2015年 01月 16日 ( 1 )

立川市の暗渠「緑川」

立川市の緑川について最終的なまとめとしてこの記事を書きたい。

以前のブログにて、11月と12月に

を書いたが、少し書きくわえておく。辿ったことについては上記リンクにて既に書いているので、一部省略するが、写真の使い回しがある。

緑川の歴史 掘削まで

 多摩地区の地形としては、北部の埼玉県付近の狭山丘陵から、古くの多摩川で形成された武蔵野台地という平らな土地を経て、多摩川を越えると再び多摩丘陵という丘が現れる。武蔵野台地は複数の面が見られ、国分寺崖線、立川崖線、青柳崖線、拝島崖線などといった多摩川によって形成された河岸段丘を境に、武蔵野面、立川面、青柳面・・・と平らな土地が続いている。

 立川市は立川面と青柳面に位置し、多くが立川面となっている。大まかに見れば平らな土地だが、北部の方が標高が若干高くなっている。国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」によると、北部の砂川の二等三角点「砂川」によると標高105.46m、立川駅付近の街区多角点「10C23」によると標高84.916m、立川面の南端付近の街区多角点「20A40」によると標高81.559mと、北部で降った雨が立川駅周辺にたまるということが起きていたようだ。大正11年に岐阜県各務ヶ原から飛行第五大隊が移転してきて、立川飛行場ができてからは、立川飛行場にも水がたまることがあったらしい。

a0332275_16000725.png

 左の地図は戦前の立川飛行場の大雑把な範囲と国立立川病院の位置。この病院は飛行隊が立川に移転してきた大正11年に開設。翌年の大正12年には立川陸軍病院となるが、戦後の昭和20年12月に国立立川病院となった。その後平成7年に国立病院東京災害医療センターとして、相模原市相武台にあった国立王子病院と統合し、現在の場所に移設され、平成16年に独立行政法人国立病院機構災害医療センターと名前を変えている。

 当時は国立立川病院(立川陸軍病院)付近に大きな吸水池を作って、ここに一時的に水をため、東へ流し、中央線と南武線が分かれる付近まで流して自然の力で蒸発、吸水させていたようだ。この中央線と南武線が分かれる付近は「高木の池」というものがあったようだ。

 ただ、これだけでは役に立たず、たびたび氾濫していたようだ。

 立川市では大正14年に町議会で洪水対策について話し合いが行われている。

『本町所在飛行場第五聨隊及同附属飛行場ハ四周ニ下水路ノ設備アルモ末流疎通ノ途ナク為ニ豪雨等ニ際シ下水路ヨリ汚穢ナル濁水ヲ停車場組内ニ款下氾濫セセシメ床下浸水数百戸ニ及ヒ衛生上障害ハ勿論各自ニ蒙ラシムル損失モ尠シトセス依テ取リ敢ヘス組代表者直接本隊ニ交渉セシニ其設備ノ必要ヲ認ムルモ政府カ事業緊縮ノ折柄遂行覚束ナク町民ヨリモ相互声援セラレタシトノ回答アリ就イテハ其成否ノ遅速ハ町民ニ至大ノ影響ヲ及ホス次第ニ付町会ノ決議ヲ以テ其目的ノ貫徹ヲ期セラレタシ』大正14年9月5日

 ただし、これ以降も工事は行われなかったようだ。

 文献によると、昭和19年(18年?)にようやく工事が行われるようになったようだ。しかし、掘削についての文献はほとんど残っていないらしい。

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 工事は手作業で行われていたようだ。工事が完成しないまま、終戦を迎え、進駐軍の命令によって軍都整備事業は一時中止となる。ただし、関係者が飛行場の排水路工事であることを説明し都市計画事業として工事を続行できたようだ。すると米軍が重機を提供してくれ資材も提供されたらしい。

 立川市議会史によると、昭和22年4月30日に緑川が通水。当時は素掘りの川で、護岸工事もなかったようだ。当時は「立川排水路」という名前だった。

 昭和24年に都費補助河川編入に申請した際、東京都建設局河川課から排水路の命名について紹介があった。

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昭和38年12月20日 日本自動車学校10年のあゆみ発表から50年が過ぎ、著作権が切れている。

『排水路復旧費については先に知事宛補助金交付申請中の処、河川として命名するよう建設局河川課坂本主事より通知がありましたので、左案の内より御決定を得度』
『案 中川 緑川 立谷川』

 中川はよくわからないが、緑川は立川飛行場付近が緑町と呼ばれていたこと、立谷川は立川を源流とし、今の国立市、当時の谷保村を終端とすることによると思われる。

 その後、東京都広報によると『東京都告示第七百四十三号 次の架線を土木費支弁規程第二条の規定により、都費を以つて補助すべき河川に、指定する。 昭和24年4月8日 東京都知事 安井誠一郎 記 一、緑川』
ここでようやく緑川と正式に決まった。

 羽衣町一丁目自治会 創立三十周年記念誌によると、昭和25年に『緑川が火事』とある。これは立川飛行場の燃料が流れたことによって、川が燃えると言う珍しい事態になったようだ。

緑川の歴史 暗渠へ
a0332275_17492714.png

 昭和27年に立川市議会で都知事宛に意見書が採択されている。


『(略)・・・首都としてまた衛生都市としての形体を整へる上からもこの緑川の一部(曙町1丁目2の2番地より曙町3丁目121番地に至る間)1.4粁(キロメートル)の区間を完全なる下水道として一日も早く国家に於て施工せられるよう地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出する』

 これは現在の昭和記念公園の曙口から中央線付近だ。

 その後も下流部分でも暗渠化し、今の形となった。

緑川にあった橋
当時の橋(グーグルマップに飛びます)
a0332275_19022215.png

 いまでも、「曙橋」、「東橋」、「みのわ橋」については橋の名前が交差点の名前でも残っている。また、「尺串橋」、「羽衣小橋」、「新田橋」、「暁橋」、「曙三丁目橋」は橋の欄干が残っている。

a0332275_19490038.jpg

 現在の曙橋。立川駅北口から北側へ放射するように伸びる都道16号線と都道153号線が交わる交差点で人通りが非常に多い。歩車分離式の交差点になっている。

 東西に通る都道16号と都道153号が昔の緑川の流路だった。

a0332275_20124533.jpg

 曙橋の東側。写真の案内看板の奥のあたりが東和橋があった場所のようだ。

a0332275_20144633.jpg

 東橋。細かい道を合わせると7差路になっていて交通量が非常に多い。ここに橋がかかっていた。ましてや川があったことは今では想像が難しい。

 「今昔写真集 たちかわ」という本の中には、橋があった当時昭和34年の写真と、昭和50年ごろの写真が載っている。当時はこの辺りは砂利の道路だっただ。昭和50年の写真も今となってはだいぶ古い写真だが、奥に見えるNTTが電電公社だったことからか、信号の交差点名が「電報電話局前」となっている。

a0332275_20224347.jpg

 曙三丁目橋の欄干。片側だけ残されている。この付近は巨大な中央分離帯を持つ上下一方通行道路となっている。巨大な中央分離帯には今は駐車場があるが、当時はここに緑川があった。

 下の写真は暁橋。a0332275_20291651.jpga0332275_20231654.jpg
a0332275_20304523.jpg

 中央線南側の羽衣小橋。欄干には「はごろもこばし」とあった。中央線が高架化されたが、南側の道路には用地確保などの影響はなかったようだ。橋の大きさは普通乗用車が1台通れるほどで、橋の上での離合は難しそうだ。


a0332275_20341986.jpg

 南武線南側の尺串橋。当時書いたブログ記事では「しやくぐしばし」と紹介したが、「や」は小文字で「尺串」だった。尺串はどういう意味なのだろうか。黄色と黒の縞々は車の衝突防止を促すものなのだろう。


 みのわ橋。信号機がある交差点にあった緑川にかかる橋だ。立川崖線のハケ下を流れる矢川と交差する橋の名前ではない。

 みのわは付近のでは自治会の名前で存在しているが、地名としては消失している。以前は「箕輪」と書いていたようだ。「立川の地名 -立川編-」によると、交差点の東側、今の浄土真宗本願寺派西光寺の付近に「箕輪城」があったことが由来と言われているが、実際城があったこともよくわからない。ということだった。

緑川の流路

 おもな流路は上の地図の通り。

 辿ったことについては、以前の記事を参照。

さいごに

 暗渠で流れる緑川。今は存在すら知らない人も多いと思うが、調べてみると、立川の洪水を守っている大切な川であり、この川を造るのにたくさんの苦労があったことが分かった。川は既になくても、橋が残っているのはおもしろいことであり、当時の様子を考える上でも楽しい。

参考文献など
(50音順)
あの日、あの頃、あの辺り
 中野藤吾 平成4年7月9日
基準点成果等閲覧サービス
 http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/
くにたちしらべ No.18
 くにたち中央図書館 2013年12月9日
 https://www.library-kunitachi.jp/PDF&IMG/kunitachi_sirabe/kuni_chimei8.pdf 
今昔写真集たちかわ
 立川市教育委員会 昭和50年3月25日
残堀川の成り立ちと大滝の成立 General History of Zanbori River and Establishment of Otaki Head Drops
 都土木技術支援・人材育成センター年報 平成24年
 http://doboku.metro.tokyo.jp/start/03-jyouhou/nenpo/24nenpo/2415.pdf
写真集 たちかわ
 『写真集 たちかわ』編集委員会 平成2年12月1日
創立五十周年記念誌 あけぼの
 立川市第二小学校 創立五十周年記念事業実行委員会 昭和55年2月2日
立川市議会史 資料集1
 東京都立川市議会史編さん委員会 平成3年3月31日
立川市史
立川市史資料集 第三集
 立川市教育委員会 昭和35年3月
立川の昭和史第一集 建物疎開の記録
 立川市教育委員会 平成8年3月29日
立川の地名 -立川編-
 保坂芳春 立川市教育委員会 昭和63年3月
地図・空中写真閲覧サービス 
 http://mapps.gsi.go.jp/
・独立行政法人国立病院機構 国立医療センター 病院概要/沿革
 http://www.nho-dmc.jp/information/outline.html
日本自動車学校 10年のあゆみ
 10年のあゆみ編集委員会 日本自動車学校豊和会編集部 昭和39年12月20日
羽衣町一丁目自治会 創立三十周年記念誌
 羽衣町一丁目自治会 昭和52年

地図
利用フリーのOpenStreetMap

a0332275_17391980.png曙橋の曙は右の通り。2017年5月2日 体裁を変更

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by yunomi-chawan1 | 2015-01-16 00:00 | 地域 | Comments(1)


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