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とある立川の自販機

a0332275_18261766.png『ヤシの実サイダー』なるものが売っていました。

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この飲み物、ライトノベルの『とある魔術の禁書目録』『とある科学の超電磁砲』に登場する飲み物らしいです。これらはアニメ化もされ、話の舞台が立川などの西多摩地区であることに加え、アニメでは立川とそっくりな場所もいくつか登場してるらしいです。
そこに目をつけた立川観光協会は各所と協力してこの自販機を設置することになったそうな。設置は昨年です。

実際、この本を読んだことがなく、アニメも見たことがないので、タイトルを知ってる程度です。ライトノベル自体読んだことがないので…。
昨年ちょうど自販機が設置された頃、知人が買いに行っていたことを思い出してしまいました。

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立川観光協会のホームページによると、自販機は立川駅周辺に複数設置されているそうです。

それでこの味。
買ってないので、紹介できません。ごめんなさい。
ただ、ヤシの実とうたっておきながら、小さくパインとかいてあるので、なんとなく想像がつきますね。

一番上のロゴは、アニメのタイトルロゴを似せたものです。ネット上に文字を入力するだけで、生成してくれるサービスがあります。

あまり関わりはないけど、ライトノベルやアニメの世界も奥が深そう。




参考:立川観光協会
http://www.tbt.gr.jp/tachikawa_anime/jihanki.html
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by yunomi-chawan1 | 2015-02-07 00:00 | ブログ | Comments(0)

今はなき東立川駅を探る

東立川駅(停留所)


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 古い地形図を見ていると、立川駅の東側に「東立川駅」なるものがあることがわかります。調べていると、東立川駅は第二次世界大戦まであったようです。
 南武線は南武鉄道と言う私鉄が昭和4年に敷設しました。その後、昭和19年に南武鉄道は国有化され国鉄南武線となります。それと同時に、戦争が激しいことからこの東立川駅も廃止されています。


 東立川駅は廃止されてから既に70年以上が経過していますが、現在はどのようになっているのか見てきました。

この地図は、「国土地理院1/50,000地形図 『青梅』昭和10年鉄道補入」と「国土地理院1/50,000地形図『青梅』平成9年修正」を国土地理院のガイドライン(300×400px以下でラスタ形式かつ地形図の一部)に基づき、引用したものである。


場所

東立川駅があった場所は、立川駅と西国立駅の間です。南武線が中央線から分岐して、ちょっとのところです。地図を見るとわかるように、立川駅、西国立駅どちらにもかなり近いのです。

地図が含まれます。スマホでは表示が崩れます。



現在は

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東立川駅があったとされる場所のすぐ立川寄りの踏切「錦町踏切」から川崎方面に向かって撮影しました。古い地形図によると、ちょうどこの場所に駅があったというのです。
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ホームがあったのか・・・と想像される場所です。
この区間だけ線路の両脇に妙なスペースがあります。
こちらは川崎方面。
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こちらは立川方面です。
ただ、ここに駅があったとされているときはまだ南武線は単線であるようなので、このスペースは駅と関係があるのかよくわかりません。

写真には距離標があります。
ここには川崎駅を起点として34.7キロであることがわかります。南武線の立川駅は川崎駅を起点として35.5キロですので、立川駅とは800メートルしか離れてないことになりますね。
さらには、西国立駅は34.4キロなので、こっちは300メートルしか離れていないことになりそうです。

まぁ、世の中にはもっと短い場所もありますが、実際に南武線に乗っていると、立川~西国立もかなり短く感じるのに、その間に駅があったなんて・・・ね。

ちなみに、日本で一番短い駅間は土佐電気鉄道の84メートル。普通で鉄道では200メートルなどがあります。


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同じ場所から立川方面。
さっきの川崎方面と比べると、スペースが少ないことがわかります。
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南武線の新型車両が通過。まだ運転開始から4ヶ月程度だというのに、すでに1/3以上が運転を始めていて、導入スピードが早く恐ろしいものです。
去年のいまの時期はちょうど横浜線の新型車両が運転を始めるころだろうか。横浜線も21編成あっというまに置き換えちゃったなぁ。



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もしかしたら来るかもと思ってたら、来た臨時扱いの貨物、米タンです。
構図は全くですが、カーブが比較的急なので、迫力があります。

a0332275_09232122.jpgいまでも、東立川駅が残っていたら、立川には東西南北が揃っていたんですけどね。い一時期、中央線の立川~国立に東立川駅をつくるという住民運動が一部あったようですが、結局今もなく至ってますね。
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錦町踏切。
この道の狭さで対面通行なのです。抜け道としても使われてるのに。
ちなみに、戦後この近くに遊郭があったらしい。いまは全くそんな感じがしない住宅街となっています。道は狭いけど。

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東立川駅から北へ進むとトヨタドライビングスクールがあります。昔ここには緑川ができるまで、ため池があったらしいのですが、こちらも痕跡がわかりませんでした。
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by yunomi-chawan1 | 2015-02-06 08:20 | 鉄道 | Comments(0)

黒とろろ梅おろしそばを食べた

また奥多摩そばへ行きました。
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今回のお目当ては…
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期間限定
黒とろろ梅おろしそば
です。まえにも紹介しましたが、期間限定で北陸特集をしているようです。
黒とろろは富山県でよくみられます。
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駅そばにしては豪華です。

そばは駅そばのコシがないそばで、汁も機械から出してきたありがちなやつです。
梅が味のキーポイントになっていました。この梅は甘くない、すっぱくもない梅で、どちらかというと渋い方の梅でした。
個人的にはすっぱい梅の方が合うかなぁと。
ポスターにもありますが、また黒とろろも味の成分を追加していました。
もしかするとこれはうどんの方がうまいかも。うどんも選択できます。

総じてうまい。


ごちそうさまでした。
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by yunomi-chawan1 | 2015-02-01 00:00 | ブログ | Comments(2)

立川駅奥多摩そばの「おでんそば」を食べた

以前の記事で立川駅の立ち食いそば「奥多摩そば」について長ったらしく書いた。要約すると立川駅の駅そばは老舗だった…ということだが、そこで名物という「おでんそば」を紹介した。

紹介したはいいけれど、実際食べたことも見たこともなかったので、この際、食べてみることにした。

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立川駅と言えば、こりゃ東京西部の最大都市だ。都心からは中央線で40分ほど。中央線の他に、青梅線、南武線と、少し離れたところに多摩モノレールが乗り入れる。JRのホームは4面8線(通過線と電留線を除く)で、奥多摩そばは各ホームにある。

各ホームに立ち食いそばがある駅も、都内を探してもそうないだろう。もしかしたら立川だけってこともあり得るかもしれない。実言うと、キオスクの生まれ代わりのようなNEWDAYSというコンビニも各ホームにある。NEWDAYSに至っては改札横にもあるので駅に5店舗もあるのだ。すごい。

a0332275_13035077.jpg上の画像は1,2番線ホーム、つまり青梅線ホームにある奥多摩そば。青梅線の始発電車が利用する。始発駅なのでホームで電車を待つ人は少ないが、奥多摩そばには何人か入っていた。
左の画像は3,4番線ホームの奥多摩そば。主に中央線の上り電車が利用する。中央線は日本一の列車密度といわれるほどであり、ホームは日中も人が非常に多い。その分、奥多摩そばも賑わっていた。



a0332275_13074545.jpgこちらは5,6番線ホームの奥多摩そば。中央線の下り電車や、中央線から青梅線に直通する列車が利用する。青梅線、中央線下りと、南武線ホームの奥多摩そばはホームの東寄りにあるのだが、このホームだけ西寄りにある。床面積は4つの店舗の中で一番大きい。テーブル席もあった。

a0332275_13120640.jpg最後に7,8番線の南武線ホームだ。ここも始発駅。奥多摩そばの規模は最も小さい。看板が他の店舗に比べるとかっこいい。


1つの駅に4店舗もあると、どこで食べようか迷った。混んでる中央線の各ホームははじめに候補から除外。
奥多摩そばというのだか青梅線ホームで食べようとも思ったが、普段使っている南武線ホームで食べることにした。人も少ないので、ゆっくり食べられるかなぁという考えもあって。


ここまで何か立ち食いそばについて語ってきたが、実は立ち食いそばを食べたことがない(えっ?)。
改札の外にあって座って食べられる店舗(小田急の箱根そば)なら食べたことがあるのだが、ホームにあって+立ち食いなのは初めてなのだ。
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メニュー一覧。
実はここに今日目当ての「おでんそば」はない。たぶんこれは経営もとのNRE(日本レストランエンタプライズ)のメニュー表なのだろう。
おでんそばは立川駅の奥多摩そば限定らしいので、ここには載っていないのだと解釈した。

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「おでんそば」は隣のポスターにあった。大きなポスターだ。さつまあげとあるが、ほかにもある。
2015年10月20日追記:410円に値上げされました。

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NRE系列の立ち食いそばでは北陸特集みたいなのをしている。NRE自体がJR東日本系列であることもあり、北陸新幹線が開業することからだそうだ。


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券売機のボタン。
「おでん」
なんか凄いインパクト。
中村亭を調べているときにおでんそばの写真はネットで見ていたからわかったが、ポスターも見ずに想像だけではこんなものをイメージしちゃうかもしれない。(スマホで作画)
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そんなこんなで、おでんそばの券を買って中に入る。
余談だが、年末に富山駅にい行ったときは、お店に囲いはなく吹きさらしだったが、ここは仕切られてる。先日のニュースで三セクに移行される北陸線でキヨスクが継続できず閉店すると聞いたが、富山駅の立ち食いそばはどうなるのだろうか…と。

お店はおばちゃん1人でやっていた。奥の準備室にはもう1人おばちゃんがいた。

さっきの券を出すと「さつま揚げでいいよね?」って聞いてきた。
実はおでんの具が選べるのだ。
・さつま揚げ1つ
・たまご2つ
・がんもどき2つ
・たまご1つ+がんもどき1つ
もちろんいろんな種類が食べたいので、たまご1つとがんもどき1つを頼んだ。
ほかのブログを見ていると、おでん単品券があって3種類頼んだと書いてあるのも見かけたが、残念ながら単品券は見当たらなかった。

頼んでから1分ほどで出てきた。
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汁の色は薄めだ。
いただきます。

汁はそばの味だ。濃すぎず薄すぎず丁度いい。
おでんを頂く。たまご…味が染みてる。おでんの味だ。
そして、このおでんがそばの味とうまく合うのだ。
がんもどきもそばと相性がいい。
おでんとそばは相性が気になっていたが、全然悪くない。むしろ美味い。
従業員のおばちゃん2人が「券売機が壊れて大変だったのよ」って会話をしていた。壊れるのか。どうやら券を出すためのベルトが切れていたようだ。

そんなおばちゃんの話も横に聞きながらあっという間に完食。

ごちそうさまでした。


立川駅の立ち食いそば「奥多摩そば」の名物「おでんそば」を食べることができた。そして、此木字を書いて、食レポの難しさを感じた。



立川に来たときはおでんそばを食べてみては?
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by yunomi-chawan1 | 2015-01-24 14:00 | ブログ | Comments(4)

立川市の暗渠「緑川」

立川市の緑川について最終的なまとめとしてこの記事を書きたい。

以前のブログにて、11月と12月に

を書いたが、少し書きくわえておく。辿ったことについては上記リンクにて既に書いているので、一部省略するが、写真の使い回しがある。

緑川の歴史 掘削まで

 多摩地区の地形としては、北部の埼玉県付近の狭山丘陵から、古くの多摩川で形成された武蔵野台地という平らな土地を経て、多摩川を越えると再び多摩丘陵という丘が現れる。武蔵野台地は複数の面が見られ、国分寺崖線、立川崖線、青柳崖線、拝島崖線などといった多摩川によって形成された河岸段丘を境に、武蔵野面、立川面、青柳面・・・と平らな土地が続いている。

 立川市は立川面と青柳面に位置し、多くが立川面となっている。大まかに見れば平らな土地だが、北部の方が標高が若干高くなっている。国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」によると、北部の砂川の二等三角点「砂川」によると標高105.46m、立川駅付近の街区多角点「10C23」によると標高84.916m、立川面の南端付近の街区多角点「20A40」によると標高81.559mと、北部で降った雨が立川駅周辺にたまるということが起きていたようだ。大正11年に岐阜県各務ヶ原から飛行第五大隊が移転してきて、立川飛行場ができてからは、立川飛行場にも水がたまることがあったらしい。

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 左の地図は戦前の立川飛行場の大雑把な範囲と国立立川病院の位置。この病院は飛行隊が立川に移転してきた大正11年に開設。翌年の大正12年には立川陸軍病院となるが、戦後の昭和20年12月に国立立川病院となった。その後平成7年に国立病院東京災害医療センターとして、相模原市相武台にあった国立王子病院と統合し、現在の場所に移設され、平成16年に独立行政法人国立病院機構災害医療センターと名前を変えている。

 当時は国立立川病院(立川陸軍病院)付近に大きな吸水池を作って、ここに一時的に水をため、東へ流し、中央線と南武線が分かれる付近まで流して自然の力で蒸発、吸水させていたようだ。この中央線と南武線が分かれる付近は「高木の池」というものがあったようだ。

 ただ、これだけでは役に立たず、たびたび氾濫していたようだ。

 立川市では大正14年に町議会で洪水対策について話し合いが行われている。

『本町所在飛行場第五聨隊及同附属飛行場ハ四周ニ下水路ノ設備アルモ末流疎通ノ途ナク為ニ豪雨等ニ際シ下水路ヨリ汚穢ナル濁水ヲ停車場組内ニ款下氾濫セセシメ床下浸水数百戸ニ及ヒ衛生上障害ハ勿論各自ニ蒙ラシムル損失モ尠シトセス依テ取リ敢ヘス組代表者直接本隊ニ交渉セシニ其設備ノ必要ヲ認ムルモ政府カ事業緊縮ノ折柄遂行覚束ナク町民ヨリモ相互声援セラレタシトノ回答アリ就イテハ其成否ノ遅速ハ町民ニ至大ノ影響ヲ及ホス次第ニ付町会ノ決議ヲ以テ其目的ノ貫徹ヲ期セラレタシ』大正14年9月5日

 ただし、これ以降も工事は行われなかったようだ。

 文献によると、昭和19年(18年?)にようやく工事が行われるようになったようだ。しかし、掘削についての文献はほとんど残っていないらしい。

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 工事は手作業で行われていたようだ。工事が完成しないまま、終戦を迎え、進駐軍の命令によって軍都整備事業は一時中止となる。ただし、関係者が飛行場の排水路工事であることを説明し都市計画事業として工事を続行できたようだ。すると米軍が重機を提供してくれ資材も提供されたらしい。

 立川市議会史によると、昭和22年4月30日に緑川が通水。当時は素掘りの川で、護岸工事もなかったようだ。当時は「立川排水路」という名前だった。

 昭和24年に都費補助河川編入に申請した際、東京都建設局河川課から排水路の命名について紹介があった。

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昭和38年12月20日 日本自動車学校10年のあゆみ発表から50年が過ぎ、著作権が切れている。

『排水路復旧費については先に知事宛補助金交付申請中の処、河川として命名するよう建設局河川課坂本主事より通知がありましたので、左案の内より御決定を得度』
『案 中川 緑川 立谷川』

 中川はよくわからないが、緑川は立川飛行場付近が緑町と呼ばれていたこと、立谷川は立川を源流とし、今の国立市、当時の谷保村を終端とすることによると思われる。

 その後、東京都広報によると『東京都告示第七百四十三号 次の架線を土木費支弁規程第二条の規定により、都費を以つて補助すべき河川に、指定する。 昭和24年4月8日 東京都知事 安井誠一郎 記 一、緑川』
ここでようやく緑川と正式に決まった。

 羽衣町一丁目自治会 創立三十周年記念誌によると、昭和25年に『緑川が火事』とある。これは立川飛行場の燃料が流れたことによって、川が燃えると言う珍しい事態になったようだ。

緑川の歴史 暗渠へ
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 昭和27年に立川市議会で都知事宛に意見書が採択されている。


『(略)・・・首都としてまた衛生都市としての形体を整へる上からもこの緑川の一部(曙町1丁目2の2番地より曙町3丁目121番地に至る間)1.4粁(キロメートル)の区間を完全なる下水道として一日も早く国家に於て施工せられるよう地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出する』

 これは現在の昭和記念公園の曙口から中央線付近だ。

 その後も下流部分でも暗渠化し、今の形となった。

緑川にあった橋
当時の橋(グーグルマップに飛びます)
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 いまでも、「曙橋」、「東橋」、「みのわ橋」については橋の名前が交差点の名前でも残っている。また、「尺串橋」、「羽衣小橋」、「新田橋」、「暁橋」、「曙三丁目橋」は橋の欄干が残っている。

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 現在の曙橋。立川駅北口から北側へ放射するように伸びる都道16号線と都道153号線が交わる交差点で人通りが非常に多い。歩車分離式の交差点になっている。

 東西に通る都道16号と都道153号が昔の緑川の流路だった。

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 曙橋の東側。写真の案内看板の奥のあたりが東和橋があった場所のようだ。

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 東橋。細かい道を合わせると7差路になっていて交通量が非常に多い。ここに橋がかかっていた。ましてや川があったことは今では想像が難しい。

 「今昔写真集 たちかわ」という本の中には、橋があった当時昭和34年の写真と、昭和50年ごろの写真が載っている。当時はこの辺りは砂利の道路だっただ。昭和50年の写真も今となってはだいぶ古い写真だが、奥に見えるNTTが電電公社だったことからか、信号の交差点名が「電報電話局前」となっている。

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 曙三丁目橋の欄干。片側だけ残されている。この付近は巨大な中央分離帯を持つ上下一方通行道路となっている。巨大な中央分離帯には今は駐車場があるが、当時はここに緑川があった。

 下の写真は暁橋。a0332275_20291651.jpga0332275_20231654.jpg
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 中央線南側の羽衣小橋。欄干には「はごろもこばし」とあった。中央線が高架化されたが、南側の道路には用地確保などの影響はなかったようだ。橋の大きさは普通乗用車が1台通れるほどで、橋の上での離合は難しそうだ。


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 南武線南側の尺串橋。当時書いたブログ記事では「しやくぐしばし」と紹介したが、「や」は小文字で「尺串」だった。尺串はどういう意味なのだろうか。黄色と黒の縞々は車の衝突防止を促すものなのだろう。


 みのわ橋。信号機がある交差点にあった緑川にかかる橋だ。立川崖線のハケ下を流れる矢川と交差する橋の名前ではない。

 みのわは付近のでは自治会の名前で存在しているが、地名としては消失している。以前は「箕輪」と書いていたようだ。「立川の地名 -立川編-」によると、交差点の東側、今の浄土真宗本願寺派西光寺の付近に「箕輪城」があったことが由来と言われているが、実際城があったこともよくわからない。ということだった。

緑川の流路

 おもな流路は上の地図の通り。

 辿ったことについては、以前の記事を参照。

さいごに

 暗渠で流れる緑川。今は存在すら知らない人も多いと思うが、調べてみると、立川の洪水を守っている大切な川であり、この川を造るのにたくさんの苦労があったことが分かった。川は既になくても、橋が残っているのはおもしろいことであり、当時の様子を考える上でも楽しい。

参考文献など
(50音順)
あの日、あの頃、あの辺り
 中野藤吾 平成4年7月9日
基準点成果等閲覧サービス
 http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/
くにたちしらべ No.18
 くにたち中央図書館 2013年12月9日
 https://www.library-kunitachi.jp/PDF&IMG/kunitachi_sirabe/kuni_chimei8.pdf 
今昔写真集たちかわ
 立川市教育委員会 昭和50年3月25日
残堀川の成り立ちと大滝の成立 General History of Zanbori River and Establishment of Otaki Head Drops
 都土木技術支援・人材育成センター年報 平成24年
 http://doboku.metro.tokyo.jp/start/03-jyouhou/nenpo/24nenpo/2415.pdf
写真集 たちかわ
 『写真集 たちかわ』編集委員会 平成2年12月1日
創立五十周年記念誌 あけぼの
 立川市第二小学校 創立五十周年記念事業実行委員会 昭和55年2月2日
立川市議会史 資料集1
 東京都立川市議会史編さん委員会 平成3年3月31日
立川市史
立川市史資料集 第三集
 立川市教育委員会 昭和35年3月
立川の昭和史第一集 建物疎開の記録
 立川市教育委員会 平成8年3月29日
立川の地名 -立川編-
 保坂芳春 立川市教育委員会 昭和63年3月
地図・空中写真閲覧サービス 
 http://mapps.gsi.go.jp/
・独立行政法人国立病院機構 国立医療センター 病院概要/沿革
 http://www.nho-dmc.jp/information/outline.html
日本自動車学校 10年のあゆみ
 10年のあゆみ編集委員会 日本自動車学校豊和会編集部 昭和39年12月20日
羽衣町一丁目自治会 創立三十周年記念誌
 羽衣町一丁目自治会 昭和52年

地図
利用フリーのOpenStreetMap

a0332275_17391980.png曙橋の曙は右の通り。2017年5月2日 体裁を変更

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by yunomi-chawan1 | 2015-01-16 00:00 | 地域 | Comments(1)

立川駅の駅そば「奥多摩そば」中村亭

a0332275_18031362.jpg 先日紹介した「立川の建物疎開の記録」という本で、大正時代の手書きの地図に「中村亭」と言う文字が多いことに気がついた。

 本書によると、明治初年、中村平三郎さんが立川に移住してきたとされている。

 立川に鉄道が開通したのは明治22年。中央線の前身の甲武鉄道が新宿から立川まで鉄道を敷いたのが始まりだそうだ。中央線の中野から立川まで直線で結ばれているのは当時甲州街道沿いに鉄道を敷設しようとした際、煙や街道の活気を気にした住民が鉄道をきらい、仕方なく何もない雑木林を切り開いたのが理由と言われている。だから、当時立川駅付近は特に何もない場所だったようである。

 鉄道開通間もなく、中村平三郎さんの長男、徳次郎さんが駅前に旅館と汽車の待合を兼ねて茶屋を開設させたのが、中村亭の始まりなようだ。

a0332275_17583541.jpg これが大正時代の立川駅北口の地図。おもな商店や家以外は省略した。
 いまの南武線の南武鉄道が立川まで伸びるのは昭和4年のことなので、まだ南武線の線路はない。
 駅にある複数の横線は貨物線で、立川駅でも貨物や荷物の取り扱いが盛んだったことがうかがえる。現在の立川駅は貨物列車は通過(時間の待ち合わせはある)するだけだ。


 駅前には商店が並んでいる。図には載せなかったが、「羽鳥セトモノ」「果実井上」「立川郵便局」「トコヤイトウ」・・・など、なんでもそろいそうな感じだ。大正11年には駅の北側に陸軍飛行第五大隊が岐阜県各務ヶ原から移転してきた。この飛行場は以後いままでも立川の今を左右している。
 駅北口のすぐ西側には「鮮魚 稲毛屋」があった。以前記事にも書いた。そのはす向かいには「中村亭」がある。「立川の建物疎開の記録」には『三代目の久之助さんの時代、明治34年に甲武鉄道株式会社から、立川駅仲売業及び駅構内売店業の承認を受けた。汽車のわずかな停車時間に、中村亭の駅弁を山と積んだ箱を肩から抱えて、汽車の窓から窓へ売り子さんが飛び歩く風景が、立川駅でも見られたものだった。』とある。
 そんな時代が立川駅にもあったのかぁと少し感動。いまは通勤客などが行きかう多摩地区のビックターミナルなだけに、そのような風景が思い浮かべられない。

 立川駅一帯は第二次世界大戦中に、駅と線路を空襲から守るために建物の強制疎開が行われたようだ。7月に通知があり、昭和20年の8月15日までに立ち退くよう言われたらしい。中村亭もその対象だったようで、駅南側の錦町1丁目(川野病院がある近く、たましんRISURUホール(旧立川市役所跡)の北側)に立ち退いたらしい。8月15日、まさに終戦日。立ち退いた直後に終戦だったが、元の地は都に買収されていたようで、戻ることはできなかったと、この本には書いてある。その後区画整理もあって中村ビルを建設したとこの章は締めくくられている。

しかし、ネットでしらべているとどうも中村亭は立川駅に残っているようなのだ。平成14年にエヌアールイー中村亭という会社によって「復刻立川駅多摩辨」という復刻版弁当が発売されたようだ。ならば・・・いまも残っているのでは?
a0332275_19324482.jpgエヌアールイーという会社はJR東日本の子会社で駅弁販売や駅の飲食店などを経営している会社だ。

立川駅のホームにある蕎麦屋の「奥多摩そば」はエヌアールイーの経営であることが分かった。しかし、現場に行ってみないとわからないこともあるだろうと、行ってみることにした。画像は南武線ホームの奥多摩そば。
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 どうだろう・・・。看板には「NRE中村亭」とある。これこそエヌアールイー中村亭だ!
 ただ、これだけでは当時あった中村亭とNRE中村亭との関係性がよくわからない。ということで聞いてみたところ、「中村亭は1900年(明治33年)ごろより立川駅を中心に営業していた。その後1999年(平成11年)にNREとの出資による株式会社エヌアールイー中村亭を設立し、駅での営業を継続し、2014年(平成26年)4月にNREと合併し現在に至っている。」とのことだった。まさに中村亭だった!今は大手チェーンになってしまったが、奥多摩そば中村亭だったのだ。
 調べていると駅そば好きな方のブログに行きついた。NREになってから味が落ちたと主張されていたが、伝統であるそうな「おでんそば」については今も販売しているそうだ。気になる。おでんと蕎麦の相性が。

 この本を読むまで中村亭の存在すら知らなかったが、普段見ている駅そばが100年以上も続いていることには驚いた。上の地図でも書いた「岩崎邸」これも実は今も残っている。北口で「岩崎倉庫」としていまもあるのだ。

 立川にはいなげやをはじめとして、おおくの老舗があるようだ。調べがいのあるまちだ。


参考文献(50音)いずれもトップページ
・いなげや http://www.inageya.co.jp/ (平成27年1月11日)
・岩崎倉庫 http://www.iwasakisouko.co.jp (平成27年1月11日閲覧)
・NRE日本レストランエンタサプライズ http://www.nre.co.jp/(平成27年1月11日閲覧)
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do (平成27年1月11日閲覧)
・立川の建物疎開の記録 (立川市教育委員会 平成8年3月29日)
(ブログについては個人サイトなので掲載は控えさせていただきます。)

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by yunomi-chawan1 | 2015-01-13 00:00 | 地域 | Comments(0)

立川の老舗?いなげや

関東地区を中心に136店舗(平成27年1月10サイト閲覧)をかまえる大手スーパーマーケット「いなげや」。

最近ブログでもよく取り上げる立川市が本拠地であることが本を読んでいてわかった。読んでいた本は立川市教育委員が出版した「立川の建物疎開の記録」(平成8年3月29日)。出版したといってもバーコードなないので一般に売り出したわけではなさそう。立川市中央図書館にあった。
この本は戦時中の立川駅周辺の建物疎開についてまとめたもので、当時疎開を経験した地域の人に話をうかがっていることもあって、疎開以外の当時のようすをうかがうことができる。

いなげやの沿革についてはいなげやのサイトにも詳しく乗っているので、それも参照した。



いなげやの由来は創業者の猿渡浪蔵が川崎市菅付近から立川に引っ越してたことにあるそうだ。川崎市ではふるく稲毛庄という荘園であり、それにあやかったらしい。
そのご、大八車で売りを始め明治33年10月に鮮魚 稲毛屋をはじめたらしいい。
ここまでのことはいなげやHPにもかいてある。
http://www.inageya.co.jp/company/about/story.html



その稲毛屋の場所は立川北口のすぐの場所だったらしい。2012年に閉店した立川の老舗デパートの第一デパートの場所がまさにそこらしい。
ということで、どのような感じなのか行ってみた。


a0332275_21170909.jpg

立川駅北口を出てそのままペデストリアンデッキを西へ進んだすぐの場所から撮影したものだ。
前述の通り、ここは2012年まで第一デパートという老舗デパートが営業をしていた。建物の老朽化もあって取り壊しとなったが、駅徒歩1分のこう立地であるため、再開発が行われている。予定ではプラウドタワーという分譲マンションとヤマダ電機などの量販店が入ることになっているらしい。
鮮魚稲毛屋はちょうどこの場所にあったらしい。当時この前の道は本町通りと言われていたようである
a0332275_21502858.jpg
第一デパートあとの東側には駅を南北に繋ぐ自由通路を建設中だ。これは改札前の自由通路が平日でも混雑しているからである。

a0332275_21554717.jpg
立川駅から一番近いいなげやに行ってみた。駅の南口の通りにある。ここが1号店とかそういうのではなく、単に一番近い店舗だ。正直、普通の店舗だった。あたりまえか。

本社は立川の泉体育館の方にある。


いまもあるいなげやが立川が始まりだったのには驚いた。まぁ、どの店舗にも始まりというものがあるから、驚いても仕方ないのだが。ただ、鮮魚稲毛屋があった当時の立川のようすを想像すると面白い。立川にはまだ知らない老舗があるのかもしれない。

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by yunomi-chawan1 | 2015-01-11 00:00 | 地域 | Comments(0)


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