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京王線仙川~調布駅間の旧線跡をたどる

 京王線の仙川駅~調布駅間にはかつて電車が走った場所「旧線」が存在します。1913年(大正2年)4月15日の京王線の開通から、1927年(昭和2年)12月17日に現在のルートに移設されるまで使用されたらしいです。

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a0332275_00090388.pngこの地図は2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図の一部を使用したものである。

 旧線は仙川駅を出るとそのまま直進。甲州街道を越えその北側を走った後、再び甲州街道を越え、現在の京王線ルートに合流していたようです。使用された期間はわずか14年程度と短く、現在のルートになってから90年近くが経過し、あまり知られていないのではないかと思います。

 ということで、京王線旧線を辿ってみることにしました。調布駅側から仙川駅にかけて歩いたので、その順番で書いていきます。

調布駅~布田駅(停留場)
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 調布駅から現在の線路を新宿方面に進みます。

 調布駅付近は2012年(平成24年)8月に地下化され、現在は地上で電車の姿を見ることができませんが、線路跡は多くの場所で空き地で残されています。今回探索するのは地下化した線路跡ではなく、90年前まで使われていたそれより古い線路です。

 しばらく進むと、現在の調布駅と布田駅の中間付近で北側に鉄道用地の膨らみが現れます。この膨らみは地下化工事に伴ってできたものではなく、90年前までここで線路がカーブしていた名残のようです。ここでカーブした後は仙川駅付近までほぼ直線で進みます。

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旧線は旧甲州街道を越えます。現在は「布田駅前」という交差点になっています。この付近に当時の痕跡は見つかりませんでした。

この旧甲州街道は当時はメインの道で現在の甲州街道はありませんでした。『調布市百年史』によると、現在の甲州街道の開通は1955年(昭和30年)3月のようで、京王線旧線が移設されてからしばらく経ってからになります。その影響なのか、街道沿いでは市街化が進み、戦中の航空写真で線路跡がわかっても、現在の航空写真では線路跡を判別するのが難しいほどまでになっています。

交差点角の奥に見えるのは「医王山 常性寺」で、この付近に当時の布田駅(布田停留場)があったようです。

布田駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
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当時の布田駅からさらに進み、現在の甲州街道を越えます。既に述べたように、当時はこの道路は開通していませんでした。

スバルの自動車販売店付近をそのまままっすぐ進み。この先で旧国領駅(停留場)があった場所へとたどり着きます。

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甲州街道の北側に旧国領駅の跡があります。現在は当時の痕跡はほとんどありませんが、ここに駅があったことを示す標が建てられていました。

標には「京王線旧国領(北浦)駅跡」とあり、その両脇にも説明書きがありました。説明書きは以下の通りです。

 ここは、京王線が大正二年四月十五日、笹塚・調布市間で運転を開始したとき、地元民の用地提供によって設置された停留所跡地である。
 当時の京王線は、仙川駅西方から現在の滝坂に沿って坂を下り、甲州街道の路面を通り、西つつじヶ丘三丁目西端で甲州街道の北側に入り、当地を経由、国領一丁目西で甲州街道を横切り、調布駅の東側で現線路に接続していた。
 その後、昭和二年十二月、滝坂の急坂と道路併用を改良するため、甲州街道の南側に線路が移設されたのに伴い廃止された。
 この停留所名は一時、「北浦」であったといわれている。会社は当初「国領」としたが、地元の強い要望によって字名の「北浦」と変更した模様である。その後、いつ「国領」と改めたのかは明確ではないが、大正六年の初めごろ、ここと調布との間に「布田」(常性寺前)を新設し、またいくつかの停留所名を改称したのと時を同じくして改められたと思われる。
 したがって、「北浦」は極めて短時間の停留所名であったと推測されている。

 「北浦」が「国領」に改められた時期は明確ではないとされていますが、1917年(大正6年)の地形図(上に掲載)には、現在の国領駅が「北浦」、布田駅が「国領」と書かれています。当時の駅名はうまく固定されていなかったことが伺えますが、下記のサイトが参考になったので紹介させていただきます。

a0332275_23220705.jpgこの地図は国土地理院の基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新の建物輪郭を使用し編集したものである。

 このさき、西つつじヶ丘の甲州街道までほぼ直進します。ここからの区間は、昔の線路跡の土地の形がよく残っていて、航空写真で見るとこの部分だけ家の配置に違和感があります。左の図は建物の輪郭だけを抽出したもので、これでもよくわかりますね。ただし、知らずに街を歩いてもそう簡単にわかるものではなさそうです。

 この国領駅跡の標の右側のアパートも、アパートの土地が線路跡に沿うような形になっています。

国領駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
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 旧国領駅を出ると、現在は調布郵便局になっている裏側を通ります。写真の左側はデニスコートで、その奥に調布郵便局があります。 当時の線路はこの道路の中央あたりから左側にあったのではないかなと思います。航空写真で見ると線路の跡のようなものがわかります。

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 その先でも住宅地が線路の跡に沿うように建っています。左の奥の方に見えるのは現在の国領駅前のタワーマンションです。現在の国領駅は市街地再開発事業や線路の地下化でかなり発展しました。

 戦時中の航空写真を見てもこの旧線の周囲には田畑が広がっているようなので、大正~昭和初期にかけてはどんな景色だったのか想像をするだけでも楽しいですね。

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 線路は現在の調布第七中学校の敷地にぶつかります。調布第七中学校は1976年(昭和51年)に開校した中学校です。

 中学校の敷地には、昔京王線が通っていたことを示す標が建てられていました。

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 中学校の反対側には大き目の看板もありました。このようにして過去の地域の歴史を知らせる看板の意義は大きいと思います。ただ、「金子停留所もあったはず」という書き方を見ると信用していいものなのか・・・?

 中学校の敷地を抜けると野川を渡ります。現在の野川は完全に整備されていて当時の面影を知ることはできません。

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 その先は現在は住宅地になった場所を通り抜けます。一部だけ家の向きが他の家と比べて斜めっているところがあり、そこが京王線が走っていた場所だとわかります。
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 京王線の跡はやがて佐須街道(深大寺通り)と交差します。このアパートの場所に旧柴崎駅があったようです。当時の電車は今ほど大きくなく長くもなかったようですが、どのあたりにホームがあったのかも今は見当がつきません。

現在この辺りはちょっとした商店街となっています。

柴崎駅(停留場)~金子駅(停留場)
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 この写真は今年オープンした商業施設「クロスガーデン調布」の屋上駐車場から調布方面に向かって撮影したものです。

 手前には調布自動車学校の教習コースがあり、そこから京王線跡の幅と同じ敷地と繋がって奥に教習車両置き場があります。

 その奥に向かって地平線に見える大き目の建物が密集している場所が調布駅です。ここから見ると京王線旧線の跡がなんとなくわかるような感じがしますね。ほぼ直線的に調布駅付近まで繋がっていたことがわかります。

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 さらに新宿方面に進むと甲州街道に合流します。ここから暫く甲州街道の上を路面電車のような形で走っていたようです(併用軌道)。

 『京王帝都電鐵三十年史』には、

 この国道併用部分および勾配を除く工事に着手した。たまたま甲州街道の拡幅工事が行われたので、これを機会に軌道を街道南側に移設して専用軌道としたのである。工事は、現在のつつじヶ丘駅付近に盛土を施し、ここに軌道を移して、仙川の西側切通りから国領までを一直線に改めた。
とあるように、当時からここがネックになっていたことがうかがえます。なお、東京オリンピックの際にも甲州街道は拡幅されているようです。

 また、このころ京王線では玉南電鉄(府中~東八王子(現:京王八王子)間)の開通と合併、京王閣遊園地も開業するなど沿線状況も変わっていたようで、『京王電気軌道株式会社三十年史』には、

 尚其の他の企畫(業)、工事としては、笹塚―代田橋間の府道の平面交叉を立體(体)交叉に改良のため、橋梁を敷設して勾配を取り除き、仙川―柴崎間壹粁八分の急勾配を六十分壹に改め、金子附近の國道併用を避けて新たに専用線路を敷設し、更に、近くは昭和拾壹(11)年九月初臺(台)―幡ヶ谷間の併用軌道を専用軌道に移設する等、乗客の利便のために巨費を投じて大々的改良工事を敢行し、又自動信號(号)機を設置し輸送の安全を圖(図)る外、車輛を増加し、サービスに遺憾なきを期した。
とあるように、設備増強の時期を迎えていたことがわかります。また、1931年(昭和6年)には御陵線も開通(現在は一部廃止)しました。このころには新宿~府中間で木柱を鉄柱に改めるなどしていたようです。

 引用文中の急勾配はこの先登場します。(引用は一部現代漢字を追記した)

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 線路は甲州街道を進み、現在のつつじヶ丘駅の北側付近に旧金子駅跡がありました。

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 金子というのは古くからの地名のようです。京王線が現在地に移設した後もしばらく金子駅のままでした。

 京王線が現在の位置に移設後、1950年代に入って車両を4両編成化することになります。その際、2面4線だった千歳烏山駅の拡張は困難であったことから金子駅を2面4線にして増強することになりました。ホームの拡張は駅を新宿方面に80m移設、ホームと駅舎は地下道で結ばれることになり、1957年(昭和32年)5月15日から新ホームで営業を開始しました。この時に既に6両編成に対応する土地を確保していたようです。また、千歳烏山折り返し電車と急行退避をこの駅で行うようになります。

 これと同時に駅の名前を「金子」から現在の「つつじヶ丘」に改称されています。

 当時の京王の情報誌『京帝たより』には

 十五日から「つつじヶ丘」と駅名を改称するが、これは現在八高線にも金子という同名の駅があり連絡運輸上混同する恐れがあるため、さらに近く分譲する「つつじヶ丘」高級住宅地下車駅として駅名の明確を期するものである。
とあります。現在では地名もつつじヶ丘になり、金子はバス停名や郵便局名などに残る程度になっています。

金子駅(停留場)~仙川駅
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 金子駅を出てもしばらく甲州街道を走行後、甲州街道を南側にそれます。この付近は河岸段丘により急な坂道になっていて「滝坂」と呼ばれています。当時の甲州街道は旧道を通っていて自動車が走る前から難所だったようで、新道に付け替えられて勾配が緩やかになっています。

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 京王線もここの急勾配が大変だったことが、上記引用からもわかります。京王線があった方の坂は現在は道路になっていて、「売地の坂」と呼ばれているようです。

 写真奥に見えるのはキユーピー仙川工場跡地にできた「仙川キユーポート」です。その手前で現在の道路は都道と交差していますが、京王線が走っていたころは道路の橋をくぐっていたようです。そのため頂上付近は当時より勾配が急になっています。


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 滝坂を上りきると現在の京王線と合流します(写真矢印より奥かもしれません)。当時はキユーピーがある場所を一部通っていました。キユーピーの工場閉鎖と建て替えに伴って現在はよくわかりませんが、工場時代の建物は線路敷地の形跡がなんとなくわかります。

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 現在の仙川駅です。掘割式の駅になっています。


参考資料(50音)
基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新
国領か 仙川か Oka Laboratory 備忘録
 http://okalab.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e8b7.html
『せんがわ21 第14号 特集・せんがわ界隈史』
 1993年(平成5年)9月 せんがわまちニティ情報センター 編
『多摩の鉄道沿線 古今御案内』
 2008年(平成20年)7月28日 今尾恵介 著
『2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図』
地理院地図
 https://maps.gsi.go.jp
『京王帝都電鉄30年史』
 1978年(昭和53年)6月1日 京王帝都電鉄株式会社総務部 発行
『京王電氣軌道株式會社三十年史』
 1941年(昭和16年)3月20日 京王電氣軌道株式會社 発行
『京王風土記』
 1954年(昭和29年)4月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第39 』
 1956年(昭和31年)5101日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第46号』
 1957年(昭和32年)5月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『調布今昔写真集』
 1974年(昭和49年)3月31日 調布市教育委員会 発行
『調布市百年史』
 1968年(昭和43年)10月1日 調布市役所 発行
『東京都調布市立滝坂小学校 創立百周年記念誌』
 1973年(昭和48年)8月4日 調布市立滝坂小学校創立百周年記念事業協賛会 発行

著作権の関係上難しい部分があるため載せていませんが、上記資料の中に当時の写真などがあります(旧布田駅、旧金子駅、滝坂周辺等)。参考にしてみてください。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-03 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

鉄塔 深大寺東線

自転車で仙川→武蔵境→登戸→鶴川とサイクリングに行き、途中で高圧送電線の深大寺東線が目に入ったので辿ってきました。この路線は何度目でしょうか。

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中富線No.84鉄塔の下段と中段にある久我山線から分岐します。この路線をたどったのはおそらく2013年以来ですが、その時と変わらずキャベツ畑が広がっていました。


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深大寺東線No.1鉄塔です。かつては航研線として1回線の高圧線でしたね。このあたりの景色も何も変わらず。風が強かったので砂埃が目に入ってつらかった。


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深大寺東線No.2鉄塔です。この高圧送電線の鉄塔は建設された時期がバラバラで、この鉄塔が一番古いようです。この中では一番好きな形かな。


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深大寺東線No.3鉄塔です。宇宙航空研究開発機構の敷地内で高圧送電線を引き下げます。引き下げた先で、深大寺東線(~ふじみ衛生組合)が地下ケーブルになり、航研線(~航研本所)を地下ケーブルで分岐します。

以上。


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by yunomi-chawan1 | 2017-06-15 00:00 | 鉄塔 | Comments(0)

調布3・4・17号狛江仙川線(若葉町)松原通り 開通

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5月21日(日)14:00に、調布都市計画道路3・4・17号狛江仙川線(若葉町)約320mの区間交通開放されました。

当日は、10時より開通記念式典が開かれていました。私は寝坊したので途中からの参加です。

開通直前期の状況と許認可については以前記事にしていますので、そちらを参照してください。

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この道路は「松原通り」として親しまれていて、都道114号武蔵野狛江線に指定されています。

今回、若葉町の約320mの開通により、甲州街道~世田谷通りまで1本道で繋がることになり、仙川駅南側での迂回が必要なくなります。

甲州街道から北側は中央自動車道付近まで道路の新設が事業中であり、甲州街道~世田谷通り間の未拡幅区間の一部でもいわゆる第4次事業化計画の優先整備路線に指定されています。


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前述のとおり、当日は10時より記念式典が開かれ、主催者挨拶や来賓祝辞があったようです。私が到着したころには既にそれらは終了していました。とりあえず会場だけ撮影。

写真にも写っていますが、会場の至る所にオリンピックの幟が置かれていました。


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私が到着した直後にテープカットが行われました。

オレンジ色のTシャツを着ているのは地元の若葉小学校の児童らで、スーツを着ているのは左から調布市の長友貴樹市長、都議会自民党の栗山よしゆき都議会議員、東京改革議員団の尾崎大介都議会議員東京都北多摩北部建設事務所長です。テープカットを見るのはおそらく2回目ですが、こう見えて難しいんですね。


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そのあとくすだま割りが行われました。割れると同時に拍手がわきました。


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その後は来賓を先頭に参加者が通り初めを行いました。通り初めは式典会場から北に向かって開通区間の終点までで、通り初め終了と同時に式典も終了しました。

式典終了は11時ごろで、会場の片付けをして14時の開通に備えます。


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新設される信号機につけられていたカバーも外されていきます。信号機の点灯は開通直前に行われます。


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13:50より現場に設置してあったカラーコーンなどの撤去が行われました。その後も14時まで立ち入りはできません。

13:58に周辺交通が一斉に通行止めになりました。その間に、横断歩道に目隠しをしてあったシートの撤去、信号機の点灯(14:00まで赤制御)など開通までの最後の準備が行われました。

そして14:00ちょうど、北と南の両側から白バイの先導による交通開放がなされました。白バイの後ろには東京都の車両、その後ろには一般車が並びました。開通待ち車両がいたかどうかは確認できませんでした。


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交通開放後、これまで旧道を走っていた交通は新道の方に移動したようで、道路は車両でいっぱいになりました。なお、旧道を走る路線バスについて現時点でルートの変更はないようです。


開通した道路について
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開通区間は都市計画決定通りに道幅16mで建設されました。

電線類は地中化される計画で、開通後にその工事が行われる予定だと都職員が仰っていました。そのため歩道部分については現在は仮舗装です。


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歩道は両脇に幅3.5mが整備され、車道の両脇にはカラー舗装の自転車専用レーンが整備されました。自転車専用レーンは全国的に設置が相次いでいるようですが、車道9mに整備すると若干狭く感じますね。

街路樹にはツツジの低木も植えられ道路緑化が図られています。舗装は低騒音舗装が施されているようです。

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開通区間の南端の交差点ですが、新道の開通により5差路となりました。

信号制御は大通りの3方向のみで、他の小さな2本については制御されていません(1本は一方通行入口)。

一方通行入口の道路は抜け道として利用されているようで、通り抜けをする車が結構多かったです。この道路の入口は交差点の内部にある形ですが、本当にこの構造でよかったのかと多少疑問でした。

なお、この交差点は未完成の都市計画道路の線上でもあり、東方向(図の上方向)は優先整備路線でもあります。その道路ができたら交差点がより複雑になりますが、そのときどういう構造になるのか不思議です。


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by yunomi-chawan1 | 2017-05-21 22:00 | 道路計画や開通など | Comments(0)

調布駅付近連続立体交差 5年前との比較

5年前の夏に行われた調布駅付近連続立体交差事業の線路切り替え。

線路が地下化してからしばらくたちますが、当時撮った写真と比較して現在どうなったのか見に行ってみました。

左側が2012年に撮影したもの、右側が2017年に撮影したものです。当時の構図に合わせて撮影したため、構図が変になったものもあります。

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▲京王線と相模原線が分岐する踏切

京王相模原線が京王線から分岐するところにあった踏切の場所です。当時の調布駅は平面交差だったため、この付近で信号開通待ちとかよくありましたね。この踏切もよく閉まっていたイメージです。

当時の線路跡には現在ビックカメラを核テナントとする京王電鉄による商業施設が建設中。つい最近まで線路跡は空き地の状態でしたが、駅の周辺はだんだんと景色が変わりつつあります。

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▲相模原線分岐点の踏切から京王八王子・橋本方面

1枚目の写真の場所から反対方面を見ています。2012年の写真は地下化当日のもの。

この場所には「映画の街 調布」を代表する「シネマコンプレックス」が建設中で、この秋にも開業する予定です。そのほか、横断する道路は綺麗に舗装が直されています。

線路跡はこの先の西調布・京王多摩川方面にかけて暫定駐車場くらいにしか使われていないのが現状で、これからどうなっていくのか気になるところです。

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▲調布-布田駅間

右側が調布駅方面、左側が布田駅方面です。線路は地下化され現在はアスファルトで覆われています。この辺りは特に利用も図られていないようです。当時、調布駅止まりの電車はこの本線上で折り返しをしていたため、そのための渡り線が見えます。

当時あった特徴的な建物が現在でも目印になりました。

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▲調布-布田駅間から調布駅方面

当時あった踏切から調布駅方面を見ています。

右側のアパートや当時のマンションはほとんどそのまま残っていますが、調布駅付近で新たなビルが建設されて遠景がちょっと変わっています。当時の線路跡には地下の換気口のほか、調布駅直上では商業施設が絶賛工事中です。

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▲調布-布田駅間から調布駅方面

線路跡は資材置き場として利用されていました。当時ひっきりなしに電車が来ていたのが懐かしく思えます。よく電車が詰まっていたよね。

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▲布田駅舎

地下化直前は仮設の橋上駅舎でした。現在は地下駅となって、駅舎もシックな感じになっています。

実はこの2012年当時の写真の中に、現在と比較できるものが何一つと写っていませんでした。似たような場所から道路標識を対象に撮影してみましたが、この道路標識も移動しているのは明らかです。おそらくこれより30mほど西側なんじゃないかなと思います。

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▲布田駅西側から布田駅

当時の布田駅は対面式でした。この辺りはシールドトンネル区間なためか、地上部は掘り返したようなあとはそこまでありませんでしたね。

この辺りも現在は暫定駐車場として利用。今の写真は何を撮っているのかわからないような構図になってしまっています。

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▲国領駅西側の狛江通り

狛江通りは踏切で渋滞することもありましたが、その渋滞も現在はほぼ解消しています。

国領駅前には駅前広場が整備されました(写真左側)。

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▲国領駅ホームから調布駅方面

地下化直前の国領駅ホームは島式。工事が始まる前は対面式ホームだった記憶があります。

当時撮影していた場所は駅前広場の車道になったため、近くから撮影。

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▲国領駅

当時の国領駅ホームの場所は駅前広場になりました。右奥の商業施設が見えます。この真下にいまのホームがあるのでしょう。

国領駅はこの2年ほどで当時とは想像もつかないほどきれいな駅になりました。こんなに賑わっていたかな・・・と思わなくもない。

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▲国領駅の南東側の回転場

国領駅の南東側には小さな回転場がありましたが、現在でもほぼそのままの状態で残っていました。

線路が地上にあったときは道路が行き止まりになっていてそれの回転場だったのだと思うのですが(長さ何メートルで回転場を設けなければならないと決まっている)、線路が地上からなくなっても行き止まりは解消していませんでした。この先の道路につなげる気もないのでしょうかね?

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▲連続立体交差事業の東の端

地下化が始まる区間の東側、新宿側の端です。

調布駅付近の地下化は仮線を造らず営業路線の真下にトンネルを掘る方式だったため、地下化直前期でも入口は蓋をしてその上を電車が走っていました。

現在、この写真を撮影した踏切の真下では都市計画道路が建設中。その道路が完成したらこの踏切もどうなるのか・・・わかりませんね。


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by yunomi-chawan1 | 2017-05-19 14:30 | 鉄道 | Comments(0)

開通間近 調布3・4・17号狛江仙川線(若葉町)

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仙川駅の南側で建設中の調布3・4・17号狛江仙川線(若葉町)の約320mが5月21日日曜日に開通するということで、開通直前の様子を見てきました。


開通当日の様子は下記をご覧ください。

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調布3・4・17号狛江仙川線狛江市境の神代団地東側~緑ヶ丘団地中央を結ぶ調布市の東側を南北に貫く全長2,820m都市計画道路で、1962年(昭和37年)12月22日建設省告示第3183号で都市計画決定されました。

幅員は16mで、2015年(平成27年)3月31日現在では1,005mが施行済となっています。(データはいずれも都市計画図を参考にした)

今回開通するのは、このうち若葉町2丁目地内の約320mです。


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現場に設置された看板によると、事業認可は1997年(平成9年)11月28日で東京都が施行してきました。開通後も都道として供用される見通しです。

この開通で仙川駅南口の狭隘区間が解消され、一本道でつながることになりますね。約19年にわたって事業を続けてきたことになります。


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開通区間の北端です。

北端には押しボタン式信号機が新しく設置されました。開通区間の信号機(2箇所)はいずれも黒色のタイプが採用されました。

黒色の信号機は昔からありましたが、町田3・4・37号や立川基地跡地のように都内で新しく開通する道路に比較的多く黒色の信号機が採用されているように思えます。

開通予定の道路には「5月21日日曜日午後2時から通り抜けできます」と看板が設置してありました。

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現段階では舗装や植栽工事は完了し、区画線を残すだけという状況でした。

道路は対面通行式の2車線で、両脇に自転車専用レーンが整備される計画です。自転車専用レーンについては既に標識の設置は完了していました。

植栽の低木はツツジですかね。都道ではよく見かける木です。今の季節はピンク色に染まって綺麗でした。

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開通区間の道路は電線共同溝が整備され無電柱化されていました。街路灯の電線がもったいないなぁと感じてしまいますね。


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開通区間の南端です。

従来の都道に合流する形となります。この場所の旧道には歩行者用信号機がありますが、これは新道開通と同時に使用をやめ、新しく設置された交差点の信号機に統合されるようです。

この交差点は五差路になります。成熟した都市に都市計画道路を整備するとどうしてもこうした複雑で鋭角な交差点や狭すぎる残地が残ったりしますね。これを解消するための事業方法もあるようですが、あまり採用されていないのかな?

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交差点を反対側から見たところ

左の道路が従来の道路になります。現在のバス路線は従来の道路を走っていますが、新道開通後もそれは変更はないようです。またいずれ変更することはあり得るでしょうかね?


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なお、開通区間南端の交差点の旧道側には5月19日にセブンイレブン調布若葉町3丁目店がオープン予定。新道側じゃないのいいのかななど。


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by yunomi-chawan1 | 2017-05-14 18:00 | 道路計画や開通など | Comments(5)

飛田給駅南口・西調布駅北口等 調布市内2017年春の開通

3月の下旬にかけて、調布市内で行われていた道路建設が順次終了し交通開放されました。

飛田給駅南口(飛田給南口線)
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飛田給駅の南口の調布都市計画道路3・4・33号飛田給南口線3月27日に交通開放されました。

以前からあった生活道路を大幅に拡幅する形で、幅16m、延長約130mとなり、品川通りから飛田給駅南口まで通ることができるようになりました。

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飛田給駅西側の踏切は都市計画道路には含まれず、現段階では拡幅や立体化は行われていません。歩行者通路は飛田給駅に南北自由通路があり、これが都市計画道路になっています。

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品川通りとの交差点は品川通りに対する歩行者用信号のみで、飛田給駅南口へのこの道路に対する信号制御は行われていませんでした。

この交差点は一時停止が必要で、さっそく警察官が隠れて取り締まりをしていました。すでに取り締まりポイントになったようです。

開通した道路の電線類は地中化されています。また、道路の両端には自転車通行用のマーカーが施されました。電線類の地中化は数年前から都内に新設された道路では一般的になっていて、自転車マーカーは2016年の秋ごろから急速に増えています。

ある業界新聞の記事によると、道路の構造の元になっている「道路構造令」に自転車レーン(仮)の記述を追加する検討がなされているようです。

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飛田給駅の南口には約3100平方メートルの駅前広場も新設。歩道もフロックでできていて、明るい街並みが完成していました。

飛田給駅といえば味の素スタジアムの最寄り駅ですが、スタジアム自体は駅の北側で、南側にはまだ商業施設は多くはありませんでした。

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ロータリーにはタクシー等の駐車スペースのほか、バスが停車するためのスペースも設けられていました。

現時点では南口にバス路線はありませんが、ここに行ったときに調布市の担当者と京王の担当者が現場で話し合いをしていたので、バス路線開設に向けた協議を行っていたのかもしれませんね。


西調布駅北口(西調布境橋線)
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西調布駅北口の調布都市計画道路3・4・32号西調布境橋線駅前~旧甲州街道間は、3月25日に交通開放されました。

こちらも以前からあった道路を大幅に拡幅し、幅16m、長さ約120メートルが通れるようになりました。

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道路は西調布駅入口交差点、セブンイレブンの角に接続されました。

工事前の道路は駅方向に向けた一方通行でしたが、交通解放に伴い相互通行が可能になりました。

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開通した道路には自転車マーカーが設置されましたが、飛田給駅とは異なり、青色の矢印のようなものもペイントされました。

飛田給駅南口と西調布駅北口の道路でも異なるように、自転車通行レーン(マーカー)は道路管理者などによってマークが違っていて、なかなか統一できていないように思えます。

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駅の北口には約2000平方メートルの駅前広場も完成。タクシーの乗降場のほか、バス用の停車場も設置されていました。

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駅舎には開通を祝う横断幕も設置されています。

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駅前には現時点ではバス路線は開設されていませんが、調査のためなのかバスが停車していました。バス停の屋根もKEIOとなっていて、今後バス路線が開設されるのかもしれません。

調布市は西調布駅の南口の道路整備も「準優先整備路線」として着手を予定しているそうです。


調布駅西側道路(品川道天神前線)
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調布駅と布田駅の中間の、調布都市計画道路3・4・28号品川道天神前線京王線~旧甲州街道間3月31日に工事が完成しました。

残る品川通り~京王線間と、旧甲州街道~甲州街道間は、2012年(平成24年)4月20日に認可され(東京都告示第808号・809号)、現在もなお事業中です。

また、これらの道路が開通するまでは、今回交通開放された区間も暫定的に北行きの一方通行になっています。

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開通した区間の幅員は20.5m、延長は約120メートルです。

電線類は地中化されました。

写真からもわかるように、道路は2車線分の幅が確保されています。

2017年4月現在の残る区間の事業終了予定は、旧甲州街道~甲州街道間は2019年(平成31年)3月31日、品川通り~京王線間は2020年(平成32年)3月31日ですが、今のままだとさらに伸びると思います。


地下化された調布駅まわり
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2012年に京王線が地下化されて早5年・・・調布駅では線路上に建物を建設したり、ロータリーを拡張したりと、街並みが変化し始めています。

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写真の建物は「A館」で、京王電鉄プレスリリースによると、ファッションや飲食店などが入居する予定だそうです。

このほか西側に建設中の「B館」にはビックカメラが入居、その西側の相模原線との分岐部分直上付近に建設中の「C館」にはシネマコンプレックスが入居する計画だそうです。

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同じく地下化した布田駅や国領駅でも街並みが大きく変化しましたが、その一方で駅間では線路跡地が放置されたままでこの先どうなるのか気になるところです。

上の写真は鶴川街道から線路があった方向を新宿方面に向いています。

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2012年の地下化直前のほぼ同じところからの風景(ただし八王子方面)。このころは鶴川街道に簡易的な跨線橋が設置されていましたね。跨線橋は京王線の地下化までの簡易的に作られたもので、京王線が地下化されてからは撤去されました。

品川通りでも京王相模原線との跨線橋は撤去され、線路があったことを忘れてしまいそうになります。


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by yunomi-chawan1 | 2017-04-03 09:00 | 道路計画や開通など | Comments(2)

いるまがわ?いりまがわ? 調布市の「入間川」読み方の謎を探る

はじめに

川は源流があり、下へ流れて別の川と合流したり、海に流れたりする。

東京都などでは川の管理区分の上流の端に「上流端」の看板が取り付けられていて、それを写真に撮って集めている人もいるらしい。

ある日そんな上流端の画像を検索していると 、調布市の「入間川」が目に入った。調布市を流れているのは知っていたけど、どんな川なのかまでは知らなかったのでよく調べて画像検索すると、「まがわ」と「まがわ」の2つの看板の画像が出てきたのだ。

「はて?」

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▲後日撮影した入間川の上流端(2017年3月)


入間川とは?
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入間川というのは調布市の東側を流れていて、全長2キロほどのごく短い河川だ。

周囲は完全に宅地化されていて、通常の水位は場所にもよるが5センチ程度と排水路に近い。

とはいっても、数年前に氾濫を起こし、周辺の宅地に被害をもたらした。今では「入間川分水路」という迂回ルートも造られた。

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▲中流付近、上流端から野川合流までこの調子

ちなみに埼玉県入間市で知られる埼玉県南部にも「入間川」が存在し、「いるま川」と読む別の河川。

読み方の謎

画像検索で出てきた写真を見ると、2009年頃までに撮影されたものは「いるま川」、それ以降は「いりま川」となっているようだ。

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どこかで読み方が変更されたに違いないだろうが、インターネットで一通り調べても情報がまったくなかった。

ちなみに、フリー百科事典のWikipediaにはこう書かれている(2017年4月1日現在)。

行政上の正式な読みは「いまがわ」であるが、流域の地名(町名)の「入間町」は「いまちょう」。
Wikipedia-入間川(多摩川水系)

んー、Wikipediaはあてにならない…

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▲調布市入間町、この読み方は「いりま」



地元の人は?

偶然にも後輩が近くに住んでる…ということを以前聞いた気がしたので質問したところ、どうも地元では「いりま川」で呼ぶことが多いらしい。「いるま川」派もいるそうだ。

また、調布市議会でも

(前略)
 また、水位警報システムを――入間川(いるまがわ)というのが正式な呼び方だそうですが、私ども旧神代の地域に住んでいるものはどうしても入間川(いりまがわ)というふうに言ってしまいますが、入間川(いるまがわ)ということでありますが、この設置することでありますが、(後略)
調布市議会 平成21年(2009年)第一回定例会

とあり、呼び方が改められる前から地元では「いりま川」らしいことがうかがえる。



読み方変更のワケ

手掛かりが掴めないので、この地域の河川等を管轄する東京都の北多摩南部建設事務所にメールで問い合わせた。

メール本文をそのまま載せるわけにはいかないので要約すると、

東京都が平成8年(1996年)に「まがわ」という呼称を正式に決定した。

平成21年(2009年)11月、調布市から「まがわ」に訂正統一するように正式に依頼され、 東京都では調布市からの依頼を調査し、河川大辞典等の資料に基づき変更統一することにした。

正式に統一するよう通知したのは、平成21年(2009年)12月2日からである。

とのことだ。


また、多摩地域の河川を網羅している『川の地図辞典 多摩東部編』(著者:菅原健二 発行:株式会社之潮)には由来についてこう書かれている。

入間川(いまがわ)

野川の支流のひとつで、深大寺野ヶ谷地区(現・調布市深大寺東八丁目13番地)付近の湧水を水源とする。

(中略)

川の名称は旧村名から付いた。上流部では大川、旧中仙川村の地域では中仙川とも呼ばれている。


地名でもある「いりま」から河川名が付いていることもあり、昔から「いりま川」が正しかったようだ。

読み方の変更は地元の読み方に合わせたかたちだ。



a0332275_22583197.jpg

▲野川に合流する手前の入間川


ちなみに、町田市の「高ヶ坂」も、「こがさか」「こうがさか」どちらでも呼ばれていたが、平成26年の2014年の住所整理で「こがさか」となった。

こういった例は探したらもっとありそうだ。

入間川の東側を流れる「仙川」も、「せんかわ」「せんがわ」どちらの看板も掲げられている。


参考文献、取材

(50音順、敬称略)
・川の地図辞典 多摩東部編(之潮)
・北多摩南部建設事務所管理課河川管理担当
・北多摩南部建設事務所ホームページ-河川の整備事業(2017年3月31日閲覧)
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitanan/jigyou/k_index.html
・調布市議会 平成21年第一回定例会 議会録
・デイリーポータルZ 東京にある川の上流端をめぐる(2017年3月31日閲覧)
http://portal.nifty.com/kiji-smp/160419196287_1.htm

・その他画像検索で見つかった入間川の写真
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by yunomi-chawan1 | 2017-04-02 00:00 | 散策 | Comments(0)


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