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相鉄・JR直通線の進捗を見に行く

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神奈川県内で行われている相鉄・JR直通線相鉄・東急直通線の進捗状況を見てきました。今回は西谷駅羽沢横浜国大駅の様子です。

写真は西谷駅の西側。奥に見える電車がある部分が西谷駅です。現在の本線の両脇に新しい本線の建設が進んでいました。

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西谷駅の西側には跨線橋(歩道橋)ができていて、そこから撮影しました。

現在の本線は電留線に転用されるようです。北側(写真右側)の新しい線はレールやバラストが敷かれていました。南側(写真左側)はこれからという状況でしょうか。


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分岐駅となる西谷駅の東側から西谷駅を見ています。駅の上には東海道新幹線の線路があります。

現在は工事中で4線だったホームが2線に減っていますが、完成後は4線に戻る予定のようです。真ん中の2つが横浜方面、両脇の2つが直通線のホームになります。


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私の想像以上に直通線が駅を出てすぐに地下に潜り始めていました。駅の横浜方にはポイントなどへ設置されないみたいですね。


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直通線すぐにトンネルに入って都心方面に向かっていきます。写真に見えるトンネル入口部分はレールが敷かれていました。反対側にも同様にトンネルがあります。

この先の羽沢横浜国大駅はざわよこはまこくだいえきまでトンネルが続きます。


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羽沢横浜国大駅は駅建物の建設が進んでいました。手前の道路は横浜市の環状2号線で、駅の向こう側にはJRの貨物駅である横浜羽沢駅があります。


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相鉄線方向に見ています。左側の線路はJRの貨物線です。この駅は地下のため線路などは見ることができません。

正直、現在は駅の周りにこれといった施設がなく、ちょっと寂しいところですが、環状2号線といった幹線道路があったり、鴨居方面への幹線道路の建設も計画されているので、今後何らかの計画がありそうな感じもします。

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都心方面に見ています。JR線との直通線はこっちのほうで分岐・合流するっぽいです。


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羽沢横浜国大駅から東に向かって、貨物駅を越える歩行者用跨線橋があります。この跨線橋は昔からあったものですが、駅ができた際には貨物駅反対側からアクセスするための主要ルートになりそうです。特に横浜国立大学へのアクセスルートになりそうですね。


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上の跨線橋から続く環状2号線を越える部分は駅の建設に合わせて架け替えられたみたいです。



by yunomi-chawan1 | 2018-02-13 18:00 | 鉄道 | Comments(0)

下北沢駅付近 まちの変化2013→2017

鮮度落ちの記事になります。

今年春にいよいよ小田急線代々木上原~梅ヶ丘間の複々線が完成し、ダイヤ改正が行われます。この区間は2013年に地下化し、その後増線部分の工事をしてきました。

今回は、地下化直前の2013年に撮影した場所とほぼ同じところで、2017年11月に撮影してきたので比較したいと思います。

景色の変化で構図がおかしくなっていたり、逆光になっていたりします。ご了承ください。

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▲梅ヶ丘~世田谷代田間

防音壁等が完成し、仮囲いが撤去されています。鉄道信号も移設したのか、2013年にあった場所にはもうなくっていました。

道路等には大きな変化はありませんが、「徐行」の道路標示が薄くなっています。

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▲梅ヶ丘~世田谷代田間の環七通り上「宮上陸橋」

2013年になぜこのような写真を撮っていたのかわかりませんが、似たような構図で再度撮影しました。

道路橋の「宮上陸橋」の横に並行して小田急の鉄橋がありました。現在、鉄道は地下化し架線などが撤去されています。ちなみに、環七通りは小田急線付近で掘割になったままとなっています。

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▲世田谷代田1号踏切から撮影した環七通りに架かる橋

環七通りに架かっていた小田急線の鉄橋部分は遊歩道となっていました。線路があった面影は消えつつあります。

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▲世田谷代田1号踏切

「世田谷代田1号踏切」は世田谷代田駅の西側にあった踏切です。鉄道は当然ながらなくなっています。今は工事用の仮囲いがあるので鉄道があったのが想像つきますが、今後も街並みの変化がありそうな場所です。

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▲世田谷代田1号踏切から世田谷代田駅を見ている

地下化直前は仮ホームになっていました。本来は工事が始まる前に撮影した写真と比べられたらいいんですけどね。

鉄道が地下化すると、駅周辺の騒々しさが減ってちょっと寂しく感じたりします。調布とかもそうだなぁと感じますね。

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▲下北沢駅ホーム新宿寄り端

線路跡地は工事中。下北沢駅周辺は井の頭線の改良や都市計画道路など、今後も街並みの変化が激しそうな場所です。

当時の下北沢駅ホームは狭くて、点字ブロックの外側を歩く人がいて長い時間電車が発車できないことがありました。

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▲下北沢駅ホーム新宿寄り端から新宿方面

当時と全く同じ場所からは撮影できなくなっていたので近くから撮影しています。

地下化するまでは、なかなか開かない踏切と、開いたらどっと流れる人並みがあったのが懐かしく感じます。線路も工事のためぐねっと迂回するようになっていました。

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▲東北沢6号踏切

下北沢駅東側にあった東北沢6号踏切。下北沢駅の乗降者数は地下化後に減少したと聞いていますが、それでもなお通行量の多い場所でした。さすがシモキタです。

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▲東北沢4号踏切

一番街の看板が目立つ、茶沢通りの踏切です。踏切内で道路が分岐する場所でした。地下化後も工事のため踏切の面影を感じられます。

お向かいの居酒屋が生ビール180円を継続していてちょっと感動。

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▲東北沢4号踏切から新宿方面

線路などはさすがにすっかり撤去されています。右側に見える緑色の建物はボクシングジムです。渋滞する電車の車窓に見えたな…と思い出しますね。

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▲東北沢2号踏切に続く道

踏切が撤去され、手前に設置されていた道路標識もなくなっています。そのほか、ヤマザキパンの看板のお店がなくなっていたり、電柱広告が設置されていたり、まちの変化は激しいのです。

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▲東北沢駅仮駅舎

地下化後に一時期だけ使用されることになった仮駅舎です。現在は仮駅舎もなくなって、右の本駅舎になっています。

この場所には今後、交通広場を造る計画のようです。

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▲東北沢駅旧仮駅舎

地下化工事の際に使われていた仮駅舎です。東北沢駅はかつては貨物も来ていた駅らしい(随分と昔の話)ですが、工事着工後様々な変化をして、現在はその面影はありません。

2013年当時あった郵便ポストと奥の電柱がそのまま残っていました。落書きが痛々しいです。

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▲代々木上原3号踏切

東北沢駅のすぐ新宿側にあった踏切です。奥に見える黄色い建物は東電の変電所。

踏切はもちろんなくなり、奥のマンションが新しくできています。撮影に当たってタクシーが来るのを待ってみました(他社ですけどね)。

★ ★ ★ ★ ★

以上、5年前との比較でした。変わっているところもあったり、そのままのところもあったり。今後も変化しそうな場所があったり。改めてまちの変化のスピードに気づかされるとともに、記録しなきゃと感じました。

京王線も着工する前に記録しなきゃな…


by yunomi-chawan1 | 2018-02-01 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

京王 新5000系に乗る

6月末に若葉台に運ばれた京王線の新5000系が9月29日から営業運行を開始したと聞いて、10月2日乗ってきました。若葉台への陸送については過去記事。


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新宿駅に到着した5731F、LED前照灯の明るい光がホーム入線から輝いていました。前面は京王らしかぬフォルムで斜めになっています。

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あとで電車を降りてから撮影した写真。今までの京王線の電車とはひと味違ったフォルムで、新車ということもあってピカピカです。

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車内は茶色を基調とした落ち着いた色になっていました。通路の中央部分にもLCDが設置されていました。椅子が大きくなったせいか若干圧迫感を感じました。通路も狭いのではないかな。

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椅子はヘッドレスもついた6人掛け。一般的な7人掛けより減っています。定員も減っていて、乗っているとやはり窮屈さはありました。この電車は来年春から座席指定列車としても使われる予定です。

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優先座席は固定の3人掛けです。長時間座っていると腰にきました。腰の部分、もう少し膨らみがあった方が個人的にはうれしいかな。都営10-300系3次車以降の方が座り心地がいいかも。

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これに乗った10月2日現在は一般広告は掲示されておらず、LCDも京王線独自の広告が流れていました。

春から始まる座席指定列車、愛称も含めてどうなるか、半年ほど期待ですかね。


by yunomi-chawan1 | 2017-10-03 12:00 | 鉄道 | Comments(0)

返還の動きがある厚木基地引込線をたどる

愛甲石田方面にサイクリングに行った帰り、気になる鉄道路線があったのでついでに見てきました。

その鉄道路線は記事の題名の通り厚木基地への引込線で、相鉄本線の相模大塚駅付近から厚木基地に向かって伸びる貨物線です。数か月前、返還に向けて動き出しているというネットのニュースを見て気になったのです。以前1度見たことはあるのですが、正式に返還される前にじっくり見ておこうと行ってみました。


この記事は2017年9月23日に公開したものです。該当地については平成29年9月30日に返還されました。詳しくは防衛省自衛隊HP。http://www.mod.go.jp/j/press/news/2017/09/29a.html
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▲厚木基地の引込線の位置

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引込線の厚木基地に接する部分。基地に向けては柵でふさがれ、基地内の線路は既に撤去されているようでした。結構最近まで基地内にも線路があったようですが。

そもそもこの引込線は基地への燃料輸送のための線路でしたが、1998年以降列車は走っていないようで休止状態が続いてるそうです。まだ廃止にはなってないようです。

ここから相鉄本線に向けて順に追っていきます。

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こちらは基地に一番近い踏切。踏切の警標や警報灯もそのまま残されています。まだこの線路が使われていた当時にあったのかわかりませんが、遮断機はありませんでした。


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踏切には「CAUTION」と英語も書かれています。


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線路はカーブして相鉄本線方向に進んでいきます。線路は全線単線で、写真を見るとわかるように架線が張られています。

休止になった当時も電化されていたようですが、現在でも比較的綺麗な状態で架線が張られているのを見ると、現在もメンテナンスがされているんですかね。

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路線には第4種踏切なのか、勝手踏切なのか、通り道が何か所かありました。


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カーブを曲がり終えると東名高速道路を越えることになります。右に見える防音壁が東名高速道路です。

東名高速道路の側道にも踏切が設けられています。


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東名高速道路を越える部分は橋になっています。高速道路を走っていてこの線路の架線に気づくドライバーもいることでしょう。上り線の大和トンネルの手前です。

この引込線自体は東名高速道路ができる前からあるようです。現在でも線路も比較的綺麗で、20年近く列車が走っていないとは思えない状態でした。

米軍基地への引込線といえば横田基地があり現在でも列車が運行していますが、そこと比べても結構綺麗な状態に見えます。横田基地のは電化されていませんでしたね。

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東名高速道路を渡った反対側の側道にも踏切があります。


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さらに相鉄線方面に進むと、木が覆っている場所がありました。ここが一番休止線みたいな場所ですかね。


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またさらに進んで踏切。こちらは北側には警標とかは設置されていませんでした。


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さらに進んで県道40号線の踏切です。「踏切あり」の標識も設置されています。一般的に車は踏切で一時停止の義務がありますが、ここで一時停止している車は10パーセントくらいでした。列車が走らなくなってから暫く立ちますが、まだ一時停止の義務はあるんですかね?ただ標識はありますしどうなんでしょうか。ちょっと危ないかもしれませんね。

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県道40号から見た線路はこんな感じ。草こそ生えているものの比較的綺麗な状態でしょうか。

鉄道用の機器の箱と思われる装置も設置されています。


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さらに進んでまた踏切。


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さらに進むと相鉄本線の線路脇に合流します。この写真は厚木基地方面に向いています。引込線入口部分は工事用フェンスでふさがれていました。


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引込線はそのまま暫く相鉄本線と並行して続いていました。写真の一番左の線路です。側線ですかね。当時は相模大塚駅から一度側線に入ってUターンして厚木基地に向かっていたのでしょうかね?


さて、この線路の返還について。詳しくは下記記事で書かれています。
厚木基地1・3ヘクタール返還へ日米が合意|カナロコ|神奈川新聞ニュース
http://www.kanaloco.jp/article/264532

ここ近年でも、由木通信所の全部返還があったり、多摩サービス補助施設の一部返還もあったりしていますが、近いうちに正式に返還されるでしょうかね。


by yunomi-chawan1 | 2017-09-23 00:00 | 鉄道 | Comments(1)

京王 新5000系の入れ替え

電車を待っていると京王 新5000系が入れ替えのため車庫から出てきました。

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聞いた話だと、陸送後編成が完成し車庫内での試運転や夜間本線試運転をしているようです。やっと顔を見ることができました。

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光の反射がすごいですね。

京王らしくない顔立ちでなかなかイケメンです。内装も今までとはちょっと違っているのがわかりました。早く乗ってみたいものです。

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車両はすぐに車庫の方へ戻っていきました。


by yunomi-chawan1 | 2017-07-15 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

京王線仙川~調布駅間の旧線跡をたどる

 京王線の仙川駅~調布駅間にはかつて電車が走った場所「旧線」が存在します。1913年(大正2年)4月15日の京王線の開通から、1927年(昭和2年)12月17日に現在のルートに移設されるまで使用されたらしいです。

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a0332275_00090388.pngこの地図は2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図の一部を使用したものである。

 旧線は仙川駅を出るとそのまま直進。甲州街道を越えその北側を走った後、再び甲州街道を越え、現在の京王線ルートに合流していたようです。使用された期間はわずか14年程度と短く、現在のルートになってから90年近くが経過し、あまり知られていないのではないかと思います。

 ということで、京王線旧線を辿ってみることにしました。調布駅側から仙川駅にかけて歩いたので、その順番で書いていきます。

調布駅~布田駅(停留場)
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 調布駅から現在の線路を新宿方面に進みます。

 調布駅付近は2012年(平成24年)8月に地下化され、現在は地上で電車の姿を見ることができませんが、線路跡は多くの場所で空き地で残されています。今回探索するのは地下化した線路跡ではなく、90年前まで使われていたそれより古い線路です。

 しばらく進むと、現在の調布駅と布田駅の中間付近で北側に鉄道用地の膨らみが現れます。この膨らみは地下化工事に伴ってできたものではなく、90年前までここで線路がカーブしていた名残のようです。ここでカーブした後は仙川駅付近までほぼ直線で進みます。

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旧線は旧甲州街道を越えます。現在は「布田駅前」という交差点になっています。この付近に当時の痕跡は見つかりませんでした。

この旧甲州街道は当時はメインの道で現在の甲州街道はありませんでした。『調布市百年史』によると、現在の甲州街道の開通は1955年(昭和30年)3月のようで、京王線旧線が移設されてからしばらく経ってからになります。その影響なのか、街道沿いでは市街化が進み、戦中の航空写真で線路跡がわかっても、現在の航空写真では線路跡を判別するのが難しいほどまでになっています。

交差点角の奥に見えるのは「医王山 常性寺」で、この付近に当時の布田駅(布田停留場)があったようです。

布田駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
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当時の布田駅からさらに進み、現在の甲州街道を越えます。既に述べたように、当時はこの道路は開通していませんでした。

スバルの自動車販売店付近をそのまままっすぐ進み。この先で旧国領駅(停留場)があった場所へとたどり着きます。

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甲州街道の北側に旧国領駅の跡があります。現在は当時の痕跡はほとんどありませんが、ここに駅があったことを示す標が建てられていました。

標には「京王線旧国領(北浦)駅跡」とあり、その両脇にも説明書きがありました。説明書きは以下の通りです。

 ここは、京王線が大正二年四月十五日、笹塚・調布市間で運転を開始したとき、地元民の用地提供によって設置された停留所跡地である。
 当時の京王線は、仙川駅西方から現在の滝坂に沿って坂を下り、甲州街道の路面を通り、西つつじヶ丘三丁目西端で甲州街道の北側に入り、当地を経由、国領一丁目西で甲州街道を横切り、調布駅の東側で現線路に接続していた。
 その後、昭和二年十二月、滝坂の急坂と道路併用を改良するため、甲州街道の南側に線路が移設されたのに伴い廃止された。
 この停留所名は一時、「北浦」であったといわれている。会社は当初「国領」としたが、地元の強い要望によって字名の「北浦」と変更した模様である。その後、いつ「国領」と改めたのかは明確ではないが、大正六年の初めごろ、ここと調布との間に「布田」(常性寺前)を新設し、またいくつかの停留所名を改称したのと時を同じくして改められたと思われる。
 したがって、「北浦」は極めて短時間の停留所名であったと推測されている。

 「北浦」が「国領」に改められた時期は明確ではないとされていますが、1917年(大正6年)の地形図(上に掲載)には、現在の国領駅が「北浦」、布田駅が「国領」と書かれています。当時の駅名はうまく固定されていなかったことが伺えますが、下記のサイトが参考になったので紹介させていただきます。

a0332275_23220705.jpgこの地図は国土地理院の基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新の建物輪郭を使用し編集したものである。

 このさき、西つつじヶ丘の甲州街道までほぼ直進します。ここからの区間は、昔の線路跡の土地の形がよく残っていて、航空写真で見るとこの部分だけ家の配置に違和感があります。左の図は建物の輪郭だけを抽出したもので、これでもよくわかりますね。ただし、知らずに街を歩いてもそう簡単にわかるものではなさそうです。

 この国領駅跡の標の右側のアパートも、アパートの土地が線路跡に沿うような形になっています。

国領駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
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 旧国領駅を出ると、現在は調布郵便局になっている裏側を通ります。写真の左側はデニスコートで、その奥に調布郵便局があります。 当時の線路はこの道路の中央あたりから左側にあったのではないかなと思います。航空写真で見ると線路の跡のようなものがわかります。

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 その先でも住宅地が線路の跡に沿うように建っています。左の奥の方に見えるのは現在の国領駅前のタワーマンションです。現在の国領駅は市街地再開発事業や線路の地下化でかなり発展しました。

 戦時中の航空写真を見てもこの旧線の周囲には田畑が広がっているようなので、大正~昭和初期にかけてはどんな景色だったのか想像をするだけでも楽しいですね。

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 線路は現在の調布第七中学校の敷地にぶつかります。調布第七中学校は1976年(昭和51年)に開校した中学校です。

 中学校の敷地には、昔京王線が通っていたことを示す標が建てられていました。

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 中学校の反対側には大き目の看板もありました。このようにして過去の地域の歴史を知らせる看板の意義は大きいと思います。ただ、「金子停留所もあったはず」という書き方を見ると信用していいものなのか・・・?

 中学校の敷地を抜けると野川を渡ります。現在の野川は完全に整備されていて当時の面影を知ることはできません。

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 その先は現在は住宅地になった場所を通り抜けます。一部だけ家の向きが他の家と比べて斜めっているところがあり、そこが京王線が走っていた場所だとわかります。
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 京王線の跡はやがて佐須街道(深大寺通り)と交差します。このアパートの場所に旧柴崎駅があったようです。当時の電車は今ほど大きくなく長くもなかったようですが、どのあたりにホームがあったのかも今は見当がつきません。

現在この辺りはちょっとした商店街となっています。

柴崎駅(停留場)~金子駅(停留場)
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 この写真は今年オープンした商業施設「クロスガーデン調布」の屋上駐車場から調布方面に向かって撮影したものです。

 手前には調布自動車学校の教習コースがあり、そこから京王線跡の幅と同じ敷地と繋がって奥に教習車両置き場があります。

 その奥に向かって地平線に見える大き目の建物が密集している場所が調布駅です。ここから見ると京王線旧線の跡がなんとなくわかるような感じがしますね。ほぼ直線的に調布駅付近まで繋がっていたことがわかります。

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 さらに新宿方面に進むと甲州街道に合流します。ここから暫く甲州街道の上を路面電車のような形で走っていたようです(併用軌道)。

 『京王帝都電鐵三十年史』には、

 この国道併用部分および勾配を除く工事に着手した。たまたま甲州街道の拡幅工事が行われたので、これを機会に軌道を街道南側に移設して専用軌道としたのである。工事は、現在のつつじヶ丘駅付近に盛土を施し、ここに軌道を移して、仙川の西側切通りから国領までを一直線に改めた。
とあるように、当時からここがネックになっていたことがうかがえます。なお、東京オリンピックの際にも甲州街道は拡幅されているようです。

 また、このころ京王線では玉南電鉄(府中~東八王子(現:京王八王子)間)の開通と合併、京王閣遊園地も開業するなど沿線状況も変わっていたようで、『京王電気軌道株式会社三十年史』には、

 尚其の他の企畫(業)、工事としては、笹塚―代田橋間の府道の平面交叉を立體(体)交叉に改良のため、橋梁を敷設して勾配を取り除き、仙川―柴崎間壹粁八分の急勾配を六十分壹に改め、金子附近の國道併用を避けて新たに専用線路を敷設し、更に、近くは昭和拾壹(11)年九月初臺(台)―幡ヶ谷間の併用軌道を専用軌道に移設する等、乗客の利便のために巨費を投じて大々的改良工事を敢行し、又自動信號(号)機を設置し輸送の安全を圖(図)る外、車輛を増加し、サービスに遺憾なきを期した。
とあるように、設備増強の時期を迎えていたことがわかります。また、1931年(昭和6年)には御陵線も開通(現在は一部廃止)しました。このころには新宿~府中間で木柱を鉄柱に改めるなどしていたようです。

 引用文中の急勾配はこの先登場します。(引用は一部現代漢字を追記した)

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 線路は甲州街道を進み、現在のつつじヶ丘駅の北側付近に旧金子駅跡がありました。

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 金子というのは古くからの地名のようです。京王線が現在地に移設した後もしばらく金子駅のままでした。

 京王線が現在の位置に移設後、1950年代に入って車両を4両編成化することになります。その際、2面4線だった千歳烏山駅の拡張は困難であったことから金子駅を2面4線にして増強することになりました。ホームの拡張は駅を新宿方面に80m移設、ホームと駅舎は地下道で結ばれることになり、1957年(昭和32年)5月15日から新ホームで営業を開始しました。この時に既に6両編成に対応する土地を確保していたようです。また、千歳烏山折り返し電車と急行退避をこの駅で行うようになります。

 これと同時に駅の名前を「金子」から現在の「つつじヶ丘」に改称されています。

 当時の京王の情報誌『京帝たより』には

 十五日から「つつじヶ丘」と駅名を改称するが、これは現在八高線にも金子という同名の駅があり連絡運輸上混同する恐れがあるため、さらに近く分譲する「つつじヶ丘」高級住宅地下車駅として駅名の明確を期するものである。
とあります。現在では地名もつつじヶ丘になり、金子はバス停名や郵便局名などに残る程度になっています。

金子駅(停留場)~仙川駅
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 金子駅を出てもしばらく甲州街道を走行後、甲州街道を南側にそれます。この付近は河岸段丘により急な坂道になっていて「滝坂」と呼ばれています。当時の甲州街道は旧道を通っていて自動車が走る前から難所だったようで、新道に付け替えられて勾配が緩やかになっています。

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 京王線もここの急勾配が大変だったことが、上記引用からもわかります。京王線があった方の坂は現在は道路になっていて、「売地の坂」と呼ばれているようです。

 写真奥に見えるのはキユーピー仙川工場跡地にできた「仙川キユーポート」です。その手前で現在の道路は都道と交差していますが、京王線が走っていたころは道路の橋をくぐっていたようです。そのため頂上付近は当時より勾配が急になっています。


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 滝坂を上りきると現在の京王線と合流します(写真矢印より奥かもしれません)。当時はキユーピーがある場所を一部通っていました。キユーピーの工場閉鎖と建て替えに伴って現在はよくわかりませんが、工場時代の建物は線路敷地の形跡がなんとなくわかります。

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 現在の仙川駅です。掘割式の駅になっています。


参考資料(50音)
基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新
国領か 仙川か Oka Laboratory 備忘録
 http://okalab.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e8b7.html
『せんがわ21 第14号 特集・せんがわ界隈史』
 1993年(平成5年)9月 せんがわまちニティ情報センター 編
『多摩の鉄道沿線 古今御案内』
 2008年(平成20年)7月28日 今尾恵介 著
『2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図』
地理院地図
 https://maps.gsi.go.jp
『京王帝都電鉄30年史』
 1978年(昭和53年)6月1日 京王帝都電鉄株式会社総務部 発行
『京王電氣軌道株式會社三十年史』
 1941年(昭和16年)3月20日 京王電氣軌道株式會社 発行
『京王風土記』
 1954年(昭和29年)4月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第39 』
 1956年(昭和31年)5101日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第46号』
 1957年(昭和32年)5月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『調布今昔写真集』
 1974年(昭和49年)3月31日 調布市教育委員会 発行
『調布市百年史』
 1968年(昭和43年)10月1日 調布市役所 発行
『東京都調布市立滝坂小学校 創立百周年記念誌』
 1973年(昭和48年)8月4日 調布市立滝坂小学校創立百周年記念事業協賛会 発行

著作権の関係上難しい部分があるため載せていませんが、上記資料の中に当時の写真などがあります(旧布田駅、旧金子駅、滝坂周辺等)。参考にしてみてください。


by yunomi-chawan1 | 2017-07-03 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

京王線 新5000系陸送(6/26)

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6月26日の未明、京王線の新型車両である新5000系2両の陸送が行われました。

2両のうち1両は先頭車両でしたが、白いもので覆われて様子を見ることはできませんでした。

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後日、駅構内の入れ替えも行われていました。


by yunomi-chawan1 | 2017-06-30 13:00 | 鉄道 | Comments(2)

小田急小田原線の新百合ヶ丘旧線をたどる

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今年4月に150万都市となった神奈川県川崎市。全国的な人口減少の中、人口が増えているそんな川崎市の北の副都心「新百合ヶ丘」、通称「しんゆり」に小田急小田原線の古い線路跡がある。

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新百合ヶ丘駅が開設されたのは1974年(昭和49年)のこと。多摩ニュータウンへのアクセス路線として多摩線の建設が検討された際、百合ヶ丘駅付近からの分岐が考えられたが、当時付近はS字カーブで運転の支障になることが懸念されたため線路を付け替えそこに新百合ヶ丘駅が開設された。

新百合ヶ丘駅開設までは小田急小田原線は津久井道(世田谷町田線)にそってS字カーブをしていた(地図上赤破線)。

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出所の明示:この地図は国土地理院発行の『25000分の1地形図(溝口)昭和41年改測』の一部を抜き出して使用したものである。

線路が付け替える前の地形図を見てもその線形がよくわかる。当時のこのS字カーブは旧型の電車では難所でもあったというのは昔何かで読んだ。

小田急線開業当初は柿生駅~読売ランド前駅(当時は西生田駅)まで駅がなく人家も少なかったようだ。この地図は百合ヶ丘駅もできて住宅地ができ始めているころだ。新百合ヶ丘駅はもちろんない。


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イトマンスイミングスール新百合ヶ丘校前の歩道橋から柿生方面を見る。

右側に津久井道があり、この先で右側に逸れていく。小田急線はこの津久井道に沿っていたと思われる。


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大きくカーブした線路は現在フィットネスクラブがある場所へ抜けていたと思われる。その角には今でも小田急電鉄の三角形の土地が残っていて、当時の面影が若干あるように思えた。


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カーブした線路はこんどは逆向きにカーブし始めるが、しばらくの間面影らしいものはなくなる。一部は区画整理で面的に整備されたところもあり、当時の航空写真を見ても線路付け替え後早期から面影が消えている場所も見受けられる。

この写真では写真に写る遊歩道と右側の建物敷地にかけて線路用地だったようだが、もう全然わからなくなっていた。

区画整理であるが、この地区でまちづくりが始まったのは1969年(昭和44年)に地元地権者による「農住相談会」が結成されてからだ。これは小田急線が線路付け替えをする前である。

1972年(昭和47年)には区画整理組合準備会を結成、1974年(昭和49年)の新百合ヶ丘駅開設後も「農住都市構想」を母体としながら、1977年(昭和52年)4月に新百合丘駅周辺土地区画整理組合の設立が認可され、1984年(昭和59年)5月までの間「川崎都市計画事業新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業」が行われた。施行区域は約46.4ha。

1981年(昭和56年)には上物建設や管理運営を行うため地権者らで「新百合丘農住都市開発株式会社」を設立。現在ではイオン(ビブレ)の入る建物の所有者でもあるようだ。

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そんなこんなで、現在の新百合ヶ丘の整理された街並みができたのは、住民らによるまちづくりがなされた結果なのかもしれない。

さて、新百合ヶ丘駅から北へ伸びる道との交差付近。この正面ビルの右側付近に線路があったようだ。


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1枚上の写真から回れ右をした景色。ここは正面の道路の左側が区画整理の施行範囲で、右側はそうではない。右側の方は若干ごちゃついているように見える。

線路は右側のコインパーキングとその右側あたりを奥に通っていたようだ。コインパーキングの敷地が線路1つ分の幅に見えなくもない。

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道なりに進む。この道は古くからあったようで、古くの津久井道でもあるようだ。線路はこれの右側らしい。本当に線路の面影がない。

このあたりには少し前までイトマンスイミングスクールがあり私も通っていた。10年ほど前に現在地に移転した。現在跡地はマンションとなっている。マンションの向こう側に現在の津久井道が通っている。

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しばらく進むと麻生警察署前の通りにぶつかる。当時ここに道はなかった。現在のスエヒロ館のほうへ進む。


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スエヒロ館の裏側で麻生川を越える。現在、支流と合流する付近で交わっていたと思われる。当時の航空写真を見るとまだ河川改修をしていなかったようなので、護岸にも当時の形跡は感じられない。


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そして2度目の麻生川を越える。この辺りの河川改修が当時完了していたかどうかは航空写真から判断しにくい。ただ、当時交差していたと思われる付近は護岸が若干異なっている。何らかの形跡なのかもしれない。


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ここまであまりにも当時の痕跡が少ないので、法務局に行ってこの付近の公図を取ってきた。そのまま載せるわけにはいかないのでその線を書き出してみると、ピンク色に着色した部分の地番が妙な線形になっていた。現在はマンションや自動車販売店として使われている。

土地の幅も線路用地の幅とほぼ一致するので、もしかしたら地番として当時の面影が残っているのかもしれない。


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この先、工務店の用地を抜けると、現在の航空写真でも確認できる縦長の土地が柿生方面まで続いている。現在は放置自転車の保管場や、ソーラーパネルが設置されている。


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小田急多摩線の高架橋をくぐり現在の小田急小田原線に近づく。かつての線路部分は保線場として利用されていた。


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旧線の柿生側の分岐部分はこんな感じ。現在ある保線場に分岐する線路がある。かつては坂を上らずそのまままっすぐ線路が伸びていたのだろう。

線路の移設から40年余りが過ぎ、当時の面影はほとんどない小田急線の旧線だった。線路の付け替えによって誕生した「新百合ヶ丘」も当時からは想像がつかないほど発展したのだろう。このころに行ってみたいな…と。


参考資料
・『25000分の1地形図(溝口)昭和41年改測』
・『新百合丘-ふるさとの心が鼓動するまちづくり-』著者:地域社会計画センター、出版:川崎市企画調整局、1984年
土地区画整理事業>完了した土地区画整理事業>完了地区概要-川崎市
・地籍図-川崎市麻生区古沢地内の一部
地図・空中写真閲覧サービス-国土地理院
・『ふるさとの心が鼓動するまちづくり-新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業のあゆみ-』編者:新百合丘駅周辺土地区画整理組合、出版:新百合丘駅周辺土地区画整理組合、1985年

by yunomi-chawan1 | 2017-06-14 00:00 | 鉄道 | Comments(2)

調布駅付近連続立体交差 5年前との比較

5年前の夏に行われた調布駅付近連続立体交差事業の線路切り替え。

線路が地下化してからしばらくたちますが、当時撮った写真と比較して現在どうなったのか見に行ってみました。

左側が2012年に撮影したもの、右側が2017年に撮影したものです。当時の構図に合わせて撮影したため、構図が変になったものもあります。

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▲京王線と相模原線が分岐する踏切

京王相模原線が京王線から分岐するところにあった踏切の場所です。当時の調布駅は平面交差だったため、この付近で信号開通待ちとかよくありましたね。この踏切もよく閉まっていたイメージです。

当時の線路跡には現在ビックカメラを核テナントとする京王電鉄による商業施設が建設中。つい最近まで線路跡は空き地の状態でしたが、駅の周辺はだんだんと景色が変わりつつあります。

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▲相模原線分岐点の踏切から京王八王子・橋本方面

1枚目の写真の場所から反対方面を見ています。2012年の写真は地下化当日のもの。

この場所には「映画の街 調布」を代表する「シネマコンプレックス」が建設中で、この秋にも開業する予定です。そのほか、横断する道路は綺麗に舗装が直されています。

線路跡はこの先の西調布・京王多摩川方面にかけて暫定駐車場くらいにしか使われていないのが現状で、これからどうなっていくのか気になるところです。

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▲調布-布田駅間

右側が調布駅方面、左側が布田駅方面です。線路は地下化され現在はアスファルトで覆われています。この辺りは特に利用も図られていないようです。当時、調布駅止まりの電車はこの本線上で折り返しをしていたため、そのための渡り線が見えます。

当時あった特徴的な建物が現在でも目印になりました。

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▲調布-布田駅間から調布駅方面

当時あった踏切から調布駅方面を見ています。

右側のアパートや当時のマンションはほとんどそのまま残っていますが、調布駅付近で新たなビルが建設されて遠景がちょっと変わっています。当時の線路跡には地下の換気口のほか、調布駅直上では商業施設が絶賛工事中です。

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▲調布-布田駅間から調布駅方面

線路跡は資材置き場として利用されていました。当時ひっきりなしに電車が来ていたのが懐かしく思えます。よく電車が詰まっていたよね。

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▲布田駅舎

地下化直前は仮設の橋上駅舎でした。現在は地下駅となって、駅舎もシックな感じになっています。

実はこの2012年当時の写真の中に、現在と比較できるものが何一つと写っていませんでした。似たような場所から道路標識を対象に撮影してみましたが、この道路標識も移動しているのは明らかです。おそらくこれより30mほど西側なんじゃないかなと思います。

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▲布田駅西側から布田駅

当時の布田駅は対面式でした。この辺りはシールドトンネル区間なためか、地上部は掘り返したようなあとはそこまでありませんでしたね。

この辺りも現在は暫定駐車場として利用。今の写真は何を撮っているのかわからないような構図になってしまっています。

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▲国領駅西側の狛江通り

狛江通りは踏切で渋滞することもありましたが、その渋滞も現在はほぼ解消しています。

国領駅前には駅前広場が整備されました(写真左側)。

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▲国領駅ホームから調布駅方面

地下化直前の国領駅ホームは島式。工事が始まる前は対面式ホームだった記憶があります。

当時撮影していた場所は駅前広場の車道になったため、近くから撮影。

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▲国領駅

当時の国領駅ホームの場所は駅前広場になりました。右奥の商業施設が見えます。この真下にいまのホームがあるのでしょう。

国領駅はこの2年ほどで当時とは想像もつかないほどきれいな駅になりました。こんなに賑わっていたかな・・・と思わなくもない。

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▲国領駅の南東側の回転場

国領駅の南東側には小さな回転場がありましたが、現在でもほぼそのままの状態で残っていました。

線路が地上にあったときは道路が行き止まりになっていてそれの回転場だったのだと思うのですが(長さ何メートルで回転場を設けなければならないと決まっている)、線路が地上からなくなっても行き止まりは解消していませんでした。この先の道路につなげる気もないのでしょうかね?

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▲連続立体交差事業の東の端

地下化が始まる区間の東側、新宿側の端です。

調布駅付近の地下化は仮線を造らず営業路線の真下にトンネルを掘る方式だったため、地下化直前期でも入口は蓋をしてその上を電車が走っていました。

現在、この写真を撮影した踏切の真下では都市計画道路が建設中。その道路が完成したらこの踏切もどうなるのか・・・わかりませんね。


by yunomi-chawan1 | 2017-05-19 14:30 | 鉄道 | Comments(0)

田んぼの中の相模線入谷駅

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神奈川県座間市、JR相模線の入谷いりや駅を訪ねた。

神奈川県の茅ヶ崎から海老名を経由して、相模原市の橋本まで繋ぐ単線の相模線。その海老名駅から一駅だけ橋本駅側にあるのが入谷駅だ。

海老名は最近、ららぽーとが開業したり、タワーマンションが建ったりして県央のにわかに熱い地域だが、この入谷駅の周りは田んぼ。駅の周囲に商業施設は一切ない。

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駅の入口はこんな感じ。

階段を数段上がるとホームがあり、切符改札機も券売機も存在しない。駅前には無料の青空駐輪場があってたくさんの自転車がとめられていた。そこそこの利用客がいるみたいだ駅入口の向こうには大山が見える。

この駅自体は、高圧送電線の「相模川線」をたどっていた時にすぐ脇を通り抜けていたので初めてというわけではないのだけど。

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切符改札機や券売機はないけど、ホームに乗車駅証明書発行機とICカードの読み取り機は設置してある。使用済み切符のための回収箱はあった。

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ホームは直線1面1線の棒線。4両編成の電車が停車する。

ネットで調べた限り、相模線に気動車が走っていたころとは屋根が延長されたのと歩道橋(跨線橋)が設置された程度で、駅も駅の周りもほとんど当時と変化がないみたいだ。

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そうこうしていたら、海老名方面から橋本行電車が到着。数名の乗客を乗り降りさせて走っていった。

神奈川県で一番田舎っぽい駅なのかなぁと。

相模線では無人化が進み(JR東日本全体の話だが)、旧来の木造駅舎の建て替えが進んでいるそうだ。


by yunomi-chawan1 | 2017-05-12 06:00 | 鉄道 | Comments(0)


「まち」の変化を追っていきます


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