写真を見つけられず、確証が得られていません。


一方、峠茶屋前という標識がいつ設置されたものか、国土交通省の国道事務所に問い合わせたところ、2009年度に設置されたものだそうです。しかし、名前の由来は不明とのことでした。(警察署や区役所にも問い合わせていただいたようでありがとうございました)

私が持っている2007年の地図ではこの時すでにローソンは出店していたようですから、ローソン出店後に峠茶屋前の看板が設置されたのは明らかです。(2009年7月のストリートビューでも確認できます)

〇江戸以前の茶屋?

現在の国道246号線と並行して存在した江戸以前の矢倉沢往還は、この付近ではローソンの裏側を少し行ったところに通っていました。

その矢倉沢往還には峠部分に「立場茶屋」があったそうです。

いまはもちろん茶屋などないのですが、それが由来……ってこともあるのでしょうか?

当ブログでは峠茶屋前交差点の名前の由来に関する情報をお待ちしております。

旧道探索に戻ります
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▲有馬一丁目

峠茶屋前交差点から坂を下り、暫くすると有馬一丁目交差点付近で旧道が左に分岐します。

この付近の現在の国道246号線は1979年7月17日に開通したそうです。


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▲鷺沼入口交差点

この付近の両側は土地区画整理事業が施行されたようですが、道路はほとんど変わっていないようです。

カーブの雰囲気がかつての国道をにおわせている気がします。


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▲有馬

どこか、伊勢原の方の246に似ている気がしませんか?

この道路が旧道化して40年近くが経過していますから、道路構造物などはほとんど川崎市の所有物でした。


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▲宮崎小入口交差点付近

宮崎小入口交差点付近では旧旧道旧道が存在しているようです。旧道のほとんどは緑地帯になって道路としては現在の国道に飲み込まれているようですね。


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▲旧旧道

旧旧道は現在は住宅地の街路に飲み込まれ、このようになっていました。


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▲現在の国道246号線

すぐに現在の国道246号線に合流します。


撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-27 00:00 | 地域 | Comments(4)

246号旧道探索その5 市ヶ尾~荏田宿

「戦時~高度成長期」頃の国道246号旧道を探索しています。今回は市ヶ尾付近です。

歴史のある道ですが、探索するのは江戸時代などの道ではなく、あくまでも昭和期の旧道です。

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今回は藤が丘~荏田(江田)にかけて探索します。

他の区間はこちら
246旧道探索
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▲藤が丘駅の北側

現在の国道246号線から離れ、ここから旧道がスタートします。航空写真を見ると現在の国道1961年~65年に開通したものと思われます。

この付近は1960年代~70年代にかけて上谷本第1土地区画整理事業上谷本第2土地区画整理事業下谷本西八朔土地区画整理事業が行われそれまでの道路や区画は整理されましたが、この旧道は以前とほぼ同じ場所に整備されています。

この道路の幅は旧道当時のものではなく、土地区画整理事業によって整備されたもので、当時の面影は無いように思えます。

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▲柿の木台地区

2車線の道路になっていて、途中歩道もなくなります。


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▲柿の木台交差点

しばらく進むと柿の木台交差点におりてきます。途中数十メートル旧道ルートは途切れていました。


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▲横浜上麻生道路と交差する

鶴見川を渡り、総合庁舎入口交差点横浜上麻生道路と交差します。

さらに先では上市ヶ尾交差点横浜上麻生道路の旧道と交差します。旧道同士の交差です。

この付近は土地区画整理事業は行われていませんが、河川の流路変更など少なからず土地の変化はあるように見えます。

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▲市が尾駅の北側

この付近も1960年代~70年代にかけて土地区画整理事業が行われた場所ですが、旧道と同じようなルートで道路が整備されています。

歩道付きの2車線道路です。


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▲東急田園都市線にぶつかる

旧道は東急田園都市線にぶつかります。田園都市線の向こう側には現在の国道246号線が並行して走っています。

現在は旧道はここで途切れていますが、周辺が開発される以前は田園都市線の場所に旧道があったようです。暫くすると、現在の国道246号線とルートが同じになります。

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▲現在の国道246号線

暫く現在の国道246号線を進みます。見える高架は東名高速道路E1です。


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しばらく進むと荏田宿跡に辿りつきます。

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▲荏田宿の案内

荏田宿矢倉沢往還時代に栄えた宿場でした。ただし、明治時代に大火があり面影はほとんど残っていないそうです。

上図で破線で示したのが矢倉沢往還のルートです。

その後赤い線で示したルートが開通します(幅員は現在のもの)。明治時代にはできていたようですが、どうしてクランクにしたのでしょうか。当時は自動車は考えていないでしょうから、宿場としての影響があったのかもしれませんね。

その後上図の通り道路ができています。ちょっと複雑な変遷を経ていますね。

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▲赤色の道(左)と、緑色の道(右)

「旧道らしい」旧道の分岐で、旧道は左に進みます。


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▲セブンイレブンの交差点

正面が青色の道です。最初地図を見たときはこれがもともとのルートだと思っていたんですが違うんですね。

荏田宿は交差点を右へ。既に書いたように面影はありませんが、常夜灯が残っています。


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▲青い色の道(右)

こちらも旧道らしい合流です。こういう景色好きな人多いはず。


撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-20 00:00 | 地域 | Comments(4)

高蔵寺ニュータウン 訪問

今回の関西方面旅行では何箇所か「ニュータウン」に訪問しました。

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地図:OpenStreetMap

1箇所目に訪問したのが高蔵寺ニュータウンです。

名古屋圏を代表するニュータウンで、JR中央線で多治見方面に向かい、高蔵寺駅で降りた北側に位置します。春日井市です。

開発面積702ha、1968年に入居を開始し、現在の人口は約4万2千人です。公団が土地区画整理事業によって整備を行いました。

春日井市のHPによれば多摩・千里とあわせて「日本三大ニュータウン」に数えられるようですが、定義は不明です。まぁ多摩と千里は異論ないと思うのですが、他は千葉、つくばとかありそうです。

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名古屋駅からJR中央線快速に乗車し26分ほどで高蔵寺駅に到着します。快速と言っても名古屋~多治見間13駅(起終点含む)のうち4駅しか飛ばさないのですが。

高蔵寺駅はJRの他に愛知環状鉄道線も乗り入れています。改札は地下にありました。

多摩ニュータウン近隣に住む私としては、駅の利用者がかなり少ないな……という第一印象でした。

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駅の南北には駅前広場があり、特に高蔵寺ニュータウンの位置する北側には大きな広場がありました。

広場にはバスに乗車するためのがいくつかあり、先ほどの駅の地下道から直接島に上がれる構造になっていました。

ただ駅前に大きな商業施設は無く、非常に静かな印象でした。このニュータウンの中心に鉄道がとおっていないのも特徴の1つでもあります。

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駅前の大通りを通って、ニュータウンの中心部へ歩いて向かってみることにしました。

このような4車線の道路の坂道を登って行きます。交通量は少な目です。

奥には高座台の高層住宅が見えています。画像右側の森は高座山に繋がる部分で、その裏側には高蔵寺分屯基地があります。基地はかつて移転する計画だったようです。

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坂を上りきり高蔵寺駅方向に向いてみると、山がどどんと見えました。東谷山というのでしょうか?山がすぐそばに見えるのは少し新鮮です。

JR中央線の高蔵寺駅の隣の駅は急に秘境駅らしくなるんですよね?行ってみれば良かったかなぁ?

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ニュータウン内には4車線~6車線の幹線道路が配置されています。これらはかつての谷筋や尾根筋に配置されたようです。

緩衝地帯としての目的なのかわかりませんが、幹線道路脇には広々とした緑地帯が配置され、ゆったりとしていました。

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写真は岩成台と呼ばれる地区で、戸建て住宅が占められています。街路も家も広々としていました。

やはり車社会の土地なのか、自動車2台以上は当たり前、3台もよく見る家が多く、もちろんトヨタ車が多い印象を受けました。印象ですけどね。

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こちらも同じく岩成台ですが、URの昔ながらの団地もありました。

地区内には遊歩道がめぐらされています。


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地区内には愛知用水が通っていて、高蔵寺ニュータウン内には開水路となっている箇所があります。

この用水の存在がこの地を開発する理由の一つとなり、水源として大きな役割を果たしています。

今では写真のようにフェンスで厳重に囲われていますが、当初は無かったらしいです。静かな水面の流れを見ると少々恐怖感が出てきます。

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フェンスに取り付けられていた看板です。


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案内標識には「」の付く地名がたくさんあります。先ほどの岩成台もそうですが、高蔵寺ニュータウン内はこのような地名になっています。


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中心地区にやってきました。

商業施設が集積しています。どこも駐車場が広く、車社会なのかなぁと感じました。ただ、ここを撮影しているのはペデストリアンデッキ(歩道橋)であり、歩行者通路も張り巡らされています。雨が強かったですが歩行者もいましたね。

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キーテナントはアピタでした。


今回歩いたのは高蔵寺ニュータウンの一部分のみ。まだまだ見たい場所がありましたが、時間の都合上これにてバスで高蔵寺駅まで戻ることにしました。

このほかにもたくさん写真を撮ったのですが、これくらいにしておきましょう。

撮影日:2019年3月10日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-19 00:00 | 地域 | Comments(0)

246号旧道探索その4 青葉台地区

「戦時~高度成長期」頃の国道246号旧道を探索しています。今回は青葉台駅付近です。
歴史のある道ですが、探索するのは江戸時代などの道ではなく、あくまでも昭和期の旧道です。

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前回の続きで長津田の片町交差点からスタートします。

他の区間はこちら
246旧道探索
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片町交差点から暫くはバイパスではなく、拡幅された区間となります。

キツキツな4車線道路で歩道はかなり狭くガードレールで仕切られただけの道路です。国道って歩道がないがしろにされていることがよくある気がします。


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しばらく進むと恩田川を渡り、こどもの国通りを渡る恩田陸橋があります。

こどもの国通りへはハーフインターのような形で降りることができます。

ここから旧道は左前方へ。矢印の方向に進んでいきます。旧道時代は陸橋などは当然なかったようです。

ちなみに右前方の現在の国道は古い航空写真によると1959年~64年に開通したようです。

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ここから先は住宅街を抜けるようなルートになります。

上図で桃色で示した地域は土地区画整理事業が行われた区域で、旧道が消えた箇所が多くあります。土地区画整理事業は名前の通り、土地と区画を整理する事業ですから、道も付け替えられることもあるのです。

ただこの付近は旧道とほぼ同じルートで道路が整備されたようです。

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ぐねっと右に曲がり、坂道を登っていきます。


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しばらく旧道と重なるルートで道路が整備されていましたが、この付近で消滅。

確証はないですが、この付近の現在の国道は土地区画整理事業によって整備されたのかもしれませんね。


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しばらく進むと下り坂になり、青葉台の町中へ進んでいきます。

1つ上の写真で途切れた旧道は矢印のように進んできたようです。


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この道は現在の国道の裏道。ここのあたりに旧道があったみたいですが全く面影がありません。

この先も土地区画整理事業が行われた地域が続きます。


撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-13 00:00 | 地域 | Comments(3)

稲城小田良土地区画整理事業 進捗状況2019.2

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稲城市で行われている稲城小田良土地区画整理事業の進捗を見てきました。

昨年9月以来の記事化です。

この事業の過去・未来記事一覧
稲城小田良
※以前のブログの記事を除く
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▲(仮称)小田良上平尾トンネル(上平尾側から撮影)

稲城小田良土地区画整理事業稲城上平尾土地区画整理事業の境界で建設中の(仮称)小田良上平尾トンネルは、上部のコンクリート打設と埋め戻しが行われていました。

市施行の開削トンネルで、7月末の完成を目指しています。

上平尾地区のようすはこちら
稲城上平尾
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▲学園通り

重機がいる付近がトンネルの上部になっています。右側が小田良、左側が上平尾です。

小田良側は土砂を用いて埋め戻しが行われていました。土砂は区域内から発生したものを使っているように見えました。

トンネル上あたりに私の定点観測スポットがあったのですが、作業員が大勢いたので今回は撮影していません。

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▲(仮称)稲城小田良ショッピングセンター

野村不動産が手掛ける(仮称)稲城小田良ショッピングセンターは建物はほぼ完成したようです。三和を核テナントに開業予定です。


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▲プラウドシーズン稲城若葉台

区域内では野村不動産により、「プラウドシーズン稲城若葉台」として戸建て分譲が行われる予定です。公式サイトによると212戸を計画しているようです。

野村不動産といえば、お隣の上平尾地区や、市内の稲城南山地区でも関わりがあります。

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▲プラウドシーズン稲城若葉台の住宅地

一部区画ではすでに住宅の建設が始まっています。


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▲整地されつつある

このあたりも分譲予定のようです。

写真に写るあたりかなり盛土しました。


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▲擁壁で区画されている

徐々に土地区画整理事業も完成に向かいつつあります。

写真の道路は小田良通りですが、この道は一部を除き開発前から存在する道路です。特に通行止めなどは行われていません。そのほかの道路はまだ入れない場所や工事中の場所があるので注意してください。

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▲開発中の小田良地区

もうすっかり変わってしまいましたね。鉄塔だけが変わらずに立っています。

奥には(仮称)小田良上平尾トンネルの出入口が見えますね。


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▲小田良地区を見下ろす

変わったなぁとしみじみ感じました。


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▲建物の建設も始まる

小田良上平尾線沿線には民家?か何かの建設も始まっています。これから街として始まろうとしています。

小田良地区内には2021年4月に認可保育所の設置が計画されています。


撮影日:2019年2月27日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-06 00:00 | 地域 | Comments(0)

稲城上平尾土地区画整理事業がきょう換地処分

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稲城市で行われている稲城上平尾土地区画整理事業は本日、換地処分が行われる予定です。

この土地区画整理事業は2005年に準備組合が設立され、2010年に事業を開始した組合施行の土地区画整理事業です。施行面積は25.1ha、事業費約88億円、組合員数86人、合算減歩率は48.84%です。

このブログでは2013年ごろより定期的に撮影してきましたが、いよいよ換地処分となり、今後事業の終了に向けて手続きが進んでいくことになります。

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換地処分を受けて住所整理が行われる予定で、平尾四丁目が新設される予定です。この効力は換地処分の翌日(3月2日)から生じます。

写真等

今回は換地処分に先立ち、この土地区画整理事業の「まとめ」として記録してきました。

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▲上平尾トンネル上から撮影

ここは田畑や林が広がる土地でした。

もともと東京都が施行する坂浜平尾土地区画整理事業が計画されていましたが、東京都の事業中止を受けて組合施行でその一部で事業が行われることになった経緯があります。

また、川崎市側での宅地化や、平尾地区の団地建設などに伴い、開発の波が押し寄せている地域でもありました。


●基盤となる道路などが完成
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▲上平尾トンネル

地区内には稲城市初の車が通れるトンネルとなる上平尾トンネルが2016年5月30日に開通しました。

現在、この先で稲城小田良土地区画整理事業と東京都により多摩3・4・17号坂浜平尾線が建設中で、年内には開通するんじゃないかなという状況です。


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▲多摩3・4・36号小田良上平尾線の川崎方面

川崎市栗木方面の多摩3・4・36号小田良上平尾線は2017年4月25日に開通し、栗平駅方面からのアクセスが向上することになりました。(川崎市内数十メートルの「栗木線」も開通)

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▲(仮称)小田良上平尾トンネル

事業北側では(仮称)小田良上平尾トンネルが建設中です。もともとは土地区画整理事業により整備する計画でしたが、市が施行するよう変更されました。


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▲(仮称)小田良上平尾トンネル

トンネル工事は現在上部のコンクリート打設と埋め戻しが行われていました。


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▲(仮称)小田良上平尾トンネルのお知らせ

トンネルは7月下旬にも完成予定です。今後小田良地区の進捗に合わせて開通するのではないかなと予想します。


●バス路線も開設
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▲上平尾区画整理バス停

2014年12月には新百合ヶ丘駅と区域内を結ぶバス路線が開設され、終点バス停は「上平尾区画整理」とちょっと変わった名前が付けられました。

バス停開設当初はまだ上平尾トンネルも掘り下げている途中で、あの時はまだ開発中という雰囲気でした。

今後バス路線は若葉台駅へ延伸すると聞いています。バス停名が変更されるのも近いのかもしれません。

●公園や緑地も整備
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▲三反田湧水公園(子供が多かったので外から撮影)

地区内には公園や緑地も整備されました。ゆったりとした街並みが完成しています。

園内の木々がこれから大きくなってしまうのが楽しみです。


●保留地には宅地開発など
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▲プラウドシーズン栗平

地区内の保留地は、野村不動産が展開するプラウドシーズン栗平という住宅地として販売されました。もうまもなく販売終了となるようです。


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▲東京都用地

前述の通り、この付近は東京都が土地区画整理事業を予定していたこともあり、一部で先行取得した土地があり、換地処分後も東京都用地は残ることになりました。おそらく今後売却などされるんじゃないかなと思います。

●消防施設も開所
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▲上平尾消防出張所

地区内には上平尾消防出張所が開設されました。落成式は2017年3月25日に行われました。

この開所により、平尾地区の消防救急のアクセスが向上することになりました。(※稲城市は東京消防庁ではなく単独で行っている)

●商業施設もオープン
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▲ドラッグセイムス上平尾店

2016年12月1日には地区内で初めての商業施設となるドラッグセイムス上平尾店がオープンしました。


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▲ジョイフル東京稲城店

2017年9月6日にはファミリーレストランであるジョイフル東京稲城店がオープンしました。


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▲マツモトキヨシ稲城上平尾店

ジョイフル隣接地には2017年9月15日にマツモトキヨシ稲城上平尾店がオープンしました。地区内で2つのドラッグストアが誕生することになりました。

ちなみに、すぐ300mほど北側の(仮称)稲城小田良ショッピングセンター内には、ミネドラッグがオープン予定です。これにより、平尾~若葉台の約3.3kmの間に、セイムス・セイムス・マツモトキヨシ・ミネドラッグ・ウエルシア・サンドラッグと6店ものドラッグストアができることになります。(調剤のみの薬局を除く)

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▲(仮称)平尾メディカルヴィレッジ予定地

マツモトキヨシの裏には(仮称)平尾メディカルヴィレッジの建設が予定されています。最大4科の病院ができる予定のようです。三井ですし、鶴川台やはるひ野などと同じようなものですかね。

●今後の発展に期待
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▲未利用地

地区内にはまだまだ未利用地が多くあります。写真の場所は昔は畑でした。昔を知っているだけにちょっと寂しいですが、今後の発展に期待します。


撮影日:2019年2月27日 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-03-01 00:00 | 地域 | Comments(0)

三鷹市牟礼と世田谷区北烏山の入り組んだ境界を探る

世の中には「県境マニア」と呼ばれるジャンルの人がいるらしく・・・確かに県境などの境界線に立つと、言葉では表しがたい優越感に浸れるものです。

最近では、「歩いて行ける三県境」という、3つの県が隣り合う境界が注目を集め、小さな観光地になっているほどです。

(紹介)三県境に行った記事
['18春18きっぷ5日目]その1 宇都宮と三県境

一部カーナビの「東京都に入りました」「神奈川県に入りました」というアナウンスを市区町村まで喋ったらいいのに・・・などと時々思うのですが、カー用品メーカーあるいは電機メーカーさん考えてくれませんかね?

それはさておき、今回取り上げるのは三鷹市世田谷区境界について。

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▲街路に設置された住居表示案内板より。南が上になっています。

この写真は町中に設置されている住居表示の案内板です。

見ての通り、濃いグレーで示された三鷹市世田谷区に大きく食い込んでいます。いや、世田谷区が食い込んでるのか・・・?どっちでもいいですけど、とにかく複雑な境界になっています。

周辺の地図
Googleマップ

Googleマップでは、境界上に建物があると建物を迂回するように境界線が引かれる仕様のため、境界が実際とは異なっています。

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▲2019年中に開通の道路で、2月下旬現在未開通の道路も書いています

見やすいように書き起こすとこのような感じ。飛び地のように見えて実はちょっと繋がっています。

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住所ではこのようになり、突き出た三鷹市の部分は牟礼(2丁目)となっています。

この境界を不思議に思う人も多いようで、ネット上にはこのことを取り上げたサイトがありました。

デイリーポータルZの記事では、市の担当者もわからない・・・とのことで、ネット上で調べた限り、この答えを導いているサイトはありませんでした。

どうしてなのか気になるじゃない。

現地調査
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右の道路は東八道路で、道路のどこかに境界があります。

この辺りは「武蔵野」の平地で、地形的な特徴はこれといってありません。ただただ平らです。


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三鷹市牟礼が引き千切れそうな部分はこのような境界線だと推測されます。地面に標が刺さっているかなと気にしたのですが、わかりませんでした。

ちなみに写真右の部分で用地買収されていますが、これは外環道建設によるものです。今後このような境界がわかりにくくなる可能性がありますね。

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これは三鷹市牟礼の細長い部分。牟礼の幅は、場所によって異なりますが40mくらいです。

周辺の状況としては、三鷹市世田谷区どちらも畑と住宅地が混在した状況です。生産緑地になっている箇所もありました。


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さらに東へ進むと、朝日生命体育館を突っ切り、ガーデンヒルズというマンション群の東側で三鷹市牟礼の終端となります。

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境界線が突っ切るガーデンヒルズの公開空地案内板には、確かに三鷹市世田谷区どちらの名前もあり、このマンションは境界線上に立っていることがわかります。


[補足] 牟礼のこと
三鷹市牟礼地区は三鷹市域でも初期の村で、1590年頃に牟礼村として成立したとされています。現在の「井の頭」も含む範囲でした。
当時は「牟礼」や「無礼」(あるいは礼の旧字「禮」)のどちらも使われていたようですが、『三鷹市史補・資料編』によれば、1816年に無礼村を牟礼村に統一して使用するよう許可された以降、「牟礼(禮)村」に統一されています。
その後合併し、三鷹村となり、三鷹町を経て、三鷹市になっています。
推測① 用水説 しかし可能性は低い?

昔の争い・・・といえば、何といっても「水」問題。
何かないか探してみると、この地に「品川用水」という用水路が流れていたことがわかりました。

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地図に起こすとこのようなルートで、玉川上水から分水した品川用水は、西から流れてきて、牟礼の細長い地を少しだけ通り、現在の烏山通りに沿って南下して行っていたそうです。

品川用水が辿りつく先は現在の品川区でした。『品川用水沿革史』(品川用水普通水利組合,1943年)を読むと、当時は争いもあったそうで、水の争いは現在の都市部では想像しにくいものです。

この『品川用水沿革史』には、巻末に刊行時の用水の様子が書いてあり、

天神前の神社を過ぎると牟禮の耕地が眼前に展開する。此處らあたりはまだまだ武蔵野の農村らしい姿を殘してゐる。用水路は空濠のやうになつて里道の右に左に屈折して進む。兩側の土揚敷には灌木が叢生し、處々崩れてゐるところがある。久しく手入れも何もしないからであらう。
牟禮の耕地を見下ろすところ、水路は一段高く築造され、下仙川の惡水吐伏樋が下を横断してゐる。
これより進めば少許にして水路も道路も右折し、南下して千歳村に入る。

とあるように、このころには水路としての役目は終えていたようですが、水路敷は確認できたようです。なお、品川用水は1932年に品川用水普通水利組合が解散し三鷹町に移管され、三鷹用水と名乗る時期があったようですが、それは浸透せず品川用水と呼ばれていたようです。その後用水は使われなくなり、埋め立てられた箇所も多いそうです。

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1965年の都市計画図では、水路敷が書かれており、確かにこのようなルートを通っていたようです。

また、この地図では今は無き小字を確認できます。この中に「烏山飛地」があります。


[補足] 烏山飛地のこと
『三鷹市史補・資料編』によれば、
小字名にある場合とそうでない場合とがある。世田谷区の旧烏山村の飛地として開墾された地域で昭和30年代後半にも"烏山飛地"の表示看板が建てられ、北野とは区別した存在を示していた。
とのこと。
今回のことと関係あるか調べたが、文献が見つからないので省略。

ただ、品川用水が複雑な境界線に関係している資料は見つからず、また、用水より長く境界線が出っ張っていること、さらに用水を途中で使われることを警戒していたようですから、境界と用水の関係性は低いのかなぁ・・・と推測します。

推測② 玉川上水の代地説
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これは牟礼地区を歩いていて見つけたもので、三鷹市教育委員会が庚申供養塔の横に設置した案内板の一部です。本来は庚申供養塔の説明のものですが、ここに書かれていた『牟礼村古絵図』が参考になりました。

原本を探して案内板を管理する教育委員会に問い合わせたのですが、一般公開はしていないといことなので、少々画質の悪い案内板の絵図を引き延ばしてみます。

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※北が上になるように回転し、文字を追加した。間違っていた場合はご指摘ください。

そこには烏山村に挟まれて、おそらく玉川上水代地と書かれた文字が見えます。

代地(だいち)とは、江戸幕府が江戸市中において強制的に収用した土地の代替地として市中に与えた土地のこと。
代地 - Wikipedia

とあるように、この牟礼の出っ張った部分は、玉川上水開削にともない失った土地の代替地の可能性があるのではないかと推測します。

ただ、字がよく読み取れないこと、玉川上水開削の記録をあたったものの代地に関する文献は見つけられなかったことから、「可能性がある」だけにとどめておきます。

ちなみにここから一番近い玉川上水は500mほど北側にあり、当時の牟礼村の中央付近を突き抜けていました。

疑問に残るのが、なぜここなのか。なぜ間に烏山村を挟むのか。なぜこの形なのかという点。
そのことははっきりわかりません。

[補足] 北野村のこと
『三鷹市史補・資料編』によれば、
寛文年間(1661~72)に下仙川村の村民が開発した地域で、その頃は"原仙川村"と称していたといわれ、文禄8年(1695)の文禄検地を行った頃、"北野村"として一村をなしたと「稿」には記されている。
とされています。
そのほかの説

そのほか、たまたまそういう風に土地を持っていた説や、地下水が関係する説も聞かれました。

昔の東八道路の延伸予定地だったのでは・・・という説については、都市計画道路が決定するずっと前の江戸時代の地図にもその境界があることと、これまでに東八道路がそのようなルートで計画されたことは一度もないので否定しておきます。

結論

結論は、はっきりと複雑な境界の理由はわからない。ということにしておきます。

個人的には玉川上水の代地説が有力だと思いますが、私程度の調べでは断定できません。今後の研究を頼みます・・・m(__)m

撮影日:2018年12月26日、2019年2月15日ほか 記載内容は執筆時または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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by yunomi-chawan1 | 2019-02-25 00:00 | 地域 | Comments(6)


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