「東八道路が下本宿通りを通る計画だった」という話は本当か

はじめに
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三鷹市杉並区では、図の場所では2018年12月現在、東八道路放射第5号線の新設工事が行われています。また高井戸インター(出入口)方面にかけて改修工事も行われています。

このブログでは何度か工事の様子を記事にしてきました。

工事の様子一覧はこちら
放射5号・東八道路
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なお、「東八道路」というのは東京都が1984年(昭和59年)に設定した通称道路名であり、牟礼橋付近~国立インター入口交差点までが設定されています。

一方、都市計画上は、三鷹市内(≒三鷹都市計画区域内)三鷹3・2・2号東京八王子線23区内(≒東京都市計画区域内)放射第5号線として都市計画決定しています。
このほか、八王子方面にかけて連続的に都市計画決定していて、将来的には高尾山付近まで1本の道路で繋がれることになります。ちなみに「東八」というのは京都心と王子を結ぶことから付いた名前です。

東八道路は下本宿通りを通る計画だったのか
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さて、現在の都市計画道路は牟礼橋のところで大きく北へ迂回し、玉川上水沿いに計画決定されています。

一方、ネット上の掲示板やサイトなどでは、

もともと下本宿通りの方を通る計画だったが、住民の反対運動によって玉川上水沿いに変更された。

などと書かれたりしています。果たして本当か。そんな資料は見たことがありませんでしたので調べてみました。

結論を言うと うそ でした。

東八道路放射5号の歴史を探ってみましょう。

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▲現在の下本宿通り


都市計画の誕生と原型

●戦前の計画

東京区部では関東大震災以降、震災復興計画で1927年(昭和2年)に街路網が決定されます。

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放射第5号線は現在の甲州街道旧甲州街道に沿って幅25mの道路が計画されているのがわかりますが、まだ甲州街道の途中から分岐した計画にはなっていません。

また、このほか1930年~1943年にかけて決定された、碁盤の目状の細道路が図に書かれているのがわかります。

この当時は三鷹方面はまだ都市計画そのものが存在していません。

●現三鷹市内の計画決定

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一方、三鷹方面では、1938年(昭和13年)に都市計画法の適用を受け、1941年(昭和16年)1月11日に都市計画街路が決定します(内務省告示第6号)。

なお、当時は武蔵野、三鷹、小金井、保谷、田無で武蔵野都市計画区域を形成していました。その後それぞれで分離し都市計画区域となっています。三鷹は1950年(昭和25年)に市制施行により分離。※保谷と田無は合併に伴い統一。


決定時の理由書には、

理由書
武蔵野都市計画区域ニ包含セラルル武蔵野町、三鷹町、小金井町、田無町及保谷町ノ五箇町ハ帝都ノ西方ニ隣接シ共ニ好適ナル住宅地ニシテ帝都ノ発展ト密接ナル関係ヲ有シ近年此ノ地ニ移住スル者激増シ且随所ニ工場ノ蝟集ヲ見、発展ノ趨勢頗ル顕著ナルモノアリ
然ルニ道路ハ幅員狭小ニシテ連絡系統ヲ欠キ交通上ノ不利、不便尠カラザルヲ以テ茲ニ都市計画区域内全般ニ互ル街路網及広場ノ計画ヲ樹立シ以テ都市構築ノ根幹タラシムルト共ニ防空、防災乃保健増進ニ備ヘントスルモノナリ
(後略)
※一部文字を現代のものに置き換えた

と、されています。

このときに66路線が決定しています。この中には東八道路の原型となる計画が含まれています。

図の下側に東西に横切るのがそれで、1等大路第2類第1号線(1・2・1号線)として、三鷹町大字仙川を起点として小金井町大字貫井を終点とする幅員30mの計画です。

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ただし、現在の東八道路(赤破線加筆)と比べてみると、やや北側を通っていることがわかります。これは一部を人見街道に沿ったルートです。
また、東側区間は途中で南下したルートとなっています。

また、このときの計画決定では、玉川上水に沿って広路1号広路2号が決定しています。これは幅員50m(ただし水路敷を除く)でした。

●現23区内の玉川上水沿いの道路計画

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1942年(昭和17年)4月22日には、現23区内の玉川上水に沿って道路が決定されます(内務省告示第220号)。

決定時の理由書には、

理由書
帝都ニ於ケル人口ノ集中ハ随所ニ密住地ノ簇出ヲ見、爲ニ市民体位ノ低下ヲ來スノミナラズ火災ニ対スル危険ハ益々増大シ洵に憂慮ニ堪ヘザルモノアリ
仍テ市内河岸景観地ノ内先ズ呑川、玉川上水、千川上水、石神井川ヲ選ビテ沿岸道路ヲ新設又は拡幅シ、之ニ植樹ヲ施シ市民ノ体位向上ノ一助タラシムルト共ニ都市ノ防火ニ備ヘントスルモノナリ
※一部文字を現代のものに置き換えた

と、あるほか、計画方針には、

計画方針
一 河川沿岸値旧街道等ノ並木街ヲ選定セリ
二 十五路線程ヲ選ヒ今回ハ其ノ内四路線ヲ選定議題ニ供セリ
三 幅員ハ河川敷等ハ之ヲ包含シテ全幅五十米ヲ原則トセリ
四 保健道路ハ歩行者専用ヲ旨トスルモ自転車道・乗馬道ヲ適宜考慮セリ一般ノ高速車ハ全々許容セズ即チ一般街路系統ト分離考慮セリ
五 市内中央近カクヲ郊外ニ向ヒ放射的ニ選定セリ
六 沿線ニハ風致景観ノ地ヲ多ク求メタリ
七 本計画幅員ニハ現在国有地タル河川敷乃水路敷ノ幅員不規則ナルヲ以テ計画道路ノ外側間ノ距離ヲ道路幅員トシテ表示セリ
八 計画ヨリ除外セル国有地(河川敷乃水路敷)ト雖モ必要ニ應ジ適宜架橋ヲナシ両岸道路ノ連絡ヲ図ルモノトスル
※一部文字を現代のものに置き換えた

とあります。書いてある通り、この計画は幅員50mの歩行者道路で、市民の健康向上と都市防火を目的としていることがわかります。ただ、戦時中なので防火目的が大きかったのかなぁとも思います。このとき同時に、千川上水、石神井川、呑川も同様の計画が決定しています。

玉川上水沿いについては保健防火道路第2号玉川上水線として約5,790mの道路計画が決定し、武蔵野都市計画の広路1号と接続しています。

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▲この時点での付近の計画(関係するもののみ)

戦後の計画

●戦後復興計画

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戦後、1946年(昭和21年)3月26日には、戦災復興都市計画として東京に放射線街路・環状線街路が決定します(戦災復興院告示第3号)。この中には放射第5号線も含まれています。

当時の放射第5号線麹町区麹町2丁目を起点とし、世田谷区烏山町・北多摩郡三鷹町界までで、起点~四谷区四谷2丁目までは幅員100m、四谷2丁目~終点までは幅員50mでした。

ルートは起点から概ね、甲州街道に沿って計画されていますが、途中芦花公園駅付近のカーブで直進し甲州街道から分岐しています。またその先で三鷹の1・2・1号と接続しています。

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放射第5号線が決定した1年後の1947年(昭和22年)11月26日には、補助第129号線補助第130号線が決定しています(戦災復興院告示第128号)。

このとき戦前の計画は引き継がずすべてリセットされているようで、現在の計画図書を見ても当初決定はこのころとなっています。

1960年代の全面的な計画変更

1960年代になると、東京都内全域の都市計画道路の改定が行われます。

●三鷹の全面改訂

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三鷹市では1962年(昭和37年)7月26日に全面的な改定が行われます。

1941年(昭和16年)に決定していた都市計画道路をすべて廃止し、都市計画道路が新しく決定しています。※変更という扱いではない

東八道路にあたる道路計画は三鷹1・2・1号として決定します。ルートは現在の東八道路とほとんど同じものの、起点が現在の杏林大学病院北交差点となり、区部には接続していません。

また、広路第1号線、第2号線についても廃止されています。

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●区部の改訂

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区部では1961年(昭和41年)7月30日に都市計画道路の全面改定が行われます。

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放射第5号線は現在の計画のように上北沢駅付近で甲州街道から分岐するようになり、玉川上水に沿って牟礼橋まで計画されます。このとき、保健防火道路第2号玉川上水線は廃止され、これを踏襲したルートになりますが、保健防火道路で除外されていた水路敷も含む計画となります。


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また、この他の補助線街路が決定・変更・廃止され、細道路も廃止または補助線街路に格上げ。現在とほぼ同じ計画となります。

さらに都市高速道路第4号線外郭環状線外環ノ2も決定します。


●区部の改訂に伴う東八道路の延伸

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区部の変更に伴って、1962年に起点が短縮されていた東八道路(三鷹1・2・1号線)は、区部変更同日(1966年7月30日)に牟礼橋まで延伸されました。これにより、1962年以来4年ぶりに区部と接続となりました。

1960年代の変更は幅員や名称を除いて現在までほとんど変更されていません。(※外環の地下化・外環の付属街路・放5の幅員(後述)などの変更有)

※三鷹市内の都市計画道路名称番号変更は1991年(平成元年)に実施。三鷹1・2・1号→三鷹3・2・2号

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▲2018年の都市計画図(1966年以降外環が地下化されたり、付属街路が廃止されたり、幅員が変更されたりしているがルートに大きな変更はない)

すなわち、下本宿通りを通る計画などこれまで存在していません。

中央自動車道の反対運動の話

中央自動車道のこの区間が建設される際、沿道のJKK烏山北住宅の住民らによって反対運動が展開されたのは有名な話です。

このため、高井戸IC付近に烏山シェルター(高井戸トンネル)とも言われる囲いができていたり、高井戸ICの下り入口がいまも開設されていません。

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▲烏山北住宅(左)と中央自動車道(右)、高架下に補助219号線ができる計画

中央自動車道は1962年(昭和37年)に建設大臣の施行命令を受けた当時の公団が建設を進めていました。

調布~河口湖間は1969年(昭和44年)に完成。残る高井戸~調布間についても、1966年(昭和41年)7月に都市計画決定し(前述)、用地取得などを進めていました。

烏山北住宅周辺は中央自動車道の両側に補助第219号線を配置する構造で、団地内の用地は団地建設当初から確保されていました。

なお、団地の計画決定は1964年(昭和39年)で、入居開始は1966年(昭和41年)2月のこと。このときはまだ中央自動車道の計画決定がなされていなかったため、住民は計画を十分に説明されていませんでした。団地横断区間は1970年(昭和45年)3月に工事着手され、団地住民に対する工事概要説明会を行ったのは同年7月1日のことでした。

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この説明会で計画を知った住民らは7月12日の住民大会で烏山北住宅道路対策協議会を設置。反対運動を行っていくこととなります。

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▲補助216号線予定地と烏山シェルター(高井戸トンネル)

その後いろいろあって今のようになっているわけですが、資料を見る限りは協議会が反対していたのは中央自動車道、補助219号線、(補助216号)であり、この時点では放射5号線の牟礼方面については特に触れられていません。

また、反対運動が発生したのは計画決定後であるということです。

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▲当時の新聞記事(1970年7月13日読売新聞朝刊P13)


放射第5号線に反対運動は無かったのか

それでは放射第5号線に反対運動がなかったのかというと、そうでもないようです。

●富士見丘小学校関係

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▲当時の新聞記事(1978年5月16日読売新聞朝刊P20)

中央自動車道は反対運動の末、開通することとなり、その一般道路部になる放射第5号線(中の橋~富士見ヶ丘間)も工事に着手し完成します(側道暫定片側1車線の状態)。

しかし、新聞記事によると、その後交通開放されることなく、閉鎖された状態が続いていたそうです。

沿線の区立富士見丘小学校関係者が「高速道の開通による車公害で教育環境が悪化した。放射五号線を供用させると車はまた増える」と開通に反対しているため。

とあり、反対運動が存在したことがわかります。

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▲当時の新聞記事(1984年5月31日読売新聞夕刊P15)

結局、1984年5月31日に交通開放。一方「抜き打き開通」だとし、座り込みや富士見丘小学校児童の登校拒否も含めて反対運動が展開されました。


●玉川上水区間着手前の反対運動

このブログでも記事にしているように、玉川上水区間は2005年(平成17年)12月20日に事業認可を受けて東京都が現在も事業を進めています。

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この区間では事業に先立ち、総合環境アセスメント制度を試行して進めてきました。これは計画策定の段階から情報を公開し、多くの意見を聴きながら、計画をより環境に配慮したものに調整していくための制度です。この中で東京都は[A案]規定幅員50mで玉川上水を開渠にしたまま整備する案、[B案]幅員を60mに拡幅し玉川上水を開渠にしたまま整備する案、[C案]規定幅員50mで玉川上水を暗渠にする案がだされ、結局B案となり都市計画変更を経て事業化されました。

ただしこの段階で、住民らは道路の地下化を訴えていました。しかしもともと案に含まれていないこと、一般道であるため沿道アクセスが必要であること、換気施設が必要となる事、事業費が約2倍になる事、用地買収が増えることなどから採用されていません。

まとめ
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結論として、東八道路や放射第5号線が下本宿通りを通る計画は存在せず、また反対運動が玉川上水沿いにルートにさせた要因であるとは考えにくいです。

他に何かご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

参考
・三鷹市, 『三鷹都市計画図  昭和33年3月30日発行』, 1958年
・三鷹市, 『三鷹都市計画図 昭和56年発行』, 1981年
・三鷹市都市整備部都市計画課編, 『三鷹の都市計画』, 1993年
・財団法人東京市町村自治調査会, 『多摩都市計画史』, 1999年
・人分社, 『東京都特別都市計画図集 1 用途地域篇 新旧計画街路対照』, 1964年
・東京都, 『東京都市計画用途地域図』,2013年
・東京都建設局, 『東京都都市計画道路地図 復刻集』, 1993年
・東京都都民生活局参加推進部, 『「烏山北住宅住民運動」関連資料集』, 1979年
・東京都都民生活局参加推進部, 『別冊「烏山北住宅住民運動」の経緯 昭和37年~53年-展開過程図-』, 1979年
・読売新聞,『団地ぶちぬく高速道路』, 1970年7月13日朝刊, P13
・読売新聞,『放射五号線 閉鎖いつまで』,1978年5月16日朝刊, P20
・読売新聞,『開通後9年間放置の放射5号線 "抜き打ち開通"で騒然』,1978年5月30日夕刊, P20
・読売新聞,『児童427人が登校拒否』,1978年5月31日夕刊, P20
・読売新聞,『"騒動の道"今は・・・』,1978年6月13日朝刊, P19
東京都通称道路名 ~道路のわかりやすく親しみやすい名称~
東京都都市計画情報等インターネット提供サービス
・国立公文書館蔵, 請求番号『纂02590100』、『昭53建設88100010』、『昭53建設56000020』、『昭53建設07500020』、『昭53建設86100040』、『昭53建設86100040』

調べにご協力いただいた皆様ありがとうございました。


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by yunomi-chawan1 | 2018-12-25 06:00 | 地域 | Comments(22)
Commented at 2018-12-25 09:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sho at 2018-12-25 09:28 x
>東八道路や放射第5号線が下本宿通りを通る計画は存在せず
私もそのような計画があったと勝手に思ってました.
よく調べられましたね.
その努力に感涙しました.
通勤でよく通っていたので,興味津々の場所だったのです.
これですっきりしました.
ありがとうございました.
Commented by 高井戸の住人 at 2018-12-25 19:09 x
東八からの接続は、下本宿を拡張するものだと、この20年以上思っていました。
用地買収ができるならば、今からでも、バイパスとして、つないでほしいですわ。
30年ほど前、知人を送って、あの狭い道を通ったとき、こんな道を街道にして放置してしまったのは、道路不要論ポピュリズム美濃部都政の象徴でしょうね。鈴木さんが知事にならんかったら、今でも都内は大渋滞だったんでしょうね。 臨海副都心でミソをつけた彼だが、長期政権は、倦む。 このままだと、 新道も外環との接続や大きく迂がることで、渋滞が予想されますね。 環状線の渋谷出口や板橋みたいになるのかな、、、
Commented by 付近の住民 at 2018-12-25 19:38 x
なるほど!
ひとつだけ、開設されていないの高井戸の下り入口ですね!
これができると便利というか、無いと不便なので、整備して頂きたいです。
Commented by 通りすがり at 2018-12-25 23:43 x
こんにちは。
下本宿を通るような感じがするのは、おそらく東八道路と放射5号の接続地点がへの字に折れ曲がっていて、ぱっと見で不自然感がするからでしょうね。
放射5号は杉並区から三鷹市に入ると「三3・4・7」に姿を変えて直線的に伸びますが、この道路がまだないだけで、完成すれば「への字」の折れ曲がり部分は「三3・4・7」と東八道路の接続点(放射5号からの分岐点)になります。これが本来の正しい姿なのかもしれませんね。
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-26 00:58
通りすがりさん

ありがとうございます。訂正しました。
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-26 00:59
shoさん

ありがとうございます。
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-26 01:14
高井戸の住人さん

下本宿通りはかなり古い道のようで、昔の地図にもあのクランク部分があったりしていて、このあたりも調べて見たら面白いのかなぁと思います。
東八道路・放射5号が美濃部都政と関係があったのかまで調べていませんが、中央自動車道を調べていたら出てきましたし、時期的にも何かあってもおかしくないですね。偶然なのかわかりませんが、中の橋〜富士見丘が交通開放された年は美濃部さんが亡くなった年ですね。(開放の方が先ですが)
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-26 01:18
付近の住民さん

ありがとうございます。10回ほど読み直しているのですが、かなり打ち間違い等発生しています。
小学校が移転するとかで、そしたらできるのではないかと言われていますね。ただ東八道路に外環のインターができることを考えると、どうなのかなとも思います。
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-26 01:25
通りすがりさん

区部や北多摩の都市計画道路はまっすぐなものが多い中で、あのようにカーブをしていると違和感はあります。
個人的には、三鷹市と世田谷区の境界線が下本宿通り方向に不規則な形状をしているのが、紛らわしくさせているのかなとも思いました。
Commented by 地図大好き at 2018-12-26 21:10 x
ご努力に感動しました。応援しています。
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-27 16:24
地図大好きさん

ありがとうございます。
Commented by ドリにゃの at 2018-12-28 13:15 x
詳細な文献調査のご努力、頭が下がります。タダで読ませていただいて申し訳ないです。(かといって寄付送金して!と言われても困りますがw)
この記事に限らず、都市計画等の変遷という歴史的事実を以て検証するこちらのブログの主旨に真っ向からケンカ売るようで恐縮ですが、無駄話を一つ。笑って読み流してくだされば嬉しいです。
私は何の特定宗教への何の深い信仰もありませんが、非科学的、超科学的、霊的なもの、都市伝説とかも好きです。
下本宿通りを拡幅して最短距離を通さずにわざわざ「への字」で牟礼橋経由にするのは、実は都市計画等は建前で、本当は霊的・占い的な理由だったりしたら面白くありません?
高井戸公園前交差点から西を玉川上水を挟むように伸ばすのは、上水、すなわち水の清める(浄める)力を借りなければならない何か禍々しい霊的な物がこの辺の土地にあったりするのか。そして橋は古来「あの世とこの世を結ぶ境目」とも言われるように、放5と東8を結ぶためには
五や八に関わる呪術的な結び目として橋を経由する必要があったとか。
そういう都市伝説とか流してみたい衝動に駆られます。もちろん冗談ですが、たまには科学では説明のつかないものってあった方が街を楽しめる気がします。実際風水を重んじて入り口導線を不自然に曲げる事務所とか、魔除けとして家や塀の鬼門(北東)部分を切り落とす建築もあるわけですしね。(毎度長文失礼)
Commented by yunomi-chawan1 at 2018-12-28 23:28
ドリにゃのさん

たまに道路の上下線の間に木が植わっていて、
「あの木を切ろうとした人は必ず呪われてしまい切ることができず、しょうがなくあそこに植わっているんだ」
みたいな都市伝説聞きますね。
実際そんなことはない……はず……?ですが、役所の人に聞いて
「あっあれは住民の要望で切らないんでいるんだよ」
などとネタあかしされるよりも、都市伝説みたいなままであるほうが確かに面白いですね。


「鬼門」ではないですが、その辺の道や施設も古くをたどると、実際にそういう謂れで成り立っているものもあるのかもしれない…でしょうか。
Commented by muresan at 2019-01-07 15:11 x
付近の住民ですが大変興味深く記事を拝見したと同時に、
ここまで調べられた努力に感服しました。
富士見丘小の移転計画については杉並区のホームページに
詳細が載っていましたが、移転先の隣にある富士見丘中も
老朽化のため改築が予定されていて、移転後の小学校校舎を
中学改築中の仮校舎とすることが検討されているようです。
そのため、現富士見丘小の敷地が完全に空くのは中学校改築後の
2026年以降になる模様です。
高井戸入口設置の話が始められるのはその後になるでしょうが、
その頃だと外環東八道路ICが既に完成しているでしょうから
高井戸入口の必要性がだいぶ下がってしまいそうですね。
Commented by yunomi-chawan1 at 2019-01-07 23:06
muresanさん

小学校の移転後に高井戸入口の話が進むのではないかと一時話題になっていましたが、本当にできるのかなという感じがします。
仰る通り東八道路ICができればその必要性も下がりそうです。

調べていて見つけた新聞記事ですが、高井戸下り入口を烏山シェルター付近と中の橋交差点付近の2ヶ所に造る話も昔はあったそうです。それ以上のことはよくわからなかったので、それが合っているのかもわかりません。
Commented by 高井戸の住人 at 2019-01-08 00:54 x
富士見ヶ丘小の移転は、中学の隣接NHKなどのグラウンドが都営の運動公園に造成される過程で、校庭として一時使用するとの話です。
つまり、公園の完成に合わせて小中の校舎も完成していくのだと思います。
余談ですが、美濃部時代は、電車公共交通優先で、とにかく道路を作らなかった、乗用車まで煙をあげてはしっていた時代だが、環八井の頭の立体も完成が10年以上遅れたし、環八の貫通も、寺の反対で20年かかった。 ところが、有楽町線の開通が遅れた原因の「飯田橋の材木問屋の主人」から直接聞いた話だが、地下鉄は、「御用、御用」と強引に都の役人が言ってきたため、「ふざけるなと、怒った彼が裁判となったりして、これまた大幅に遅れた。 鈴木知事になって、旧市谷ホステルと交換することで開通できた訳。 まあ、私がクルマを運転できる間に高井戸ランプの開通が見れそうでよかったですわ。
Commented by yunomi-chawan1 at 2019-01-11 02:35
高井戸の住人さん

道路の反対運動は今も昔もありますが、今後のまちづくりの中では道路建設進め方を考え直す必要があるのかもしれないと感じることがあります。
Commented by とおりすがりの at 2019-04-13 23:42 x
お邪魔します。
地図を見ていて思ったのですが、
・昭和17年4月22日内務省告示第220号での放射5号が、昭和21年3月26日戦災復興院告示第3号で?補助大129号になったのは、あの道路が地元で言う「甲州街道の旧道」で、昔からの街道筋であり、建て込んでいたからかもしれません。戦時中に燃えたかどうかは不知ですが、戦後あの界隈で材木屋やってたご老人(故人)を知っています。
・1962年の都市計画道路の大改定が行われたのは、東京五輪決定と関係あるかもしれません。2年後が東京五輪です。
・私が高井戸に転居してきた'78年頃はたしか中央道は競馬場かビール工場あたりまでしかなかったはず。あの頃は東京都は東京ゴミ戦争でまさにご近所の高井戸地域の地主原告団と裁判和解が終わったばかりで、都はあの界隈をあまり刺激したくなかったのかもしれません。原告関係者回顧録によるとゴミ戦争には成田闘争過激派が介入したがっていたとの話もあります。原告団は断ったそうですが。
Commented by yunomi-chawan1 at 2019-04-15 00:53
とおりすがりのさん
仰る通り、古くからの街道筋である甲州街道(現:旧甲州街道)を避け、バイパスとしての機能を持たせるために三鷹まわりのルートに変更されたのだと思います。
一方で、甲州街道沿いにも都市計画道路は必要であることから、補助128号として決定させたのだと推測します。
また、放射5号線が現在のルートに変更された1946年に、現在の国道ルートにも新しく補助129号線が決定されていて、千歳烏山駅前の旧甲州街道をバイパスするルートの計画が決定されました。
記憶が不確かですが、オリンピックの際に甲州街道が拡幅されたと聞いたことがあります。


昭和30年代後半から40年代にかけて、区部や三鷹市のみならず、東京近郊の多くのところで都市計画道路が決定されています。
この決定はほとんどが現在まで受け継がれています。
この時代には全国総合開発計画や首都圏整備法などが制定されていて、いわば日本全国のありかたについて決定していった時期でもあります。
オリンピックも1つの事象として影響はあったと思いますが、それよりも日本全体の方針を決定していく過程が大きく影響しているのではないかなと想像します。


中央道も最初は調布までの開通でしたね。それでいろいろあって調布のインター封鎖などがあったと聞いています。
高井戸のあたりはいろいろあって、まちづくりに影響は大いにあったのではないかなと思います。


Commented by よのじ at 2019-07-10 17:20 x
拝読いたしました。
大変詳しい説明で、「そうだったんだぁ!」ととても興味深かったです。ありがとうございました。

そういえば、東八道路と放射5号線が接続し開通しましたね。下本宿通は今までの渋滞がうそのように静かです。さみしい位です。
ところで、この通り、下本宿通って名前だったんですね。地元の人でもあまりこの名前を知っている人はいないのではないかと思いました。
それでは、失礼いたします。
Commented by yunomi-chawan1 at 2019-07-12 17:21
あの通りは三鷹側では「下本宿通り」と案内されていますが、区側では一部で「区界通り」と案内されているようです。
市販の地図でも通り名が書かれていないものがありますので、知名度のある通り名ではないかもしれないです。
もしかすると、地元ならではの呼び方があるのですかね。


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