カテゴリ:鉄道( 36 )

京王 新5000系に乗る

6月末に若葉台に運ばれた京王線の新5000系が9月29日から営業運行を開始したと聞いて、10月2日乗ってきました。若葉台への陸送については過去記事。


a0332275_07442885.jpg

新宿駅に到着した5731F、LED前照灯の明るい光がホーム入線から輝いていました。前面は京王らしかぬフォルムで斜めになっています。

a0332275_07445033.jpg

あとで電車を降りてから撮影した写真。今までの京王線の電車とはひと味違ったフォルムで、新車ということもあってピカピカです。

a0332275_07451268.jpg

車内は茶色を基調とした落ち着いた色になっていました。通路の中央部分にもLCDが設置されていました。椅子が大きくなったせいか若干圧迫感を感じました。通路も狭いのではないかな。

a0332275_07452703.jpg

椅子はヘッドレスもついた6人掛け。一般的な7人掛けより減っています。定員も減っていて、乗っているとやはり窮屈さはありました。この電車は来年春から座席指定列車としても使われる予定です。

a0332275_07453532.jpg

優先座席は固定の3人掛けです。長時間座っていると腰にきました。腰の部分、もう少し膨らみがあった方が個人的にはうれしいかな。都営10-300系3次車以降の方が座り心地がいいかも。

a0332275_07454693.jpg

これに乗った10月2日現在は一般広告は掲示されておらず、LCDも京王線独自の広告が流れていました。

春から始まる座席指定列車、愛称も含めてどうなるか、半年ほど期待ですかね。


by yunomi-chawan1 | 2017-10-03 12:00 | 鉄道 | Comments(0)

返還の動きがある厚木基地引込線をたどる

愛甲石田方面にサイクリングに行った帰り、気になる鉄道路線があったのでついでに見てきました。

その鉄道路線は記事の題名の通り厚木基地への引込線で、相鉄本線の相模大塚駅付近から厚木基地に向かって伸びる貨物線です。数か月前、返還に向けて動き出しているというネットのニュースを見て気になったのです。以前1度見たことはあるのですが、正式に返還される前にじっくり見ておこうと行ってみました。


この記事は2017年9月23日に公開したものです。該当地については平成29年9月30日に返還されました。詳しくは防衛省自衛隊HP。http://www.mod.go.jp/j/press/news/2017/09/29a.html
a0332275_14090489.png

▲厚木基地の引込線の位置

a0332275_23510809.jpg

引込線の厚木基地に接する部分。基地に向けては柵でふさがれ、基地内の線路は既に撤去されているようでした。結構最近まで基地内にも線路があったようですが。

そもそもこの引込線は基地への燃料輸送のための線路でしたが、1998年以降列車は走っていないようで休止状態が続いてるそうです。まだ廃止にはなってないようです。

ここから相鉄本線に向けて順に追っていきます。

a0332275_00023069.jpg

こちらは基地に一番近い踏切。踏切の警標や警報灯もそのまま残されています。まだこの線路が使われていた当時にあったのかわかりませんが、遮断機はありませんでした。


a0332275_00214593.jpg

踏切には「CAUTION」と英語も書かれています。


a0332275_00253316.jpg

線路はカーブして相鉄本線方向に進んでいきます。線路は全線単線で、写真を見るとわかるように架線が張られています。

休止になった当時も電化されていたようですが、現在でも比較的綺麗な状態で架線が張られているのを見ると、現在もメンテナンスがされているんですかね。

a0332275_00332443.jpg

路線には第4種踏切なのか、勝手踏切なのか、通り道が何か所かありました。


a0332275_00353541.jpg

カーブを曲がり終えると東名高速道路を越えることになります。右に見える防音壁が東名高速道路です。

東名高速道路の側道にも踏切が設けられています。


a0332275_00394869.jpg

東名高速道路を越える部分は橋になっています。高速道路を走っていてこの線路の架線に気づくドライバーもいることでしょう。上り線の大和トンネルの手前です。

この引込線自体は東名高速道路ができる前からあるようです。現在でも線路も比較的綺麗で、20年近く列車が走っていないとは思えない状態でした。

米軍基地への引込線といえば横田基地があり現在でも列車が運行していますが、そこと比べても結構綺麗な状態に見えます。横田基地のは電化されていませんでしたね。

a0332275_00440361.jpg

東名高速道路を渡った反対側の側道にも踏切があります。


a0332275_00481937.jpg

さらに相鉄線方面に進むと、木が覆っている場所がありました。ここが一番休止線みたいな場所ですかね。


a0332275_00531272.jpg

またさらに進んで踏切。こちらは北側には警標とかは設置されていませんでした。


a0332275_00561578.jpg

さらに進んで県道40号線の踏切です。「踏切あり」の標識も設置されています。一般的に車は踏切で一時停止の義務がありますが、ここで一時停止している車は10パーセントくらいでした。列車が走らなくなってから暫く立ちますが、まだ一時停止の義務はあるんですかね?ただ標識はありますしどうなんでしょうか。ちょっと危ないかもしれませんね。

a0332275_01030921.jpg

県道40号から見た線路はこんな感じ。草こそ生えているものの比較的綺麗な状態でしょうか。

鉄道用の機器の箱と思われる装置も設置されています。


a0332275_01014770.jpg

さらに進んでまた踏切。


a0332275_01020212.jpg

さらに進むと相鉄本線の線路脇に合流します。この写真は厚木基地方面に向いています。引込線入口部分は工事用フェンスでふさがれていました。


a0332275_01114100.jpg

引込線はそのまま暫く相鉄本線と並行して続いていました。写真の一番左の線路です。側線ですかね。当時は相模大塚駅から一度側線に入ってUターンして厚木基地に向かっていたのでしょうかね?


さて、この線路の返還について。詳しくは下記記事で書かれています。
厚木基地1・3ヘクタール返還へ日米が合意|カナロコ|神奈川新聞ニュース
http://www.kanaloco.jp/article/264532

ここ近年でも、由木通信所の全部返還があったり、多摩サービス補助施設の一部返還もあったりしていますが、近いうちに正式に返還されるでしょうかね。


by yunomi-chawan1 | 2017-09-23 00:00 | 鉄道 | Comments(1)

京王 新5000系の入れ替え

電車を待っていると京王 新5000系が入れ替えのため車庫から出てきました。

a0332275_23562694.jpg

聞いた話だと、陸送後編成が完成し車庫内での試運転や夜間本線試運転をしているようです。やっと顔を見ることができました。

a0332275_23562633.jpg

光の反射がすごいですね。

京王らしくない顔立ちでなかなかイケメンです。内装も今までとはちょっと違っているのがわかりました。早く乗ってみたいものです。

a0332275_00012837.jpg

車両はすぐに車庫の方へ戻っていきました。


by yunomi-chawan1 | 2017-07-15 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

京王線仙川~調布駅間の旧線跡をたどる

 京王線の仙川駅~調布駅間にはかつて電車が走った場所「旧線」が存在します。1913年(大正2年)4月15日の京王線の開通から、1927年(昭和2年)12月17日に現在のルートに移設されるまで使用されたらしいです。

a0332275_23542033.png
a0332275_00090388.pngこの地図は2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図の一部を使用したものである。

 旧線は仙川駅を出るとそのまま直進。甲州街道を越えその北側を走った後、再び甲州街道を越え、現在の京王線ルートに合流していたようです。使用された期間はわずか14年程度と短く、現在のルートになってから90年近くが経過し、あまり知られていないのではないかと思います。

 ということで、京王線旧線を辿ってみることにしました。調布駅側から仙川駅にかけて歩いたので、その順番で書いていきます。

調布駅~布田駅(停留場)
a0332275_23120311.jpg

 調布駅から現在の線路を新宿方面に進みます。

 調布駅付近は2012年(平成24年)8月に地下化され、現在は地上で電車の姿を見ることができませんが、線路跡は多くの場所で空き地で残されています。今回探索するのは地下化した線路跡ではなく、90年前まで使われていたそれより古い線路です。

 しばらく進むと、現在の調布駅と布田駅の中間付近で北側に鉄道用地の膨らみが現れます。この膨らみは地下化工事に伴ってできたものではなく、90年前までここで線路がカーブしていた名残のようです。ここでカーブした後は仙川駅付近までほぼ直線で進みます。

a0332275_23442485.jpg

旧線は旧甲州街道を越えます。現在は「布田駅前」という交差点になっています。この付近に当時の痕跡は見つかりませんでした。

この旧甲州街道は当時はメインの道で現在の甲州街道はありませんでした。『調布市百年史』によると、現在の甲州街道の開通は1955年(昭和30年)3月のようで、京王線旧線が移設されてからしばらく経ってからになります。その影響なのか、街道沿いでは市街化が進み、戦中の航空写真で線路跡がわかっても、現在の航空写真では線路跡を判別するのが難しいほどまでになっています。

交差点角の奥に見えるのは「医王山 常性寺」で、この付近に当時の布田駅(布田停留場)があったようです。

布田駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
a0332275_00270044.jpg

当時の布田駅からさらに進み、現在の甲州街道を越えます。既に述べたように、当時はこの道路は開通していませんでした。

スバルの自動車販売店付近をそのまままっすぐ進み。この先で旧国領駅(停留場)があった場所へとたどり着きます。

a0332275_22362664.jpg

甲州街道の北側に旧国領駅の跡があります。現在は当時の痕跡はほとんどありませんが、ここに駅があったことを示す標が建てられていました。

標には「京王線旧国領(北浦)駅跡」とあり、その両脇にも説明書きがありました。説明書きは以下の通りです。

 ここは、京王線が大正二年四月十五日、笹塚・調布市間で運転を開始したとき、地元民の用地提供によって設置された停留所跡地である。
 当時の京王線は、仙川駅西方から現在の滝坂に沿って坂を下り、甲州街道の路面を通り、西つつじヶ丘三丁目西端で甲州街道の北側に入り、当地を経由、国領一丁目西で甲州街道を横切り、調布駅の東側で現線路に接続していた。
 その後、昭和二年十二月、滝坂の急坂と道路併用を改良するため、甲州街道の南側に線路が移設されたのに伴い廃止された。
 この停留所名は一時、「北浦」であったといわれている。会社は当初「国領」としたが、地元の強い要望によって字名の「北浦」と変更した模様である。その後、いつ「国領」と改めたのかは明確ではないが、大正六年の初めごろ、ここと調布との間に「布田」(常性寺前)を新設し、またいくつかの停留所名を改称したのと時を同じくして改められたと思われる。
 したがって、「北浦」は極めて短時間の停留所名であったと推測されている。

 「北浦」が「国領」に改められた時期は明確ではないとされていますが、1917年(大正6年)の地形図(上に掲載)には、現在の国領駅が「北浦」、布田駅が「国領」と書かれています。当時の駅名はうまく固定されていなかったことが伺えますが、下記のサイトが参考になったので紹介させていただきます。

a0332275_23220705.jpgこの地図は国土地理院の基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新の建物輪郭を使用し編集したものである。

 このさき、西つつじヶ丘の甲州街道までほぼ直進します。ここからの区間は、昔の線路跡の土地の形がよく残っていて、航空写真で見るとこの部分だけ家の配置に違和感があります。左の図は建物の輪郭だけを抽出したもので、これでもよくわかりますね。ただし、知らずに街を歩いてもそう簡単にわかるものではなさそうです。

 この国領駅跡の標の右側のアパートも、アパートの土地が線路跡に沿うような形になっています。

国領駅(停留場)~柴崎駅(停留場)
a0332275_00025674.jpg

 旧国領駅を出ると、現在は調布郵便局になっている裏側を通ります。写真の左側はデニスコートで、その奥に調布郵便局があります。 当時の線路はこの道路の中央あたりから左側にあったのではないかなと思います。航空写真で見ると線路の跡のようなものがわかります。

a0332275_22042317.jpg

 その先でも住宅地が線路の跡に沿うように建っています。左の奥の方に見えるのは現在の国領駅前のタワーマンションです。現在の国領駅は市街地再開発事業や線路の地下化でかなり発展しました。

 戦時中の航空写真を見てもこの旧線の周囲には田畑が広がっているようなので、大正~昭和初期にかけてはどんな景色だったのか想像をするだけでも楽しいですね。

a0332275_22085246.jpg

 線路は現在の調布第七中学校の敷地にぶつかります。調布第七中学校は1976年(昭和51年)に開校した中学校です。

 中学校の敷地には、昔京王線が通っていたことを示す標が建てられていました。

a0332275_22202241.jpg

 中学校の反対側には大き目の看板もありました。このようにして過去の地域の歴史を知らせる看板の意義は大きいと思います。ただ、「金子停留所もあったはず」という書き方を見ると信用していいものなのか・・・?

 中学校の敷地を抜けると野川を渡ります。現在の野川は完全に整備されていて当時の面影を知ることはできません。

a0332275_22273499.jpg

 その先は現在は住宅地になった場所を通り抜けます。一部だけ家の向きが他の家と比べて斜めっているところがあり、そこが京王線が走っていた場所だとわかります。
a0332275_10584038.jpg

 京王線の跡はやがて佐須街道(深大寺通り)と交差します。このアパートの場所に旧柴崎駅があったようです。当時の電車は今ほど大きくなく長くもなかったようですが、どのあたりにホームがあったのかも今は見当がつきません。

現在この辺りはちょっとした商店街となっています。

柴崎駅(停留場)~金子駅(停留場)
a0332275_09473367.jpg

 この写真は今年オープンした商業施設「クロスガーデン調布」の屋上駐車場から調布方面に向かって撮影したものです。

 手前には調布自動車学校の教習コースがあり、そこから京王線跡の幅と同じ敷地と繋がって奥に教習車両置き場があります。

 その奥に向かって地平線に見える大き目の建物が密集している場所が調布駅です。ここから見ると京王線旧線の跡がなんとなくわかるような感じがしますね。ほぼ直線的に調布駅付近まで繋がっていたことがわかります。

a0332275_09531636.jpg

 さらに新宿方面に進むと甲州街道に合流します。ここから暫く甲州街道の上を路面電車のような形で走っていたようです(併用軌道)。

 『京王帝都電鐵三十年史』には、

 この国道併用部分および勾配を除く工事に着手した。たまたま甲州街道の拡幅工事が行われたので、これを機会に軌道を街道南側に移設して専用軌道としたのである。工事は、現在のつつじヶ丘駅付近に盛土を施し、ここに軌道を移して、仙川の西側切通りから国領までを一直線に改めた。
とあるように、当時からここがネックになっていたことがうかがえます。なお、東京オリンピックの際にも甲州街道は拡幅されているようです。

 また、このころ京王線では玉南電鉄(府中~東八王子(現:京王八王子)間)の開通と合併、京王閣遊園地も開業するなど沿線状況も変わっていたようで、『京王電気軌道株式会社三十年史』には、

 尚其の他の企畫(業)、工事としては、笹塚―代田橋間の府道の平面交叉を立體(体)交叉に改良のため、橋梁を敷設して勾配を取り除き、仙川―柴崎間壹粁八分の急勾配を六十分壹に改め、金子附近の國道併用を避けて新たに専用線路を敷設し、更に、近くは昭和拾壹(11)年九月初臺(台)―幡ヶ谷間の併用軌道を専用軌道に移設する等、乗客の利便のために巨費を投じて大々的改良工事を敢行し、又自動信號(号)機を設置し輸送の安全を圖(図)る外、車輛を増加し、サービスに遺憾なきを期した。
とあるように、設備増強の時期を迎えていたことがわかります。また、1931年(昭和6年)には御陵線も開通(現在は一部廃止)しました。このころには新宿~府中間で木柱を鉄柱に改めるなどしていたようです。

 引用文中の急勾配はこの先登場します。(引用は一部現代漢字を追記した)

a0332275_10163059.jpg

 線路は甲州街道を進み、現在のつつじヶ丘駅の北側付近に旧金子駅跡がありました。

a0332275_10302100.jpg

 金子というのは古くからの地名のようです。京王線が現在地に移設した後もしばらく金子駅のままでした。

 京王線が現在の位置に移設後、1950年代に入って車両を4両編成化することになります。その際、2面4線だった千歳烏山駅の拡張は困難であったことから金子駅を2面4線にして増強することになりました。ホームの拡張は駅を新宿方面に80m移設、ホームと駅舎は地下道で結ばれることになり、1957年(昭和32年)5月15日から新ホームで営業を開始しました。この時に既に6両編成に対応する土地を確保していたようです。また、千歳烏山折り返し電車と急行退避をこの駅で行うようになります。

 これと同時に駅の名前を「金子」から現在の「つつじヶ丘」に改称されています。

 当時の京王の情報誌『京帝たより』には

 十五日から「つつじヶ丘」と駅名を改称するが、これは現在八高線にも金子という同名の駅があり連絡運輸上混同する恐れがあるため、さらに近く分譲する「つつじヶ丘」高級住宅地下車駅として駅名の明確を期するものである。
とあります。現在では地名もつつじヶ丘になり、金子はバス停名や郵便局名などに残る程度になっています。

金子駅(停留場)~仙川駅
a0332275_10492455.jpg

 金子駅を出てもしばらく甲州街道を走行後、甲州街道を南側にそれます。この付近は河岸段丘により急な坂道になっていて「滝坂」と呼ばれています。当時の甲州街道は旧道を通っていて自動車が走る前から難所だったようで、新道に付け替えられて勾配が緩やかになっています。

a0332275_10495950.jpg

 京王線もここの急勾配が大変だったことが、上記引用からもわかります。京王線があった方の坂は現在は道路になっていて、「売地の坂」と呼ばれているようです。

 写真奥に見えるのはキユーピー仙川工場跡地にできた「仙川キユーポート」です。その手前で現在の道路は都道と交差していますが、京王線が走っていたころは道路の橋をくぐっていたようです。そのため頂上付近は当時より勾配が急になっています。


a0332275_11041321.jpg

 滝坂を上りきると現在の京王線と合流します(写真矢印より奥かもしれません)。当時はキユーピーがある場所を一部通っていました。キユーピーの工場閉鎖と建て替えに伴って現在はよくわかりませんが、工場時代の建物は線路敷地の形跡がなんとなくわかります。

a0332275_11240663.jpg

 現在の仙川駅です。掘割式の駅になっています。


参考資料(50音)
基盤地図情報「533934」平成29年4月1日更新
国領か 仙川か Oka Laboratory 備忘録
 http://okalab.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e8b7.html
『せんがわ21 第14号 特集・せんがわ界隈史』
 1993年(平成5年)9月 せんがわまちニティ情報センター 編
『多摩の鉄道沿線 古今御案内』
 2008年(平成20年)7月28日 今尾恵介 著
『2万5千分の1地形図「溝口」大正6年測図』
地理院地図
 https://maps.gsi.go.jp
『京王帝都電鉄30年史』
 1978年(昭和53年)6月1日 京王帝都電鉄株式会社総務部 発行
『京王電氣軌道株式會社三十年史』
 1941年(昭和16年)3月20日 京王電氣軌道株式會社 発行
『京王風土記』
 1954年(昭和29年)4月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第39 』
 1956年(昭和31年)5101日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『京帝たより第46号』
 1957年(昭和32年)5月1日 京王帝都電鉄株式会社 発行
『調布今昔写真集』
 1974年(昭和49年)3月31日 調布市教育委員会 発行
『調布市百年史』
 1968年(昭和43年)10月1日 調布市役所 発行
『東京都調布市立滝坂小学校 創立百周年記念誌』
 1973年(昭和48年)8月4日 調布市立滝坂小学校創立百周年記念事業協賛会 発行

著作権の関係上難しい部分があるため載せていませんが、上記資料の中に当時の写真などがあります(旧布田駅、旧金子駅、滝坂周辺等)。参考にしてみてください。


by yunomi-chawan1 | 2017-07-03 00:00 | 鉄道 | Comments(0)

京王線 新5000系陸送(6/26)

a0332275_13242458.jpg

6月26日の未明、京王線の新型車両である新5000系2両の陸送が行われました。

2両のうち1両は先頭車両でしたが、白いもので覆われて様子を見ることはできませんでした。

a0332275_22225852.jpg
a0332275_22225751.jpg

後日、駅構内の入れ替えも行われていました。


by yunomi-chawan1 | 2017-06-30 13:00 | 鉄道 | Comments(2)

小田急小田原線の新百合ヶ丘旧線をたどる

a0332275_18575901.jpg

今年4月に150万都市となった神奈川県川崎市。全国的な人口減少の中、人口が増えているそんな川崎市の北の副都心「新百合ヶ丘」、通称「しんゆり」に小田急小田原線の古い線路跡がある。

a0332275_18582462.png

新百合ヶ丘駅が開設されたのは1974年(昭和49年)のこと。多摩ニュータウンへのアクセス路線として多摩線の建設が検討された際、百合ヶ丘駅付近からの分岐が考えられたが、当時付近はS字カーブで運転の支障になることが懸念されたため線路を付け替えそこに新百合ヶ丘駅が開設された。

新百合ヶ丘駅開設までは小田急小田原線は津久井道(世田谷町田線)にそってS字カーブをしていた(地図上赤破線)。

a0332275_20351449.jpg
出所の明示:この地図は国土地理院発行の『25000分の1地形図(溝口)昭和41年改測』の一部を抜き出して使用したものである。

線路が付け替える前の地形図を見てもその線形がよくわかる。当時のこのS字カーブは旧型の電車では難所でもあったというのは昔何かで読んだ。

小田急線開業当初は柿生駅~読売ランド前駅(当時は西生田駅)まで駅がなく人家も少なかったようだ。この地図は百合ヶ丘駅もできて住宅地ができ始めているころだ。新百合ヶ丘駅はもちろんない。


a0332275_22115042.jpg

イトマンスイミングスール新百合ヶ丘校前の歩道橋から柿生方面を見る。

右側に津久井道があり、この先で右側に逸れていく。小田急線はこの津久井道に沿っていたと思われる。


a0332275_22223256.jpg

大きくカーブした線路は現在フィットネスクラブがある場所へ抜けていたと思われる。その角には今でも小田急電鉄の三角形の土地が残っていて、当時の面影が若干あるように思えた。


a0332275_22303270.jpg

カーブした線路はこんどは逆向きにカーブし始めるが、しばらくの間面影らしいものはなくなる。一部は区画整理で面的に整備されたところもあり、当時の航空写真を見ても線路付け替え後早期から面影が消えている場所も見受けられる。

この写真では写真に写る遊歩道と右側の建物敷地にかけて線路用地だったようだが、もう全然わからなくなっていた。

区画整理であるが、この地区でまちづくりが始まったのは1969年(昭和44年)に地元地権者による「農住相談会」が結成されてからだ。これは小田急線が線路付け替えをする前である。

1972年(昭和47年)には区画整理組合準備会を結成、1974年(昭和49年)の新百合ヶ丘駅開設後も「農住都市構想」を母体としながら、1977年(昭和52年)4月に新百合丘駅周辺土地区画整理組合の設立が認可され、1984年(昭和59年)5月までの間「川崎都市計画事業新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業」が行われた。施行区域は約46.4ha。

1981年(昭和56年)には上物建設や管理運営を行うため地権者らで「新百合丘農住都市開発株式会社」を設立。現在ではイオン(ビブレ)の入る建物の所有者でもあるようだ。

a0332275_23221236.jpg

そんなこんなで、現在の新百合ヶ丘の整理された街並みができたのは、住民らによるまちづくりがなされた結果なのかもしれない。

さて、新百合ヶ丘駅から北へ伸びる道との交差付近。この正面ビルの右側付近に線路があったようだ。


a0332275_23312292.jpg

1枚上の写真から回れ右をした景色。ここは正面の道路の左側が区画整理の施行範囲で、右側はそうではない。右側の方は若干ごちゃついているように見える。

線路は右側のコインパーキングとその右側あたりを奥に通っていたようだ。コインパーキングの敷地が線路1つ分の幅に見えなくもない。

a0332275_23451064.jpg

道なりに進む。この道は古くからあったようで、古くの津久井道でもあるようだ。線路はこれの右側らしい。本当に線路の面影がない。

このあたりには少し前までイトマンスイミングスクールがあり私も通っていた。10年ほど前に現在地に移転した。現在跡地はマンションとなっている。マンションの向こう側に現在の津久井道が通っている。

a0332275_00045783.jpg

しばらく進むと麻生警察署前の通りにぶつかる。当時ここに道はなかった。現在のスエヒロ館のほうへ進む。


a0332275_00090283.jpg

スエヒロ館の裏側で麻生川を越える。現在、支流と合流する付近で交わっていたと思われる。当時の航空写真を見るとまだ河川改修をしていなかったようなので、護岸にも当時の形跡は感じられない。


a0332275_00124265.jpg

そして2度目の麻生川を越える。この辺りの河川改修が当時完了していたかどうかは航空写真から判断しにくい。ただ、当時交差していたと思われる付近は護岸が若干異なっている。何らかの形跡なのかもしれない。


a0332275_00131232.png

ここまであまりにも当時の痕跡が少ないので、法務局に行ってこの付近の公図を取ってきた。そのまま載せるわけにはいかないのでその線を書き出してみると、ピンク色に着色した部分の地番が妙な線形になっていた。現在はマンションや自動車販売店として使われている。

土地の幅も線路用地の幅とほぼ一致するので、もしかしたら地番として当時の面影が残っているのかもしれない。


a0332275_00203021.jpg

この先、工務店の用地を抜けると、現在の航空写真でも確認できる縦長の土地が柿生方面まで続いている。現在は放置自転車の保管場や、ソーラーパネルが設置されている。


a0332275_00243680.jpg

小田急多摩線の高架橋をくぐり現在の小田急小田原線に近づく。かつての線路部分は保線場として利用されていた。


a0332275_00285454.jpg

旧線の柿生側の分岐部分はこんな感じ。現在ある保線場に分岐する線路がある。かつては坂を上らずそのまままっすぐ線路が伸びていたのだろう。

線路の移設から40年余りが過ぎ、当時の面影はほとんどない小田急線の旧線だった。線路の付け替えによって誕生した「新百合ヶ丘」も当時からは想像がつかないほど発展したのだろう。このころに行ってみたいな…と。


参考資料
・『25000分の1地形図(溝口)昭和41年改測』
・『新百合丘-ふるさとの心が鼓動するまちづくり-』著者:地域社会計画センター、出版:川崎市企画調整局、1984年
土地区画整理事業>完了した土地区画整理事業>完了地区概要-川崎市
・地籍図-川崎市麻生区古沢地内の一部
地図・空中写真閲覧サービス-国土地理院
・『ふるさとの心が鼓動するまちづくり-新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業のあゆみ-』編者:新百合丘駅周辺土地区画整理組合、出版:新百合丘駅周辺土地区画整理組合、1985年

by yunomi-chawan1 | 2017-06-14 00:00 | 鉄道 | Comments(2)

調布駅付近連続立体交差 5年前との比較

5年前の夏に行われた調布駅付近連続立体交差事業の線路切り替え。

線路が地下化してからしばらくたちますが、当時撮った写真と比較して現在どうなったのか見に行ってみました。

左側が2012年に撮影したもの、右側が2017年に撮影したものです。当時の構図に合わせて撮影したため、構図が変になったものもあります。

a0332275_08555416.jpg

▲京王線と相模原線が分岐する踏切

京王相模原線が京王線から分岐するところにあった踏切の場所です。当時の調布駅は平面交差だったため、この付近で信号開通待ちとかよくありましたね。この踏切もよく閉まっていたイメージです。

当時の線路跡には現在ビックカメラを核テナントとする京王電鉄による商業施設が建設中。つい最近まで線路跡は空き地の状態でしたが、駅の周辺はだんだんと景色が変わりつつあります。

a0332275_09002566.jpg

▲相模原線分岐点の踏切から京王八王子・橋本方面

1枚目の写真の場所から反対方面を見ています。2012年の写真は地下化当日のもの。

この場所には「映画の街 調布」を代表する「シネマコンプレックス」が建設中で、この秋にも開業する予定です。そのほか、横断する道路は綺麗に舗装が直されています。

線路跡はこの先の西調布・京王多摩川方面にかけて暫定駐車場くらいにしか使われていないのが現状で、これからどうなっていくのか気になるところです。

a0332275_08432708.jpg

▲調布-布田駅間

右側が調布駅方面、左側が布田駅方面です。線路は地下化され現在はアスファルトで覆われています。この辺りは特に利用も図られていないようです。当時、調布駅止まりの電車はこの本線上で折り返しをしていたため、そのための渡り線が見えます。

当時あった特徴的な建物が現在でも目印になりました。

a0332275_08494463.jpg

▲調布-布田駅間から調布駅方面

当時あった踏切から調布駅方面を見ています。

右側のアパートや当時のマンションはほとんどそのまま残っていますが、調布駅付近で新たなビルが建設されて遠景がちょっと変わっています。当時の線路跡には地下の換気口のほか、調布駅直上では商業施設が絶賛工事中です。

a0332275_09081186.jpg

▲調布-布田駅間から調布駅方面

線路跡は資材置き場として利用されていました。当時ひっきりなしに電車が来ていたのが懐かしく思えます。よく電車が詰まっていたよね。

a0332275_09141246.jpg

▲布田駅舎

地下化直前は仮設の橋上駅舎でした。現在は地下駅となって、駅舎もシックな感じになっています。

実はこの2012年当時の写真の中に、現在と比較できるものが何一つと写っていませんでした。似たような場所から道路標識を対象に撮影してみましたが、この道路標識も移動しているのは明らかです。おそらくこれより30mほど西側なんじゃないかなと思います。

a0332275_09184953.jpg

▲布田駅西側から布田駅

当時の布田駅は対面式でした。この辺りはシールドトンネル区間なためか、地上部は掘り返したようなあとはそこまでありませんでしたね。

この辺りも現在は暫定駐車場として利用。今の写真は何を撮っているのかわからないような構図になってしまっています。

a0332275_09230216.jpg

▲国領駅西側の狛江通り

狛江通りは踏切で渋滞することもありましたが、その渋滞も現在はほぼ解消しています。

国領駅前には駅前広場が整備されました(写真左側)。

a0332275_09262038.jpg

▲国領駅ホームから調布駅方面

地下化直前の国領駅ホームは島式。工事が始まる前は対面式ホームだった記憶があります。

当時撮影していた場所は駅前広場の車道になったため、近くから撮影。

a0332275_09300970.jpg

▲国領駅

当時の国領駅ホームの場所は駅前広場になりました。右奥の商業施設が見えます。この真下にいまのホームがあるのでしょう。

国領駅はこの2年ほどで当時とは想像もつかないほどきれいな駅になりました。こんなに賑わっていたかな・・・と思わなくもない。

a0332275_13533827.jpg

▲国領駅の南東側の回転場

国領駅の南東側には小さな回転場がありましたが、現在でもほぼそのままの状態で残っていました。

線路が地上にあったときは道路が行き止まりになっていてそれの回転場だったのだと思うのですが(長さ何メートルで回転場を設けなければならないと決まっている)、線路が地上からなくなっても行き止まりは解消していませんでした。この先の道路につなげる気もないのでしょうかね?

a0332275_14021486.jpg

▲連続立体交差事業の東の端

地下化が始まる区間の東側、新宿側の端です。

調布駅付近の地下化は仮線を造らず営業路線の真下にトンネルを掘る方式だったため、地下化直前期でも入口は蓋をしてその上を電車が走っていました。

現在、この写真を撮影した踏切の真下では都市計画道路が建設中。その道路が完成したらこの踏切もどうなるのか・・・わかりませんね。


by yunomi-chawan1 | 2017-05-19 14:30 | 鉄道 | Comments(0)

京王線高架化前 車窓風景

京王電鉄京王線(笹塚駅~仙川駅間)連続立体交差事業の進捗具合を、新宿から帰宅するときに運転台の後ろから見てきました。

この事業は京王線笹塚駅~仙川駅間7,225メートルを連続立体交差させるもの。
2012年(平成24年)10月2日に都市計画変更決定および都市計画決定され、2014年(平成26年)2月28日に事業着手されました。事業期間は2013年度(平成25年度)~2022年度(平成31年度)で、総事業費は1701億円です。これに関連して沿線自治体で都市計画道路も同時に着手しています。
a0332275_15500279.png
連続立体交差は高架化(嵩上式)で行われる予定です。なお、連続立体交差事業は東京都が主体となり道路事業の一環として行われる都市計画事業です。4線に増線する複々線は高架の下に地下で計画はされているものの、実現の見通しはわかりません。増線は鉄道会社が全額負担となります。(中央線でも同様であったが未着手)。
a0332275_15502939.png
a0332275_15515839.png

※2014年2月28日に着手した路線のみ

☆鉄道の都市計画変更
●東京都告示第1447号 2012年(平成24年)10月2日
東京都市計画都市高速鉄道 第10号線
京王帝都電鉄京王線
調布都市計画都市高速鉄道 第10号線

☆都市高速鉄道付属街路の都市計画決定
●世田谷区告示第693号 2012年(平成24年)10月2日
東京都市計画道路事業区画街路都市高速鉄道第10号線付属街路第3号線~17号線(東鉄10付3~17)

☆都市計画道路 幹線街路の都市計画決定
●建設省告示第25号 1961年(昭和36年)1月13日
東京都市計画道路事業幹線街路補助線街路第154号線(補助154)

●建設省告示第2428号 1966年(昭和41年)7月30日
東京都市計画道路事業幹線街路補助線街路第216号線(補助216)

☆都市計画道路 区画街路の都市計画決定
●世田谷区告示第694号 2012年(平成24年)10月2日
東京都市計画道路事業区画街路世田谷区画街路第13号線(世区街13)

●世田谷区告示第695号 2012年(平成24年)10月2日
東京都市計画道路事業区画街路世田谷区画街路第14号線(世区街14)

☆都市計画交通広場の決定
●世田谷区告示第696号 2012年(平成24年)10月2日
東京都市計画交通広場千歳烏山駅東口広場

☆鉄道の事業認可
●関東地方整備局告示第58号 2014年(平成26年)2月28日
東京都市計画都市高速鉄道事業第10号線
施行者:東京都
事業期間:2014年(平成26年)2月28日~2023年(平成35年)3月31日

☆都市高速鉄道附属街路の認可
●関東地方整備局告示第59号~73号 2014年(平成26年)2月28日
東京都市計画道路事業区画街路都市高速鉄道第10号線付属街路第3号線~17号(東鉄10付3~17)
施行者:東京都
事業期間:2014年(平成26年)2月28日~2023年(平成35年)3月31日

●東京都告示203号 2014年(平成26年)2月28日
東京都市計画道路事業区画街路都市高速鉄道第10号線付属街路第9号線(東鉄10付9)
施行者:世田谷区
事業期間:2014年(平成26年)2月28日~2023年(平成35年)3月31日

☆都市計画道路の認可
●東京都告示第204号 2014年(平成26年)2月28日
東京都市計画道路事業幹線街路補助線街路第154号線及び区画街路世田谷区画街路第13号線(補助154、世区街13)
施行者:世田谷区
事業期間:2014年(平成26年)2月28日~2023年(平成35年)3月31日

●東京都告示第205号 2014年(平成26年)2月28日
東京都市計画道路事業幹線街路補助線街路第216号線及び区画街路世田谷区画街路第14号線及び東京都市計画交通広場千歳烏山駅東口広場(補助216、世区街14、千歳烏山駅東口広場)
施行者:世田谷区
事業期間:2014年(平成26年)2月28日~2023年(平成35年)3月31日


a0332275_17222212.jpg
笹塚駅からスタート。右に見えるのは笹塚駅の折り返し設備で、京王新線の分岐点です。実質都営新宿線の終点のようになっています。
笹塚駅を含めた初台駅~代田橋駅間は既に高架化・地下化されています。これは1972年度(昭和47年度)~1984年度(昭和59年度)に連続立体交差事業が行われたためで、環七通りなどを立体交差で越えます。

a0332275_17335516.jpg
このあたりから高架区間に入るものと思われます。

a0332275_17343770.jpg
代田橋駅。各駅停車のみとまる駅です。
現在は対面式ホームですが、高架化後は島式ホームになるそうです。笹塚駅の折り返し設備のふくらみを考慮する形でしょうか?

a0332275_17372872.jpg
代田橋駅より。左の塀は水道局和田堀給水場です。

a0332275_17392835.jpg
明大前駅。井の頭線との乗換駅です。
すべての列車が止まる駅ですが、京王線のホームは2つと狭さを感じます。高架化後は2面4線と増え、緩急接続が可能になるようです。

a0332275_17414349.jpg
ところどころで用地取得が進んでいるようです。

a0332275_17423704.jpg
下高井戸駅。東急世田谷線との乗換駅です。
計画図をみると営業線の真上にホームを構築するようです。
世田谷線の高架化はありません。

a0332275_17442595.jpg
下高井戸西側の踏切。「開かずの踏切」として知られていますね。

a0332275_17452221.jpg
桜上水駅。車庫もある駅です。
高架化後もホームの数は維持。車庫線も高架化するようですが、規模も維持されるのでしょうか?気になります。

a0332275_17470992.jpg
右に見えるのが車庫。

a0332275_17473442.jpg
上北沢駅。島式ホームの駅です。
高架化後も島式ホームとなるようですが、駅の位置が若干南側(左側)に移動するようです。

a0332275_17491881.jpg
上北沢駅を超えると高架区間に入ります。これは1968年度(昭和43年度)~1970年度(昭和45年度)に高架化がなされたためで、環八通りを越えます。
これから実施される高架化はこの高架橋を流用するそうです。

a0332275_17520445.jpg
八幡山駅は真ん中にホーム、そしてホームを囲むように通過線が配置されています。駅の西側には電留線がありますが、どうなるでしょうか?

a0332275_17533572.jpg
芦花公園駅。急カーブにあります。この駅舎新しいですよね。

a0332275_17551310.jpg
千歳烏山駅との間で「みどりの京王線」とすれ違った。

a0332275_17560296.jpg
千歳烏山駅。世田谷区の京王線の玄関口です。先のダイヤ改正で準特急が停車するようになりました。(私の周りでは評判が良くないですが)
高架化後は2面4線となるようです。駅前広場も同時に着手しています。

a0332275_17590610.jpg
仙川駅手前で効果は終了予定。仙川駅は掘割構造の駅です。


今回は電車の中から記録しただけですが、機会があれば歩いて町並みも記録したいと思います。

※参考資料
・官報 平成26年2月28日付 号外

・京王線の連続立体交差事業に着手します-東京都報道発表
(発表から5年程度で閲覧不可になります)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2014/02/20o2s100.htm

・京王電鉄京王線(笹塚駅~つつじヶ丘駅間)の連続立体交差化及び複々線化に関連する都市計画の決定について-世田谷区
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/102/122/364/d00121359.html

・京王電鉄京王線(笹塚駅~仙川駅間)連続立体交差事業|京王グループ
https://www.keio.co.jp/train/sasazuka-sengawa/outline/

・京王電鉄京王線(笹塚駅~仙川駅間)連続立体交差事業および関連する側道整備について-東京都 (PDF)
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000005952.pdf

・事業中の道路(都市計画道路・主要生活道路)-世田谷区
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/102/124/379/381/d00024764.html

・道路と鉄道の連続立体交差事業(PDF)
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000025493.pdf

・東京都公報(平成24年10月2日、平成26年2月28日付)

by yunomi-chawan1 | 2016-10-04 00:00 | 鉄道 | Comments(4)

シールドマシンの脱け殻?世田谷代田駅へ見に行く

トンネルを掘るときに活躍するシールドマシン。地下鉄や首都高速道路のトンネル、水道等、さまざまな場所で地面を掘っている。

それらシールドマシンは一つの工事箇所には大抵その場所専用のものになる。一点物と言うこと。掘り終えると中身を取り出して、そのまま地下に放置されることが多いそうだ。中身については再利用されることもあるそうだ。

ならば、それら地下に放置されたシールドマシンを見ることができる場所はないものかと調べてみると、小田急小田原線の世田谷代田駅で見られることがわかったので、早速通りかかったときに降りてみることにした。
a0332275_01000395.jpg
これがシールドマシンの残骸だ!
小田急小田原線世田谷代田駅の下り1番ホームの新宿よりにある。写真の白い箇所がそれ。

シールドマシンの外殻をトンネルの一部として再利用しているようだ。中身は回収している。脱け殻だ。
a0332275_01000524.jpg
右側がシールドマシンで掘った後方に構築されるセグメント(ダクタイルセグメント)、左側がシールドマシンの脱け殻。
抜け殻の場所は白くなっていて他とは違うのでわかりやすい。

このように間近で見られるのは珍しいとのこと。
a0332275_01000735.jpg
断面はこんな感じ。脱け殻にはコンクリートや金属パネル等保護がされているようだ。
a0332275_15512694.png
この小田急小田原線の地下区間は、東京都が主体となり進めている連続立体交差事業と、小田急電鉄が進める複々線化事業によって2013年3月に開通した。区間は梅ヶ丘駅~代々木上原駅間の約2.2キロメートルで、そのうち約650メートルほど(上下線で約1300メートル)の急行線がシールドトンネルになっている。
a0332275_15544740.png
工事は、急行線を先に開通させ、次に緩行線を開通させるという、大まかに言うと2段階で施工される。2013年(平成25年)3月に開通したのは急行線だが、緩行線が完成するまでの間は急行列車の止まらない世田谷代田駅、東北沢駅にも仮設のホームを設けて各駅停車が停車できるようにしている。
緩行線は2018年(平成30年)の完成を目指して工事が進められていて、2016年(平成28年)1月現在、世田谷代田駅では緩行線ホームの基礎構築工事、下北沢駅では京王井の頭線との交差部において地下の構築作業が進められているそうだ。

a0332275_16054191.png
シールドトンネルは、世田谷代田駅付近で発進・到着縦孔が、下北沢駅の東側で回転縦孔が開削され、発進→回転→到着した。2008年6月から2009年10月14日の408日間で掘り終えた。

工事状況については特設サイトにて詳しく解説されているので参照されたい。
シモチカナビ
http://www.shimochika-navi.com/index.html (別窓で開きます)
なお、シールドマシン外殻の再利用については下記URL(PDF注意*直リンク)
http://www.shimochika-navi.com/99_backnumber/pdf/vol16.pdf (別窓で開きます)

a0332275_16151139.png
前述の通り、現在の世田谷代田駅は急行線に仮設のホームを設けているので、将来的には急行線に降り立つことはできなくなる。また、現在工事を進めている緩行線は開削によって構築しているので、同様のシールドマシンの残骸を見ることはできない。
つまり、このシールドマシンの抜け殻を間近で見ることができるのもあと数年ということだ。
a0332275_15473561.jpg
世田谷代田駅は通常でも人が少ない駅だが、抜け殻が見られる場所はホームの端とあって寂しさが一層感じられる。私自身、パシパシ写真を撮りながら優越感に浸っていたのだが、やっぱり寂しかったな・・・。
a0332275_15473888.jpg
下北沢駅方面にシールドトンネルは続く。風が吹き抜ける。

暗いのでISO感度を上げて撮影したが、皆様も撮影の際にはフラッシュを焚かず、通過列車には注意を。

by yunomi-chawan1 | 2016-02-26 18:00 | 鉄道 | Comments(0)

拝島駅の昇降式ホーム柵

2015年3月28日から、東京都の拝島駅の八高線八王子方面ホーム(上り)に昇降式のホーム柵の試行導入がなされています。ずっと行きたかったのですが、ようやく近くに用事ができて行くことができました。
a0332275_17251692.jpg

ホーム柵は棒と昇降機械で構成されている。現在、試行設置されているのは八王子方面のみである。奥の電車はこの時間は営業を行わないため留置してある。


従来型のホームドアは扉が横の戸袋に引き込まれるようなものでしたが、このホーム柵は3本のバーが上がったり下がったりします。

a0332275_17095850.jpg

従来型のホームドア(京王線調布駅)。
a0332275_17500338.jpg

京王線布田駅の密閉式ホームドア。京都市営地下鉄や東京メトロ南北線、ゆりかもめなどでも設置されている。

この新しいホームドアは、従来型のホームドアに比べて安価に設置できることのほか、ドアのように戸袋がない分、ある程度ドアの位置が異なる車両でも対応できるそうです。

八高線のこの区間には205系、209系とりんかい線からの転属車がいますが、常務員室の位置に若干の差があるものの、どちらも4ドアで、旅客部分のドアの位置に大きな差はありません。



ホーム柵の動作の様子。(横幅560px!スマホ版ではすべて画面に入らないと思います。)

ホーム柵の動作は、
[[到着]]
①列車が到着
②列車が停まるとセンサーが動作し、柵が上昇
③車掌はホーム柵が正常に上がったことを確認して、車両のドアを開ける

[[発車]]
①発車メロディを鳴らす
②安全を確認してホーム上からホーム柵を下げる
③車掌は電車に乗り込みホーム柵を確認して車両のドアを閉める
④運転士は知らせ灯(ドアが閉まったら光る)の確認をして進行
のようでした。

ホーム柵は下2本のバーが上がるのと同時に、バーが取り付けられた柱自体も伸縮しています。上がるときと下がるときで警報音が違いますね。

a0332275_17100112.jpg

停車位置目標

停車位置目標は1メートルくらいの幅があるでしょうか。調布駅などに比べると幅があるように感じます。
a0332275_14100516.jpg

京王線調布駅の停車位置目標

山手線などのホームドア設置路線ではTASCといって、定位置停車装置が装備されていることが多い(※京王はない)のですが、八高線はないので、運転士の腕が試されます。通常の駅でもこのくらいの誤差に収まっていますが。

a0332275_17252032.jpg

車掌側操作盤
まあ、よくあるホームドアとほぼ同じ感じです。車両のドアとホーム柵は連動していないので、個別に閉める必要があります。
常務員の扉の位置は車両によって違うので、停車位置確認の印は2種類用意されています。

a0332275_17252328.jpg

そのほか、ホーム側に1箇所、ホーム柵の開閉状況を確認できるものがあります。まだ試行導入段階だからか、この拝島駅のホーム柵には常時2人の見張りがいました。


a0332275_17500704.jpg

ホームや階段には2種類の案内ポスターが貼られていました。
ポスターによると柵を触れたり近づいたりするとセンサーが検知するそうです。

a0332275_17501165.jpg

なお、高麗川方面ホームは設置されていません。


随分前に新聞記事で読んだところによると、視覚障がい者にはこのホーム柵は不評らしいです。ホームドアがないホームは、欄干がない橋と同じだと例えられる駅のプラットホームですが、従来型のホームドアではそれにつかまったりして移動ができたそうですが、これはできないとのこと。さらに、柵と柵を繋ぐ機械が出っ張っていることが障害になるそうです。ただ、柵は黄色い点字ブロックの外側にあるし…と思ってしまう自分もいます。
山手線でもようやく全駅でホームドアの設置がされる段階まできましたが、何らかの方法でも設置が進んで不慮の事故がなくなることを祈るばかりです。



参考
国土交通省では、布田駅の密閉式を「ホームドア」、調布駅の腰までの高さを「可動式ホーム柵」と呼んでいるようです。

国土交通省:ホームドアの設置状況
http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk6_000022.html

3月現在で615駅に設置されているようです。

by yunomi-chawan1 | 2015-09-13 10:35 | 鉄道 | Comments(0)


http://ricebowl.exblog.jp の続きです。鉄塔、鉄道、街作り、用水など。


by yunomi-chawan

プロフィールを見る

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

メモ帳

2015年にブログを移転しました。一部リンクが前のブログに飛びます。

まとめサイト等への画像の無断使用と引用を禁止します。

非公開コメントへの返信は基本的に行っておりません。

常時SSL化を実施予定です。URLがhttps:に変わります。過去のリンクについては自動でジャンプするようです。

以前のブログ
過去のトップ画
ランダム表示
索引
地図から探す
送電線索引
継続記事検索
YouTube
大丸用水



カテゴリ

全体
恐怖シリーズ
ブログ
鉄道
鉄塔
散策
駅シリーズ
地域
米タン
道路計画や開通など
未分類

最新の記事

町田街道 小山Ⅱ期区間 拡幅..
at 2017-11-22 15:00
南多摩尾根幹線の歴史・現況・..
at 2017-11-18 00:00
東村山3・4・5号久留米東村..
at 2017-10-21 00:00
西東京3・4・11号練馬東村..
at 2017-10-19 10:30
西東京3・4・21号ひばりヶ..
at 2017-10-13 01:00
三鷹3・4・7号三鷹国分寺線..
at 2017-10-12 11:00
三鷹3・4・13号 三鷹駅仙..
at 2017-10-11 00:00
北野烏山線・北野仙川線・本村..
at 2017-10-09 07:00
狛江仙川線・北野仙川線 進捗..
at 2017-10-08 21:30
調布駅が生まれ変わった Tr..
at 2017-10-05 09:00

以前の記事

2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2016年 10月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月

最新のコメント

やっと方針が定まり、西側..
by yunomi-chawan1 at 14:19
この道をよく利用します。..
by cp9agt7 at 09:38
非公開コメントさん あ..
by yunomi-chawan1 at 22:23
そのサイトについては見た..
by yunomi-chawan1 at 22:23
ご指摘ありがとうございま..
by yunomi-chawan1 at 22:13
はじめまして。 多摩ニ..
by りんたろう at 22:06

検索

タグ

(27)
(17)
(13)
(12)
(11)
(8)
(7)
(6)
(6)
(6)
(5)
(5)
(5)
(5)
(4)
(3)
(2)
(2)
(2)
(2)

記事ランキング