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町田市の独自水源を探す

~町田市の水道~

私たちが普段飲む水道は浄水場できれいになった水が水道管を通って蛇口から出てくる。

東京都では一部の市町村(羽村市や昭島市)を除いて東京都水道局が管理運営していて、水道局HPによると約78%が利根川・荒川水系、約19%が多摩川水系と、約97%がこれらの河川で賄われている。

残りの3%ほどは狛江市や世田谷区の一部などで相模川水系が使われていたり、地下水の汲み上げによるものとなっている。

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町田市では北部で東村山や小作おざくといった多摩川水系の浄水場の水が来ていて、南部ではそれに加えて三園や三郷といった利根川や荒川水系の水も来ているそうだ。(工事の事情などにより変わることがある)

東日本大震災で金町浄水場で放射性物質が検出されたときに、そこから町田市にも配水されているとニュースでやっていて少し驚いた記憶がある。


~浄水所を探せ~

そんな町田市だが、市内に3ヵ所だけ水道独自水源の浄水所があるそうあので探していってみることにした。市議会録によると、市内の独自水源の割合も約3%とのこと。

ちなみに、東京都では「浄水」と「浄水」を使い分けているので注意。

「浄水」は処理能力100,000m3以上の施設、「浄水」は処理能力100,000m3未満の施設を言う。豆知識。

※浄水所については防災拠点になっていて検索にも出てくるので詳細な場所も記載するが、水源については安全性と保安の観点から控えさせていただく。

滝の沢たきのさわ浄水所
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おそらく市内では一番知られている浄水所で町田市民病院の裏側にある。

この浄水所ではこの近辺のいくつかの水源から汲み上げた水を浄水して飲料水として供給されている。

町田街道のバス停に「浄水場前」「滝の沢」があったりする。実際の滝の沢は浄水所より500mほど北側の谷戸のあたりをいうらしい。2012年4月から町田市内の上水事業はすべて東京都に移管された。それ以前の町田市の資料などでは「滝の沢浄水」となっているものが多いので、バス停の名前はそれの名残なのかもしれない。

施設の規模から、町田市の3か所ある浄水所の中では一番大きいと思われる。3つの浄水所も含めて災害時の防災拠点になっていて、災害時には浄水所から飲み水が提供されることになっている。

原町田はらまちだ浄水所
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原町田にある浄水所で、芹ヶ谷公園の南側にある。滝の沢浄水所ほど大きくはないが、そこそこの大きさはある浄水所だ。

敷地の外から見えた浄水器のような設備には2000立方メートル/日と書かれていた。

野津田のづた浄水所
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町田薬師池公園 四季彩の森 薬師池の南側にある浄水所。おそらく市内にある浄水所の中で一番規模が小さく、設備もこれだけのようだ。

隣接する公園は町田市を代表する公園で、町田市の原動機付自転車のご当地ナンバーのデザインにもなっている。町田市内を散歩する番組でもよく出てくる(他にないのか・・・)。

名前になっている野津田というのは地名だが、野津田公園の方も野津田なのでかなり広い。なお、この浄水所の狭い道路を挟んで向かい側は金井町(2017年現在/将来変更計画中)だ。

~水源を探せ~

町田市内の水源と水道事業が東京都水道局に一元化される直前では、町田市議会録などによると5か所の水源があったようだ。いずれも東京都水道局に移管されたらしい。

木曽一号水源
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市内某所の水源。近くには湧水が出る水源地があり、比較的水の量は豊富な場所にあるようだ。

水源設備は円形の建物からできていて、周りは高いフェンスでしっかりと保護されていた。水の音などは聞こえず、知らずにいると通り過ぎてしまうような設備だった。


木曽二号水源
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こちらは木曽二号水源。探すのに大分苦労した。

水源設備は道路から離れていて、かつ道路より一段標高が高い場所にあるのでよく見ることはできない。四角い建物で、こちらも高いフェンスで囲まれていた。


本町田一号水源
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こちらは市内某所の本町田一号水源。目立つところにある。

四角い建物であるが、大きさは木曽一号、二号と比べると小さめである。こちらも高い柵でしっかりと覆われていた。


本町田二号水源
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住宅の間に挟まれてある水源。水源設備は見えないが地下ではなく、階段を下りた場所にあるようだ。

敷地には駐車スペースが1台分あり、これらも含めて高いフェンスで覆われていた。


原町田水源
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非常にじめじめした場所にある水源。水源設備以外の場所でも多量の水が湧き出している。

水源設備は丸型で、おそらく5か所の中で一番大きいのではないかと思われる。この写真はフェンス越しに撮影しているが、フェンスで囲まれた面積も広い。地面も草で覆われていて、水源らしい場所であった。

実はこの記事を書き始めてから公開するまでに4か月近く費やした。身近な場所に飲み水になる水源地があることを知って、水源地や地下水の保護等、水を大切に使っていきたい。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-30 00:00 | 散策 | Comments(0)

渇水が心配な宮ヶ瀬湖へ

関東地方では梅雨らしい雨が降らず取水制限が始まるなどじわじわと水不足になっていますが、宮ヶ瀬湖で上流部の湖底が見え始めていると聞いて見てきました。

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まずはダム本体。宮ヶ瀬湖には以前ほぼバスだけで町田市から秦野市のヤビツ峠まで行ったときに通過していますが、ダム本体等宮ヶ瀬湖をメインに来たのは初めてとなります。

想像していたより大きいダムでした。完成したのは結構最近で、ダムに沈む前の町や渓谷を知っている方も多くいらっしゃるのでしょう。

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無料のエレベータでダムの天端まで上がります。資料館のようなものもあってダムカードを貰いました。

ダムの水位はかなり下がっているのがわかります。このときの貯水率は57パーセント。神奈川県の4つのダム湖の合計でも60パーセントと少なめです。(夏の間は洪水に備えて満水水位が通常より低く設定されるが)

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その後、宮ヶ瀬ダムの西側にある鳥居原ふれあいの館へ移動。ほぼバスだけの旅をしていた時に橋本駅からのバスの終点がここでした、2度目の訪問。

ここから見える虹の大橋もかなり水位が下がっているのがわかります。


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宮ヶ瀬湖では通常、遊覧船が運航されているのですが、運航できる水位より下がったため7月22日より運航は中止に。遊覧船乗り場の桟橋も撤去されていました。

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その後、宮ヶ瀬湖の上流部の土山峠へ向かいます。

ここからはダム建設のために建設された現在の県道から旧道が見えました。

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ダムが沈む前は学校があったりして人々の生活があったわけですが、こうして渇水で見えてくるといろいろと考えさせられるものがあります。

現在はダム湖内への立ち入りは禁止されていますが、だれかが歩いた跡が複数見られました。危険ですから絶対にやめましょう。また、県道は駐車禁止・転回禁止ですので注意してください。厚木警察署では取り締まりを行っているようです。

https://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/74ps/74mes/74mes164.htm
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一部橋も姿を現していました。1週間ほど前にネットで見た写真よりも数メートル水位が下がっているようです。

この橋は見た目仮設のように見えますが、工事の際に掛けられたものなんでしょうか?

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「30」の道路標示も見えたり。

日本各地で豪雨に見舞われる中、5月以降雨らしい雨が降っていない関東近辺。相模川水系の降水量も平年の半分以下なようです。水を大切に使いたいものです。

神奈川県企業庁 かながわの水がめ
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by yunomi-chawan1 | 2017-07-29 00:00 | 散策 | Comments(0)

多摩ニュータウン東山に行く

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京王相模原線の京王堀之内駅から北へ行った、「多摩ニュータウン東山」に行ってきました。以前から開発しているのは聞いていて行こうと思っていたものの忘れていて、やっと行くことができました。

多摩ニュータウン東山は、多摩ニュータウンの第19住区を構成します。最後の方まで残ったエリアでしたが、2年ほど前から入居が始まっているようです。なお、このブログでも何度か記事にしている稲城市の南山とは名称等の関連性はありません。

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街並み
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野猿街道の堀之内駐在所前交差点~都道155号線のフードワン前の交差点を結ぶように、区域内に周回の主幹線道路が整備され、その他1本の準幹線道路が整備されました。

幹線道路は2車線で両側に広い歩道があります。幹線道路は無電柱化が図られていて、広々とした空間が広がっているように見えます。

東山は戸建てにより構成されていて、積水ハウス341区画と大和ハウス工業340区画の計681区画の建築条件付宅地分譲となっています。

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ここは「東京森都心」と広告し販売しているように、緑を大切にしたまちづくりがなされています。
区域の中央には森をそのまま残した公園や、八王子市と緑地協定を結び「接道の25%以上の長さで奥行き1m以内に0.5m以上の植栽帯を設け主出入口側の道路境界から2m以内に中木・高木を各1本づつ以上植樹・・・」といった具合に細かくルールが決められています。

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幹線道路以外の街路も6mほどの幅がありそうな広めな道路になっていて、土地の区画もすべて185平方メートル以上と、かなりゆとりのあるような印象を受けました。
現在稲城市で分譲しているプラウドシーズン栗平(130平方メートル以上)なんかと比べてもかなり広い印象です。

販売は南側と西側から順に奥に向かって行っているようで、既に完売となった区画がある一方、一番奥の区画はまだ販売されていません。

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主幹線道路には路線バスも運行されています。
京王堀之内駅から東山区域内を反時計回りで循環し京王堀之内駅に戻っていきます。

もともとは2013年4月1日に新設されたバス路線で、その当時は京王堀之内駅から都道155線に沿って運行し、フードワン前の交差点を右折。その後東山住宅バス停で折り返していました。2016年4月1日に改正し循環運行となっています。

かなり高頻度な運行で、日中だからかバスの中はガラガラでした。場所にもよりますが、駅まで歩けない距離ではなさそうです。

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まだ販売が始まっていない北側の区域は更地が広がっています。とりあえず造成は完了しているようです。

分譲が始まるとあっという間に家が建っていくので、この状態の景色が見られるのは今だけですね。心地よい風が吹いていました。


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街路にはところどころ写真のような島状の土地や、サークル状の道路(クルドサック)がありました。

縦と斜めの道路の区画が行き詰ったとことでこういう構造になっていたりしているみたいです。かなり贅沢な土地の使い方に見えますね。島状の土地は誰の所有物になっているんだろうか。道路の一部なのだろうか。

堀之内沖ノ谷戸公園
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東山の中央には堀之内沖ノ谷戸公園が整備されました。案内図を見るとわかるように保全区域もあります。遊具等は少ししかありませんでした。

本来ならば保全区域の方まで行ってみたかったのですが、蝉が多すぎて気持ちが悪かったので諦めました。こんどは冬に来ます。

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公園の北側には数台分の駐車スペースがある(行ったときは未開放)ほか、公園の中央には身障者用の駐車スペースが1台分ありました。ただ、どうやって入ってくるんだろうか・・・とかなかなか理解しにくい設計だなぁと思いました。

左側のトイレは公衆トイレで、その左上には見晴し広場があります。

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見晴し広場から北側の景色。ちょうど路線バスが通過していきました。

ここから見えた北側の区域はまだ分譲されておらず空き地が目立ちましたが、来年はまた違った景色になっているのでしょうかね。

誰が言い出したかオールドタウンとも言われる多摩ニュータウンですが、初期に入居した団地では建て替えが始まっていたり、ここ第19住区は新しく入居が始まったばかりだったり、いろいろな景色がある街です。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-28 20:30 | 散策 | Comments(0)

かつては行楽地?野猿峠ハイキングコースを歩く(その2)

さて、前回の続きです。

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都道155号の旧道を進みます。途中「多摩テック入口」という交差点が現在でも残っています。

多摩テックが閉園したのは2009年9月。それから8年近く経過していますが、跡地の利用は進んでいません。一時明治大学がキャンパスの建設を計画していましたがキャンセル、訴訟にまで発展しているようです。そのキャンパス建設のお知らせ看板が立っていましたが、そのお知らせの日付は2011年のまま止まっていて、その後何も進展がないようです。

さて、旧道を進み、写真の矢印の場所を右に曲がって、多摩テックの南側へと入っていきます。

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途中の多摩ニュータウン方面の景色。こうやって見ると多摩ニュータウンはかなり木々が多い街なんだなぁというのを実感します。

この先も進み、都立平山城址公園の園内へと入っていきます。


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都立平山城址公園に入ります。流石に、公園の中は綺麗に整備されていました。

宅地化が進み、昭和初期の姿はほとんどない野猿峠ハイキングコースですが、公園にでもしないと自然は残せないのかな・・・なんて思ったりしました。最近では断崖のような驚くような場所もミニ開発で宅地化されていたり。


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都立平山城址公園の案内板。上が南になっています。

園内を横断して西側(この地図では右側)に進んでいきます。

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上の地図では一番右側にあたる場所に到達しました。

見ての通り、地図には「行き止まり」とありますが、「とは言って、本当は行けるんでしょ?」と思って進みましたが、薄暗くなり怖かったので引き返しました。

その行き止まりの場所にあったのが写真です。ここには「六国亭」という食堂?があったようですが、ネットの情報によると2006年7月ごろに放火に遭い、そのまま放置されているようです。焦げた建物や自動車がそのままの状態で残されていて、あまり近づきたくない感じです。

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ということで、長沼の住宅地を迂回して進みます。

坂道の多い住宅地です。


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住宅地へ迂回し、そして戻り、今度は都立長沼公園に入っていきます。(ここまでの道のりも大分省略しています。)

こちらも自然公園で、園路はいくつかあります。このまま尾根筋に行くと野猿峠に行きますが、飲み水が底をつきくらくらしてきたので下山して京王線の長沼駅を目指します。

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都立長沼公園からの景色。非常に長めがいいですね。冬だともっと景色がいいのでしょうね。

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公園を降り、公園の入口に到着。このとき時刻は16:20頃。高幡不動駅から3時間ないほどで到着しましたが、ゆっくり歩くともっと時間がかかると思います。

ここから長沼駅までは5分ほど。長沼公園は何度か来たことがあります。


昭和初期に野猿峠がハイキングコースとして流行し、それとほぼ同じルートを歩いてみようと実行した今回の計画。ハイキングとしては現在でも程よい疲労感でいいコースでした。ただ所々で見渡せる景色は最高なものの、道中似たような景色でちょっと飽きてしまう部分もありました。

本当は野猿峠まで行く予定でしたので、またの機会に続きを実行したいと思います。

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ここを歩きました。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-27 00:00 | 散策 | Comments(0)

かつては行楽地?野猿峠ハイキングコースを歩く(その1)

野猿峠」と聞いて何を思い浮かべますか?

おそらく、「八王子市街地と多摩ニュータウンを結ぶ野猿街道がある小さな峠」というイメージの人が多いのではないでしょうか。峠といいつつ、大してグネグネもしていない丘ですが、かつては行楽地であったようです。

戦前から、戦争を挟み、戦後まで、ハイキングが流行し京王帝都電鉄は野猿峠や七生村(現:日野市の一部)を気軽に行けるハイキングコースとして大々的に広告していたようです。一時はハイキング特急という電車まで運行させていたらしい。

その後周辺の宅地化や、多摩動物公園の開園、流行の終息などで当時のハイキングコースはとぎれとぎれになっています。

・・・ ・・・ ・・・

ということで、当時のハイキングコースとほぼ同じルートを歩いてみました。
当時コースはいくつかあったようですが、高幡不動駅から尾根筋を西へ向かうコースを歩きました。野猿峠まで行く予定でしたが、暑すぎてくらくらしたので途中で諦めました。機会があれば続きを歩く予定です。

今回の記事は歩いた記録なので、ハイキングが流行した当時の様子については割愛します。なお、歩くにあたって以下の書籍を参考にしました。

多摩のあゆみ第166号 特集 郊外行楽地と多摩
 公益財団法人たましん地域文化財団 平成29年5月15日発行
京王風土記
 京王帝都電鉄株式会社 1954年(昭和29年)4月1日 発行
郊外行楽地の誕生
 多摩市文化振興財団パルテノン多摩 2002年8月 発行
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歩いたルートはこちら。高幡不動駅を出て南西へ尾根筋をひたすら歩きます。その1では都道155号線付近まで書きます。

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高幡不動駅を13:40スタート。駅周辺で飲み物の調達をしておきます。忠告ですが、長沼駅まで自販機はありませんでした。

500mLのペットボトルでは足りず、最後の方くらくらして「やばいかも」と思ったのは内緒です。多めに水は用意した方がいいです。

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駅から歩いてすぐ、高幡不動尊に到着。歩いたのは7月上旬ですが、アジサイの季節ということもあって多くの人がアジサイを見に来ていました。

境内に入り、近藤勇の銅像を過ぎたら左へ、そこから山を登っていきます。トイレは境内にあります。


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そのアジサイはこんな感じ。綺麗に咲いていました。が、アジサイが目的ではないので足早に通過します。


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14:00頃、高幡不動尊の境内を登り切りました。この辺まで来るとアジサイはないので人影はまばらです。

ちなみに、境内の下の標高は約70m、上は約120mなので、この間だけで50mも登っています。

ここから先は尾根に沿って歩いていくことになります。

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境内を抜けると住宅地になります。ハイキングが流行した昭和初期は草木の中を進むようなハイキングコースらしい場所だったようですが、現在は当時の面影はありません。

なお、ハイキングが流行した当時はこの付近に「ピンヘット山」という場所があったようです。どうやらここにあった山の上に煙草のピンヘットの看板があり目立ったことからそう呼ばれていたようですが、もちろんその面影も今はありません。
当時のハイキングコースの資料を見ると目印としてよく書かれているので、よほど目立つ存在だったんでしょうね。どんなんだったのかなぁ・・・

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住宅地の間から見えた景色。日野市の日野駅の方を見ています。遠くの方まで見渡せますね。
この反対側の程久保方面もいい景色でした。


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2,3回交差点を屈折した後、南平東地区センターの横の階段を登っていきます。

ここから多摩動物公園の西側の際を延々と歩いていくことになります。


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こんな感じの路が延々と続きます。左側が多摩動物公園で、フェンスで囲われていました。

道は草が刈られてはいますが、ところどころ不十分なところもあります。それより蚊がわんさかいて大変でした。止まると刺されます。

こう見えて意外とアップダウンがあるので大変な道です。景色が変わらないのがね。

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南平2丁目付近、一部分だけ景色を望める場所がありました。なかなかの景色です。

この先100mほど住宅地に出ますが、道なりに進んで再び多摩動物公園の際の道に戻ります。


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途中で園内の施設が見えたり。


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そんなこんなしていると、七生公園の園内に合流します。ここから坂を下り都道155号に降りていきます。
(大分省略しています。小さな橋があったり、鉄塔の横を通り抜けたりします。)


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途中であった案内板。現在は「かたらいの路」と名付けられているんですね。「都立多摩丘陵自然公園」の存在も微妙。

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都道155号線に合流。14:45頃。ここから今度は多摩テック跡地の南側を回って進みます。この続きは次回


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-26 00:00 | 散策 | Comments(0)

相原南北線・相原大沢線 進捗状況2017夏

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町田市の相原駅と相模原市の相原台を結ぶ、町田都市計画道路第3・4・49号相原南北線相模原都市計画道路第3・4・17号相原大沢線の建設状況を見てきました。

この道路は町田市と相模原市によって事業が進められているもので、途中の境川より北側が町田市、南側が相模原市が施行します。

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事業区間の町田市側より相原駅方面を見ています。

信号で交差する道路が町田街道で、その先に行くと相原駅に到達します。相原駅西口の道路は2016年春に供用開始され、町田街道上にあった相原バス停は駅西口のロータリーに移設されました。

以前は、ここより北側にずっと抜け、八王子みなみ野まで通す計画で事業予定区間にも入っていましたが、現在は事業予定から外れています。

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事業区間の町田市側より相模原方面を見ています。

既に整備が完了した片側2車線の道路はここで狭くなり、1車線強の道路になります。この写真のすぐ奥で境川を超えることになり、そこから先は相模原市に入ります。町田市側はおおむね用地取得が完了しているように見ました。


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相模原市内の、事業区間のほぼ中間地点です。

相模原市内では思ったほど用地取得が進んでいないように見ました。

町田市と相模原市では、両市を行き来する道路の計画が複数ありますが(多摩ニュータウン通り延伸、南多摩尾根幹線道路の延伸(計画)、相模原駅南北道路の都市計画決定(計画)など)、この道路もその一つです。

橋本・相原周辺は横浜線や国道16号線を中心に渋滞が激しいイメージがあります。ただし、ここに来たときはそれほどでもありませんでした。町田街道の横浜線との踏切部分は、現在立体交差化に向けて事業が進められていて、完成すればこの道路も含めて東西南北の動線が増えることになりそうですね。

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相模原市側の事業端から町田市方面を見ています。

ここは以前は当麻田小学校入口交差点があった場所です。元橋本方面に抜ける道路(相原元橋本立体)が2015年春に開通したことにより、交差点の形状が変更になりここにあった信号機も廃止されました。

相原元橋本立体は、城山方面から橋本駅北口方面に横浜線と立体交差で抜けられる道路で、交通量は多めでした。走ったことがありますが、国道16号の信号でどうしても引っかかるんですよね。しょうがない。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-25 14:30 | 道路計画や開通など | Comments(2)

京王 新5000系の入れ替え

電車を待っていると京王 新5000系が入れ替えのため車庫から出てきました。

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聞いた話だと、陸送後編成が完成し車庫内での試運転や夜間本線試運転をしているようです。やっと顔を見ることができました。

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光の反射がすごいですね。

京王らしくない顔立ちでなかなかイケメンです。内装も今までとはちょっと違っているのがわかりました。早く乗ってみたいものです。

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車両はすぐに車庫の方へ戻っていきました。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-15 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

京王線仙川~調布駅間の旧線跡をたどる

 京王線の仙川駅~調布駅間にはかつて電車が走った場所「旧線」が存在します。1913年(大正2年)4月15日の京王線の開通から、1927年(昭和2年)12月17日に現在のルートに移設されるまで使用されたらしいです。

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a0332275_00090388.pngこの地図は2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図の一部を使用したものである。

 旧線は仙川駅を出るとそのまま直進。甲州街道を越えその北側を走った後、再び甲州街道を越え、現在の京王線ルートに合流していたようです。使用された期間はわずか14年程度と短く、現在のルートになってから90年近くが経過し、あまり知られていないのではないかと思います。

 ということで、京王線旧線を辿ってみることにしました。調布駅側から仙川駅にかけて歩いたので、その順番で書いていきます。

調布駅~布田駅(停留場)
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 調布駅から現在の線路を新宿方面に進みます。

 調布駅付近は2012年(平成24年)8月に地下化され、現在は地上で電車の姿を見ることができませんが、線路跡は多くの場所で空き地で残されています。今回探索するのは地下化した線路跡ではなく、90年前まで使われていたそれより古い線路です。

 しばらく進むと、現在の調布駅と布田駅の中間付近で北側に鉄道用地の膨らみが現れます。この膨らみは地下化工事に伴ってできたものではなく、90年前までここで線路がカーブしていた名残のようです。ここでカーブした後は仙川駅付近までほぼ直線で進みます。

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旧線は旧甲州街道を越えます。現在は「布田駅前」という交差点になっています。この付近に当時の痕跡は見つかりませんでした。

この旧甲州街道は当時はメインの道で現在の甲州街道はありませんでした。『調布市百年史』によると、現在の甲州街道の開通は1955年(昭和30年)3月のようで、京王線旧線が移設されてからしばらく経ってからになります。その影響なのか、街道沿いでは市街化が進み、戦中の航空写真で線路跡がわかっても、現在の航空写真では線路跡を判別するのが難しいほどまでになっています。

交差点角の奥に見えるのは「医王山 常性寺」で、この付近に当時の布田駅(布田停留場)があったようです。

布田駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
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当時の布田駅からさらに進み、現在の甲州街道を越えます。既に述べたように、当時はこの道路は開通していませんでした。

スバルの自動車販売店付近をそのまままっすぐ進み。この先で旧国領駅(停留場)があった場所へとたどり着きます。

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甲州街道の北側に旧国領駅の跡があります。現在は当時の痕跡はほとんどありませんが、ここに駅があったことを示す標が建てられていました。

標には「京王線旧国領(北浦)駅跡」とあり、その両脇にも説明書きがありました。説明書きは以下の通りです。

 ここは、京王線が大正二年四月十五日、笹塚・調布市間で運転を開始したとき、地元民の用地提供によって設置された停留所跡地である。
 当時の京王線は、仙川駅西方から現在の滝坂に沿って坂を下り、甲州街道の路面を通り、西つつじヶ丘三丁目西端で甲州街道の北側に入り、当地を経由、国領一丁目西で甲州街道を横切り、調布駅の東側で現線路に接続していた。
 その後、昭和二年十二月、滝坂の急坂と道路併用を改良するため、甲州街道の南側に線路が移設されたのに伴い廃止された。
 この停留所名は一時、「北浦」であったといわれている。会社は当初「国領」としたが、地元の強い要望によって字名の「北浦」と変更した模様である。その後、いつ「国領」と改めたのかは明確ではないが、大正六年の初めごろ、ここと調布との間に「布田」(常性寺前)を新設し、またいくつかの停留所名を改称したのと時を同じくして改められたと思われる。
 したがって、「北浦」は極めて短時間の停留所名であったと推測されている。

 「北浦」が「国領」に改められた時期は明確ではないとされていますが、1917年(大正6年)の地形図(上に掲載)には、現在の国領駅が「北浦」、布田駅が「国領」と書かれています。当時の駅名はうまく固定されていなかったことが伺えますが、下記のサイトが参考になったので紹介させていただきます。

a0332275_23220705.jpgこの地図は国土地理院の基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新の建物輪郭を使用し編集したものである。

 このさき、西つつじヶ丘の甲州街道までほぼ直進します。ここからの区間は、昔の線路跡の土地の形がよく残っていて、航空写真で見るとこの部分だけ家の配置に違和感があります。左の図は建物の輪郭だけを抽出したもので、これでもよくわかりますね。ただし、知らずに街を歩いてもそう簡単にわかるものではなさそうです。

 この国領駅跡の標の右側のアパートも、アパートの土地が線路跡に沿うような形になっています。

国領駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
a0332275_00025674.jpg

 旧国領駅を出ると、現在は調布郵便局になっている裏側を通ります。写真の左側はデニスコートで、その奥に調布郵便局があります。 当時の線路はこの道路の中央あたりから左側にあったのではないかなと思います。航空写真で見ると線路の跡のようなものがわかります。

a0332275_22042317.jpg

 その先でも住宅地が線路の跡に沿うように建っています。左の奥の方に見えるのは現在の国領駅前のタワーマンションです。現在の国領駅は市街地再開発事業や線路の地下化でかなり発展しました。

 戦時中の航空写真を見てもこの旧線の周囲には田畑が広がっているようなので、大正~昭和初期にかけてはどんな景色だったのか想像をするだけでも楽しいですね。

a0332275_22085246.jpg

 線路は現在の調布第七中学校の敷地にぶつかります。調布第七中学校は1976年(昭和51年)に開校した中学校です。

 中学校の敷地には、昔京王線が通っていたことを示す標が建てられていました。

a0332275_22202241.jpg

 中学校の反対側には大き目の看板もありました。このようにして過去の地域の歴史を知らせる看板の意義は大きいと思います。ただ、「金子停留所もあったはず」という書き方を見ると信用していいものなのか・・・?

 中学校の敷地を抜けると野川を渡ります。現在の野川は完全に整備されていて当時の面影を知ることはできません。

a0332275_22273499.jpg

 その先は現在は住宅地になった場所を通り抜けます。一部だけ家の向きが他の家と比べて斜めっているところがあり、そこが京王線が走っていた場所だとわかります。
a0332275_10584038.jpg

 京王線の跡はやがて佐須街道(深大寺通り)と交差します。このアパートの場所に旧柴崎駅があったようです。当時の電車は今ほど大きくなく長くもなかったようですが、どのあたりにホームがあったのかも今は見当がつきません。

現在この辺りはちょっとした商店街となっています。

柴崎駅(停留場)~金子駅(停留場)
a0332275_09473367.jpg

 この写真は今年オープンした商業施設「クロスガーデン調布」の屋上駐車場から調布方面に向かって撮影したものです。

 手前には調布自動車学校の教習コースがあり、そこから京王線跡の幅と同じ敷地と繋がって奥に教習車両置き場があります。

 その奥に向かって地平線に見える大き目の建物が密集している場所が調布駅です。ここから見ると京王線旧線の跡がなんとなくわかるような感じがしますね。ほぼ直線的に調布駅付近まで繋がっていたことがわかります。

a0332275_09531636.jpg

 さらに新宿方面に進むと甲州街道に合流します。ここから暫く甲州街道の上を路面電車のような形で走っていたようです(併用軌道)。

 『京王帝都電鐵三十年史』には、

 この国道併用部分および勾配を除く工事に着手した。たまたま甲州街道の拡幅工事が行われたので、これを機会に軌道を街道南側に移設して専用軌道としたのである。工事は、現在のつつじヶ丘駅付近に盛土を施し、ここに軌道を移して、仙川の西側切通りから国領までを一直線に改めた。
とあるように、当時からここがネックになっていたことがうかがえます。なお、東京オリンピックの際にも甲州街道は拡幅されているようです。

 また、このころ京王線では玉南電鉄(府中~東八王子(現:京王八王子)間)の開通と合併、京王閣遊園地も開業するなど沿線状況も変わっていたようで、『京王電気軌道株式会社三十年史』には、

 尚其の他の企畫(業)、工事としては、笹塚―代田橋間の府道の平面交叉を立體(体)交叉に改良のため、橋梁を敷設して勾配を取り除き、仙川―柴崎間壹粁八分の急勾配を六十分壹に改め、金子附近の國道併用を避けて新たに専用線路を敷設し、更に、近くは昭和拾壹(11)年九月初臺(台)―幡ヶ谷間の併用軌道を専用軌道に移設する等、乗客の利便のために巨費を投じて大々的改良工事を敢行し、又自動信號(号)機を設置し輸送の安全を圖(図)る外、車輛を増加し、サービスに遺憾なきを期した。
とあるように、設備増強の時期を迎えていたことがわかります。また、1931年(昭和6年)には御陵線も開通(現在は一部廃止)しました。このころには新宿~府中間で木柱を鉄柱に改めるなどしていたようです。

 引用文中の急勾配はこの先登場します。(引用は一部現代漢字を追記した)

a0332275_10163059.jpg

 線路は甲州街道を進み、現在のつつじヶ丘駅の北側付近に旧金子駅跡がありました。

a0332275_10302100.jpg

 金子というのは古くからの地名のようです。京王線が現在地に移設した後もしばらく金子駅のままでした。

 京王線が現在の位置に移設後、1950年代に入って車両を4両編成化することになります。その際、2面4線だった千歳烏山駅の拡張は困難であったことから金子駅を2面4線にして増強することになりました。ホームの拡張は駅を新宿方面に80m移設、ホームと駅舎は地下道で結ばれることになり、1957年(昭和32年)5月15日から新ホームで営業を開始しました。この時に既に6両編成に対応する土地を確保していたようです。また、千歳烏山折り返し電車と急行退避をこの駅で行うようになります。

 これと同時に駅の名前を「金子」から現在の「つつじヶ丘」に改称されています。

 当時の京王の情報誌『京帝たより』には

 十五日から「つつじヶ丘」と駅名を改称するが、これは現在八高線にも金子という同名の駅があり連絡運輸上混同する恐れがあるため、さらに近く分譲する「つつじヶ丘」高級住宅地下車駅として駅名の明確を期するものである。
とあります。現在では地名もつつじヶ丘になり、金子はバス停名や郵便局名などに残る程度になっています。

金子駅(停留場)~仙川駅
a0332275_10492455.jpg

 金子駅を出てもしばらく甲州街道を走行後、甲州街道を南側にそれます。この付近は河岸段丘により急な坂道になっていて「滝坂」と呼ばれています。当時の甲州街道は旧道を通っていて自動車が走る前から難所だったようで、新道に付け替えられて勾配が緩やかになっています。

a0332275_10495950.jpg

 京王線もここの急勾配が大変だったことが、上記引用からもわかります。京王線があった方の坂は現在は道路になっていて、「売地の坂」と呼ばれているようです。

 写真奥に見えるのはキユーピー仙川工場跡地にできた「仙川キユーポート」です。その手前で現在の道路は都道と交差していますが、京王線が走っていたころは道路の橋をくぐっていたようです。そのため頂上付近は当時より勾配が急になっています。


a0332275_11041321.jpg

 滝坂を上りきると現在の京王線と合流します(写真矢印より奥かもしれません)。当時はキユーピーがある場所を一部通っていました。キユーピーの工場閉鎖と建て替えに伴って現在はよくわかりませんが、工場時代の建物は線路敷地の形跡がなんとなくわかります。

a0332275_11240663.jpg

 現在の仙川駅です。掘割式の駅になっています。


参考資料(50音)
基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新
国領か 仙川か Oka Laboratory 備忘録
 http://okalab.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e8b7.html
『せんがわ21 第14号 特集・せんがわ界隈史』
 1993年(平成5年)9月 せんがわまちニティ情報センター 編
『多摩の鉄道沿線 古今御案内』
 2008年(平成20年)7月28日 今尾恵介 著
『2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図』
地理院地図
 https://maps.gsi.go.jp
『京王帝都電鉄30年史』
 1978年(昭和53年)6月1日 京王帝都電鉄株式会社総務部 発行
『京王電氣軌道株式會社三十年史』
 1941年(昭和16年)3月20日 京王電氣軌道株式會社 発行
『京王風土記』
 1954年(昭和29年)4月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第39 』
 1956年(昭和31年)5101日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第46号』
 1957年(昭和32年)5月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『調布今昔写真集』
 1974年(昭和49年)3月31日 調布市教育委員会 発行
『調布市百年史』
 1968年(昭和43年)10月1日 調布市役所 発行
『東京都調布市立滝坂小学校 創立百周年記念誌』
 1973年(昭和48年)8月4日 調布市立滝坂小学校創立百周年記念事業協賛会 発行

著作権の関係上難しい部分があるため載せていませんが、上記資料の中に当時の写真などがあります(旧布田駅、旧金子駅、滝坂周辺等)。参考にしてみてください。


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by yunomi-chawan1 | 2017-07-03 00:00 | 鉄道 | Comments(0)


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